第4話 ホワイトワークス

 朝の光は白く静かだった。

 クラリスの部屋には、薄いレースのカーテンを通して柔らかな光が落ちている。

 壁も家具も白で統一され、影までも淡い。


 カレンは、部屋の入り口近くに直立していた。

 呼吸は定期的で、視線は正面に固定されている。


 クラリスはドレッサーの前で髪をかし、カレンを振り返った。


「カレン。今日から、あなたには新たな“役目”を与えます」


 声はいつもと同じ穏やかさだが、その奥に確かな意志があった。

 カレンは即座に姿勢を正す。


「了解」


 クラリスは櫛を置き、立ち上がる。

 白い足音が床に響いた。


「戦争は終わりましたけれど……政治というものは、平和と同じ顔をして争いますの。アストレア家は政敵も多く、わたくし自身、監視や圧力には日々晒されております」


 淡々とした声なのに、事実だけが鋭く響く。

 クラリスは窓辺に歩き、一息ついた後、続けた。


「だから、あなたを護衛に任じます。わたくしを守るための存在として」


 カレンは、その理由は理解しきれていないが、“護衛”という言葉だけははっきりと認識できた。


「……護衛。了解」


 クラリスは頷き、ワードローブを開ける。

 吊るされた衣装の奥から、布で包まれた長いケースを取り出した。


 机に置いて布をめくると――

 黒々とした金属が現れた。


 ブレイカーⅡ型(M-77)。


 砲身には浅い亀裂。

 古い焼け跡。

 室内の白の中で、異物のように浮かび上がる。


 クラリスは銃を丁寧に持ち上げ、少し楽しそうな表情で言った。


「旧帝国近接殲滅銃……ブレイカーⅡ型。型番は M-77……違いませんわね?」


 カレンは即答する。


「肯定」


 クラリスは、ほのかに誇らしげな笑みを浮かべた。


「父の書庫に、戦時資料がたくさんありましたの。お行儀が悪いと言われましたけれど、こっそり読んでいましたわ」


 それから銃身の亀裂に触れ、表情を引き締める。


「初めて会った時、大事そうに抱えてましたね。あなたにとって大切なものなのでしょう。けれど、このままでは使えませんわね。まずは修理が必要です」


 クラリスは銃を布で包み直し、カレンを振り返った。


「ついてきなさい。あなたの任務のために必要なことですわ」


 カレンは無言で従った。


 

 屋敷の奥へと続く長い廊下。

 白い壁と磨かれた床が途切れなく続き、

 足音だけが静かに反響する。


 カレンはクラリスの後を歩く。

 視線は揺れず、周囲に興味を向けることもない。


 やがて廊下の突き当たりに、外庭へ降りる階段が現れた。


 朝の空気は澄んでいる。

 クラリスの金色の髪が風に揺れ、光を受けて淡く輝いた。


 庭の奥に、地面に半ば埋まるような白い建物が見える。

 扉には、アストレア家の紋章。


 ホワイトワークス――


 アストレア家が誇る専属工房。


 クラリスは迷いなく扉を押し開けた。


 

 金属の冷たい匂いが漂う。

 内部は白を基調としているが、スパナの音、溶接の火花、試験器具の低い振動が響き、屋敷とはまるで世界が違った。


 作業台の周りでは、白衣を煤まみれにした技師たちが忙しく動いていた。


 だが――


 クラリスとカレンが入った瞬間、その動きが一斉に止まった。


 工具が音を立てて落ちる。


「……あれは……」


「……まさか、本物の“戦人形(ドール)”か……?」


「いや、処分されたはずだろ……?」


 呼吸さえ浅くなるほどの緊張。

 工房の空気が、固まったように動かない。


 クラリスは気にしないまま奥へと進む。

 カレンは無言でその後ろを歩く。


 工房の最奥から重い足音が響いた。

 大柄な男が姿を現す。


 肩幅は広く、白衣の袖がわずかに張っている。

 黒い髪には灰が混じり、額には古い傷跡がいくつもあった。


 歩くたび、床がかすかに鳴る。


 ホワイトワークス技師長――バルト。

 アストレア家が最も信頼を置く熟練工。


 しかし、そのバルトでさえ、カレンを見るなり一瞬だけ眉を揺らした。


 クラリスは丁寧に包まれた銃を差し出す。


「バルト。これを修理していただきたいのです」


 バルトは布をめくり、銃身を見た。

 その瞬間、目を見開く。


「……お、お嬢様。旧帝国製……近接殲滅銃、ブレイカーⅡ型……?」


 クラリスは落ち着いて頷く。


「ええ。M-77ですわ」


 バルトは深く息を吸う。


「なぜ、このような兵器を……?」


 クラリスは淡々と告げる。


「彼女の装備です。わたくしを守るために必要なものですの」


 工房がざわめく。


「護衛にDOLL……?」


「お嬢様が……?」


「本気なのか……?」


 クラリスは銃身の亀裂を示す。


「砲身が割れています。内部の摩耗もひどいでしょう? あなたであれば、修理は可能ですわよね?」


 バルトは技師としての意地を見せるかのように、震える手で銃を持ち上げた。


「……はい。ただし、状態はかなり悪い。分解と再調整が必要です」


 クラリスは静かに頷いた。


「お願いします、バルト」


 分解台へ運ばれたM-77を技師たちが囲み、作業を開始する。


 カレンは微動だにせず立ち続けていた。


 しかし――

 分解されていく銃身を見た瞬間、視線がわずかに揺れた。

 呼吸が、一拍だけ遅れる。


 その揺れを見たのは、工房の誰でもなく、クラリスだけだった。



 時間が過ぎ、バルトは分解した部品を広げながら言った。


「……お嬢様。申し上げにくいのですが……修理には時間をいただかねばなりません」


「どれくらいかかりますの?」


「最短でも……一週間ほど。砲身補強、内部の洗浄、機構の調整……すべてをやり直す必要があります」


 クラリスは迷わず答える。


「構いませんわ。丁寧にお願いします」


 バルトは深く頭を下げた。

 工房の中は、緊張した沈黙に包まれたままだった。


 クラリスはカレンへ向き直る。


「行きましょう、カレン。あなたには、明日、もうひとつ渡すべきものがありますの」


「了解」


 カレンは淡々と返す。


 白い工房の扉が閉まり、金属音が遠ざかっていく。


 外に出ると、朝よりも明るい光が差し込んだ。

 金属の匂いから解放された空気に、クラリスの金色の髪が静かに揺れる。


 カレンはその光を一度だけ見た。

 視線が揺れ、歩幅にわずかな遅れが生じる。


 工房の中で見た、分解されていく銃。

 その形が、揺れとして胸の奥に残っていた。


 ほんのわずか。

 かすかな変化。


 クラリスは横目でその変化をとらえた。

 静かに、気づいたことを胸の内へしまい、気づかないふりをして歩き続ける。

 まっすぐで、乱れない足取り。



 白い屋敷へ戻る道は静かだ。

 庭の風が二人の間を抜け、光の影を揺らす。


 歩調は揃っている。

 だが――


 カレンの足音は、いつもよりもごくわずかに遅れていた。

 その遅れは、本人が自覚できるほどのものではない。

 けれど、確かにそこに“変化”があった。



(つづく)

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