第5話 秋の空とブタの恋心
「へぇ~優の従兄って椿ヶ丘高なんだ。すげぇな。あそこ頭いいんだろう?」
「そこそこだよ。ボクの従兄そこまで頭良くないし」
「そりゃ主席のお前からしてみればだろ」
「来栖君」
「しっ静宮さん!」
箒を握っていた手に力が入った。振り返ると、静宮薫(シズミヤ カオル)が立っていた。クセのある黒い髪を高い位置で一つに束ねている。たまに覗くうなじは白く艶があり、他の女子よりも落ち着いて見えた。
「先生がね、掃除が終わったら進路相談のことで話しがあるから職員室に来いって言ってたわよ」
「あっぁありがとう。行ってみるね」
「もしかして来栖君、進路相談の紙まだ提出してないんじゃない?」
「えっ、そうか今日までだった。きっとそれだね!持っていかなきゃ」
静宮は言付けを済ませるとその場から離れていった。優は女子を話すことが少ない。そんな中でも静宮は二年から同じクラスということもあり、なにかと話しかけてくれると優は思っていた。
握っていたホウキから汗がダラダラと流れた。優は人より汗をかく。なにか悪い病気なのかと調べたら、代謝が良いと汗をかきやすいと至極真っ当な答えに行き着いた。
「おい。優、鼻息あがってんぞ」
「えっうそ!?」
もう少しだけ静宮と話したかったと心の片隅で思った。どんな話でもかまわない。物足りない気持ちを抱きつつ、静宮の後姿を見つめた。結んでいた黒い髪が左右に揺れた。すると、ポケットから花柄のハンカチが落ちた。静宮は気づかないまま歩いて行こうとする。
「静宮さん!」
優は咄嗟にその綺麗なハンカチを拾った。掃除をしていたためか、床に落ちたハンカチには埃がついていた。それを軽く払い静宮に手渡した。
「やっ!」
「えっ・・・?」
「あ、ごめんなさい。なんでもないの・・・。拾ってくれてありがとう」
静宮はそれを人差し指と親指でつまむように受け取り小走りで教室から出て行った。
「急に慌てて。どうしたんだろう」
「さぁ女子ってわかんねーよな」
「うん。ボクのお姉ちゃんも昔は優しかったのに今は別人だよ、鬼女の生まれ変わりかって思うときがある。それに比べたら静宮さんは優しいな」
「鬼女ってお前なー。ンでも確かに静宮は他の女子に比べたら優しいよ。顔もそこそこいいし、胸もデカいし。だけどアイツ彼氏いるらしいぜ。しかも高校生の」
優の胃の裏辺りがキュッと痛んだ。
「はぁ~俺たちの春はまだまだ遠いぜ」
「静宮さん彼氏いるんだ」
「俺もよく知らねーけど。あ、ここ掃除しとくから先に先生のところ行って来いよ」
「うん。ありがとう」
優は残りの掃除を北本にまかせ職員室に向かった。古びた校舎の窓から外を見るとイチョウの葉がすでに落ちていた。あと半年ほどで卒業を向かえる。優はそれまでに静宮と、もう少しだけ仲良くなり連絡先もを交換しいーーと薄っすら考えていた。吹き上げられた落ち葉がカラカラと空中を舞うとあっけなく落ちて行った。
「まぁ別に心配はしていないさ。来栖君の実力ならどこでも狙えるからね」
「はい。明日には提出します。失礼しました」
「気をつけて帰ってね」
「はい」
担任と話し終え職員室を後にした。階段を上ろうとしたとき、下駄箱にいた静宮の姿があった。
いつもと様子が違う気がした。少し離れた優の場所からもそれは感じ取れた。まわりには数名の女子が静宮を取り囲むようにいる。囲まれている静宮は肩を落とし目を潤ませて、泣いているように見えた。するとそのうちの一人と目が合った。――睨まれている。そう直感した優。女子たちは静宮を庇うようにし、木枯らしが吹き始めた寒空へ出て行った。
「優もう終わったのか?案外早かったな」
「うん」
