第4話 恥知らずのピッグは裸のまま

「ほぉ?それで?綾はどの子が好きなんだい?」


 つい先ほど、録画した映像を綾は繰り返し見ていた。帰宅した父が缶ビールをあけ晩酌を始めると、画面に噛り付く綾に尋ねた。


「この子!!この右の人!」

「緑の衣装の子かい?」

「違うわよパパ!それは海星クン!私の推しは夜空クン」

「ハッハハ。パパには同じに見えてしまうな」

「いやね、貴方ったら。私でもそれくらいわかるわよ」

「キャッ!また映った!」


 黄色い歓声を上げる綾を横目で見る優。綾は人気のアイドルグループにハマっているようだった。それが優には不思議でならなかった。赤の他人にそこまでの熱量を費やせるなんて。目の前の食事の方が、確実に欲を満たしてくれるというのに。優は綾の推しというアイドルを見た。――痩せれば自分の方が可愛い。


「フッ」

「なによアンタ。今笑ったわね!?」

「笑ってない」

「ウソ!笑った!腹立つこのチビデブタ!!」

「ボクはそのうち背が伸びるもん」

「はぁ!?まだそんなこと言ってんの?小学校からずっとデブブタのままじゃない」

「コラ綾ちゃん。そんな口の利き方やめてちょうだい。テレビもその辺にしてご飯食べちゃって」

「ったく。みんな優には甘いんだから」


 今夜は鍋だった。母は大鍋とは別に用意した小鍋を綾の前に置いた。少し前から、なぜか綾の皿は別だった。どうせ無意味なダイエットでも始めたのだろうと優は思った。中身はおそらく肉なしで、しらたきが半分以上の貧相な鍋のはず。

 優は綾が箸を取りに行っている隙に一人用の鍋を覗いた。グツグツと出汁のいい香りが空腹をそそる。鶏肉に目が奪われた。ググゥ~と机の下で大きな腹が主張を始めている。優の肉は全て食べてしまった。綾を見ると、キッチンで母と話している。一つくらい食べても気づかないだろう。それにダイエットしたいと言っていた。優の頭に欲望の囁き声が聞こえた。

 その鶏肉に静かに箸を伸ばした。よし!と心が弾けたと同時に背後から悍ましい気配ーー。優の後頭部にバシッと音と衝撃が走った。


「痛いっ」

「最低っ!なに勝手に人の物食べてんのよ」

「いいじゃないか。ちょっとくらい」

「最低最低最低!!!今直箸だったでしょ!?本当にサイテー!!せっかくママに頼んで別の鍋に用意してもらってんのに」

「えっなにそれ。ボクと食べるのがイヤなの?」

「当たり前でしょう!!デブ菌がうつる!もぉーママー優が口付けた」

「少しくらいいいでしょう綾ちゃん。早く食べなさい」


 優は言葉を失った。昔はあんなに可愛がってくれた姉が、今はばい菌のように軽蔑するのだ。母も仕方ないとは言え、綾の分を別の鍋に用意していたなんて――。優は箸を持っていた手をギュッと握りしめた。ここは一言くらいバシッと言うべきではないか。いくら年頃とはいえ、これは差別的な物と同じではないか。こんな家族間でこんな・・・こんな。優の目尻に涙を浮かべたときだった。


「そうだ。今度な翔太君の高校の卒業公演があるんだけどみんなで行かないか?」


 鍋から登る蒸気のように気の抜けた声で、不穏な空気を断ち切ったのは父だった。祖父と一緒に野球中継を見ていると、思い出したようにカバンからチケットを取り出した。

 翔太とは優の四つ上の従兄である。この辺りでは有名な進学校に通い、そこの演劇部に所属している。去年も家族四人で演劇を見に行ったのを思い出した。


「あら、翔太君もう卒業するの?早いわねぇ。こないだ入学したばかりだと思っていたのに」

「なんでも三年では部長も務めているそうだよ。今年は去年よりいい役を貰えたらしし、楽しみだな」

「私行きたい!帰りにデパート寄りたいな。夜空クンがつけてる香水が売ってるの」

「香水なんて中学生が早いだろう。優も行くだろう?」

「うん!ボクもデパートのパフェが食べたい。去年行ったところ」

「えぇ!?優もいくの?パフェ食べるだけなら別の日にしなさいよ。アンタ演劇とか興味ないんだから。去年もずっとヨダレたらしながら寝てたじゃない」

「いいじゃないの。久しぶりに四人で行きましょう」

「そうだぞ。翔太君もチケット四枚送ってくれたしな。会場に空席を作るのはよくない」


 あからさまに嫌そうな顔を見せた綾。口を窄めながら一人鍋を食べ始めた。先ほど優が手をつけた鶏肉を祖父にあげている。

 優の胸の内に、腹立たしいやら悲しいやらよくわらない気持ちが渦巻いていく。夕食を食べ終えたばかりだというのに優の腹は空腹だと周りに知らせてくる。立ち上がり、祖母が夕方作った豚煮をほくほくの白米の上に乗せた。甘酸っぱい香りに沈んだ気持ちが軽くなる。


 優はまだ知る由もなかった。数日後の舞台で、自分の人生を変える出会いが待っていることに――。

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