第8話 走り出したピッグランデブー


 母が乾いた笑いを零すと、慌てて紙ナプキンを拾い自分の口を押えた。


「そっそうね、昔は優君も可愛いかったものね。女の子見たいってご近所さんでも評判だったわ」

「昔はそんなこともあったなハハハ」


 『昔』と強調されていることに優は違和感を抱いた。そして一つの疑問が浮かぶ。――今は?今は違うのか、と。

 優の前に先ほど頼んだチーズケーキが運ばれてきた。綾は紅茶を口に含むと、コメカミをピクピクさせていた。


「体が太くなると神経まで図太くなるのね。いつまで可愛いと思ってんのよ。鏡見てないの?今のアンタのどこに可愛い要素があるって言うの。ただの冴えないデブブタよ」

「綾、外であまりそう言う口をきくな。恥ずかしいぞ」

「またそうやって優を庇うんだから。恥ずかしいって言うなら今の優のはなんなのよ。恥ずかしいことこの上ないわ!」

「綾ちゃんっ」

「ママとパパだってこないだ話てたじゃない!優がどんどんデブになっていって心配だって!これじゃ成人病まっしぐらよ」

「えっ!?そっそんな話してたの?」

「ちっ違うのよ優君」

「優くらいの歳はな、誰だって大きくなるんだ。ただちょっと・・・最近、なぁ?」


 歯切れの悪い言い方は、優の違和感を更に助長させた。着地点のない会話を押し付けあいながら、二人は目くばせをし視線を泳がせていく。


「ちょっと?ちょっとなに?」

「そっそれはだな」

「チーズケーキきたから食べましょう。美味しそうねハハハ」

「これ以上ママやパパに気を遣わせないで!いいわ。この際だからハッキリ言ってあげる」


 いつもハッキリ言われているが、と優は思った。だが黙っている理由はそれだけではない。隣で困ったように笑う両親が、綾の言葉を裏付けているように思えたからだ。

 綾はスマホを取り出すと、先ほどの撮った写真を見せた――。


「見なさい!さっき撮った写真よ!こんなんで鈴之塚さんと張り合おうなんて頭おかしいんじゃないの!?」

「えっ」


 優はその写真に絶句した。得体の知れない蒸された肉まんのような物体が、美しい鈴之塚の隣に置いてある。

 これは、一体誰だ?優の理解が追いつかない。くっきり二重だったはずの大きな瞳は、贅肉で埋もれ一重になり、ダッフルコートを着た汗だくの塊が笑いかけている。

 ヒュッと吸い込んだ息が変なところへ入って行き、優は思わず咽た。


「ゴホッゴホ!」


 これが鈴之塚響と同じ成分で出来た人間?これが、本当に今の自分なのだろうか?グルグルと優の頭の中に浮かんでくる疑問。綾が意地悪をして加工したのではないか、そう頭に過ったときだった――。


「あら?さっきの写真?良く撮れてるわね。うん。優君も可愛いわ」

「やはり鈴之塚君はスマートでカッコいいな。翔太君もハンサムだとは思っていたが。まぁオジサンの私からしたらどちらもイケメンだが。そう思うとやっぱり優は可愛い系だな。うんうん」

「ちょっと!また二人でそうやって甘やかして。コレのどこが可愛いのよ」


 いつものように会話を交わす二人に優は愕然とした。それは、そこに映る姿が自分であることの証明。グラグラと足元が揺れていく。自分を作り上げてきた今までの人生が物が音を立てて崩れだした。


 大きくなっていく体。それにつれて変わっていく姉の態度。クラスメイトの視線。女子の冷ややかな対応。そして、鈴之塚と自分の写真・・・。


「イヤァァアアア!!!ヤメテェェエ!!」


 優雅なデパートのカフェに狂乱する叫び。店内の視線が優に向けられた。

 綾は辱めのような写真を映し続けている。あの痴態がここにある、そう考えると恥ずかしくてたまらなかった。穴があったら入りたい。消えたい。それはもはや恥部を晒しているような感覚に近かった。


「これはなにかの間違えだ!ボクはボクはこんなんじゃないっ!!もっと可愛いはずだ!!」

「ゆっ優君どうしたの。落ち着いて!みんなが見てるわよ」

「汚っ!口から飛んだわよ!!」

「優、座りなさい!綾も優をこれ以上挑発するな」

「ボクはこんなんじゃないっ!こんなんじゃ・・・!綾の撮り方がわるいんだ!」

「はぁ!?人のせいにする気!?これが現実なのよ!」

「お、お客様どうかなさいましたか?」


 店員が慌てて駆け寄ると、周りがざわついていた。奥の客がクスクスと笑いながら優たちのテーブルを見ている。


「優君っ綾ちゃん静かに!」

「ボクはこんなデブブタじゃない!!」

「あぁーそうね!これじゃブタにも失礼よねっ」


 綾は持っていた鏡を優に突き付けた。そこには顔を真赤にさせ鼻の穴を最大限まで広げ、息を荒らげる無様で醜い自分が映っていた。


「アンタ見てるとイライラするのよ!昔は、昔はあんなに可愛かったのに・・・!」


 綾の声がわずかに震えていた。

 ――そのとき優の頬に生温い液体が流れた。食べかすが口の周りに付いていて本当に見苦しい。


「これが・・・ほんとに今の僕なの?」


 優は綾の鏡を両手で持った。脱力しソファに崩れ落ちると深く沈んだ。ぼたぼたと溢れてくる涙は、悲しいさよりも悔しさの方が勝っていた。


 今までなぜそんな態度をとられるのかわからなかった。しかし優はそれをようやく理解した。

 人は見た目ではなく中身が大事。そうは言うけれど、本当にそうだろうか?もし本当にそなら、どうして周りの接し方が変わったのだろうか。結局、人が気にするのは外見ばかりだ。優の心が黒く濁って行く――。優が唇を噛み締めると、口内にしょっぱさが広がっていった。


『手汗?アッハハ。面白いね、君。そんなの全然気にならないよ』


 鈴之塚の言葉が頭に蘇った。汗だくの手を躊躇わずに握る彼の微笑みが、荒んだ心を浄化していく。


「ヒクッ……綾。ボクもうダメかな?可愛くなれないかな・・・」

「なによ。急に泣き出して。今の生活を続けてたら十中八九無理でしょ」

「ボク昔みたいに可愛くなりたい」

「はぁ?今更どうし・・・」


 涙と鼻水を垂らす優。いつもより小さく綾の目には映った。


「可愛い素質はあるんだから、本気で変わりたいって思うなら努力することね」

「ほ、ほんと・・・?努力するよっ。ここから抜け出せるならなんだってする!」


 綾は目を丸くさせた。優のどろどろになった顔に光が差し込んでいくようだった。


「そうしたら、また鈴之塚さんと写真撮りたい」


 そして優は一大決心したのである。鈴之塚響の隣に並ぶ相応しい魅力を手に入れると――。

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