「帰りにハンバーガーでも食べて行こうぜ。そんでさぁー今日の数学でわかんねーところあったから教えてくれね?俺奢るから」
「それくらいで奢らなくていいよ。ボクもちょうど復習したいところあったから行こう」
「授業料だって~よし!急ごうぜ」
「掃除任せちゃったし、それで大丈夫だよ」
「優は相変わらず優しいな~お前のそういうところまじ尊敬するよ」
優が教室に戻って来ると、支度を終えた北本が机の上に座っていた。勉強をしていたらしく、ぶつぶつと英単語を唱えている。
支度を整え教室から出ようとしたときだった。ゴミ箱の中に静宮のハンカチが捨てられているのに気がついた。
「どうした?」
「これ・・・!?」
「あぁなんかさっき女子が戻って来てなんか騒いでたけど。そのハンカチがどうかしたか?」
「静宮さんのだ!ボク渡してくる!!」
「静宮ならもう帰っ・・・てオイ!」
優は廊下を転げ落ちるように下りた。全身の脂肪が上下左右に大きく揺れてとても走りにくい。優の頭に、先ほど目を赤くしていた静宮の顔が浮かんだ。――もしかしたら、あの女子たちにイジメられているのかもしれない。一刻も早く彼女の元へ行かなければと、気持ちが前へ前へと進んでいくのに体が重すぎて動きが鈍っていた。
校門付近で静宮の姿が優の視界に入った。
「静宮さん!こ、これハァハァ、ハァハァ」
信じられないくらいに息があがっている。こんなに走ったのは、死にそうになった一年の校内マラソン以来だ。静宮が振り返っている。周りにいた女子たちも同じように足を止めた。
「ハンカチ!落ちて、て・・・ハァハァ静宮さんの」
息を切らしながら優は静宮の前へハンカチを差し出した。全力疾走のせいで、吹き出す汗がとまらない。それでも静宮のために精一杯走った。今なら綾がアイドルを見て画面に噛り付いている気持ちが、少しだけわかる気がした。
けれど、静宮は優から差し出されたハンカチを受け取らない。学ランで汗をぬぐいながら、優は静宮を見上げた。
「いらない」
「・・・え?」
「私それ捨てたの。もういらない」
言っている言葉の意味が理解できなかった。静宮は茫然とする優に背を向けた。
「捨てたってなんで?」
辛うじて動いた口。すると隣にいた女子が、一歩前に立ち静宮と優の間に割って入った
「アンタさっきそのハンカチで汗拭いたんでしょう?サイテー」
「そ、そんなこと・・・ボクしてない!」
優は『あの目』で見られていることに気がついた。綾と同じ目。自分を侮蔑する目。お前は同じ人間ではない―――境界線を引かれている。
「アンタが触ったハンカチなんてキモくて一生使えないって」
「人気のブランドで薫すっごい気に入ってたのに。廃棄処分行よ」
「アンタのせい!これ以上薫に近づかないで!ブタ!」
「アッハハ!ブタってそれはちょっと言いすぎでしょ!」
「だって~それより早く行こう」
吐き捨てるように言うと、女子たちは静宮に駆け寄った。自分たちは静宮の代弁者だと言わんばかりの言いようだった。まるでそれが正しいように。触った優に非があるかのように。小花柄の可愛いハンカチは優の手汗を吸収している。
小さくなった静宮の姿。その隣に男の人が近づいてきた。見慣れない制服だった。その男の人は彼女に触れている気がした。あの男には許されて、自分が許されないのはなんなのだろうと優の心が陰っていく。
けれど、考えてもわからなかった。優は『可愛い』と言われて育ってきた。可愛い自分は特別で、誰からも愛される存在。八方から見えない大きな壁が押し迫ってくる。息苦しさを覚える中、冬に向かう風が優の火照った体を通り過ぎていく――。
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