第21話「天使の血管」
【前回までのあらすじ】
辿り着いた村は『カルミナの園』と呼ばれ、住人たちは『聖灰』なる白い粉に溺れていた。カルミナの名を聞いたカイラスが真実を語ろうとした瞬間、呪いが発動し、口を封じられてしまう。
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喉を締め上げられるような幻痛が引き、俺は荒い息を吐きながら膝をついた。
視界の端で揺らめいていた赤いドレスの残滓が、嘲笑うように消えていく。
「はぁ……はぁ……ッ」
「カイラス! 大丈夫か!?」
レオンが駆け寄り、俺の体を支える。
リセラも蒼白な顔で水筒を差し出してきた。
部屋の隅では、ソフィアがまだ何かに怯えるように震えている。
「ああ、平気だ。持病の……神経痛が出ただけだ」
俺は嘘をついた。
真実を話そうとすれば、またあの『口封じ』が発動する。
カルミナはこの状況を楽しんでいるのだ。
俺たちが情報の格差に苦しみ、疑心暗鬼になる様を。
「神経痛で、あんな苦しみ方をするの?」
リセラが疑わしげな視線を向ける。
「それに、ソフィアの様子もおかしいわ。あなたたち、本当に……」
「今は俺の体のことより、村の話だ」
俺は強引に話題を変えた。これ以上追及されるとボロが出る。
「レオン、窓の外はどうだ?」
レオンは素直に話題転換に応じ、窓の隙間から外を覗いた。
「村人たちが騒いでる。さっき配られた粉を吸って……踊ってる奴もいれば、地面を転げ回ってる奴もいる。
祭りみたいだけど、なんか音が変だ」
「音が変?」
「うん。笑い声のリズムが揃いすぎてる。
それに、心臓の鼓動が速すぎる音が聞こえるよ。破裂しそうだ」
聴覚過敏のレオンには、村人たちの異常な生理反応まで聞こえているらしい。
「典型的な中枢神経刺激薬の反応だな」
俺は思考を『医師』モードに切り替えた。
カルミナのことは話せなくても、目の前の症状(げんじつ)を診断することはできる。
「あの『聖灰』の中身は、おそらくコカインやアンフェタミンに類する覚醒剤だ。
一時的にドーパミンを脳内に溢れさせ、多幸感と全能感を与える。
痛みも恐怖も、空腹すらも忘れさせる魔法の粉だ」
「痛みを感じなくなる……だから、怪我をしていても笑っていたのね」
リセラが嫌悪感を隠さずに言った。
「地下闘技場でも見たわ。恐怖心を麻痺させて、死ぬまで戦わせるための薬」
「ああ。だが、ここは闘技場じゃない。ただの貧しい村だ」
俺は冷たい水を流し込み、脳を冷やす。
「問題は供給源だ。あんな純度の高い薬物、この村で作れるわけがない。
誰かが持ち込んでいる」
「あのシスター……『聖女』か?」
レオンが問う。
「十中八九な。だが、奴がただの運び屋なのか、製造元なのかを見極める必要がある」
俺は立ち上がった。
「夜になったら偵察に行く。レオン、リセラ、準備を頼む」
「ソフィアはどうするの?」
「……ここに置いていくのは危険だ。連れて行く。俺の側から離れるな」
ソフィアは青ざめたまま、コクコクと小さく頷いた。
彼女も分かっているのだ。
この村全体が、あの女(カルミナ)の悪意に汚染されていることを。
◇
夜の帳が下りると、村は異様な静寂と喧騒が入り混じった空間へと変貌した。
家々からは、すすり泣くような声と、抑制の効かない笑い声が漏れ聞こえてくる。
薬の効果が切れかかっているのか、あるいは過剰摂取(オーバードーズ)でトリップしているのか。
俺たちは闇に紛れ、教会の裏手へと回った。
昼間の派手な装飾とは裏腹に、裏口はひっそりとしていた。
だが、そこから漏れ出る甘ったるい匂いは、昼間よりも濃厚だった。
「……いるな」
レオンが耳をピクリと動かす。
「中に一人。足音がふらついてる。……何か、硬いもので机を叩くような音もする」
俺はレオンとリセラに目配せをし、音もなく扉の隙間から中を覗き込んだ。
そこは、聖女の私室のようだった。
豪奢な家具が並んでいるが、どれも雑然と散らかり、床にはガラス瓶や銀の盆が転がっている。
その中央にある長椅子に、昼間の聖女が座り込んでいた。
「あぁ……っ、んぅ……」
彼女は、シスター服の袖を乱暴にまくり上げていた。
露わになったその腕を見て、リセラが息を呑む。
白い肌は、無残なほどに荒れ果てていた。
無数の注射痕。赤く腫れ上がった皮膚。
さらに、刃物で切りつけたような新しい傷跡が幾重にも重なっている。
彼女は震える手で、小瓶に入った液体を注射器に吸い上げ、躊躇なく自分の腕に突き立てた。
「……ふぅ、あぁ……きた、きたぁ……」
薬液が血管に押し込まれると同時に、彼女の身体がビクンと跳ね、恍惚とした表情で天井を仰ぐ。
瞳孔は開ききり、口元からは涎が垂れている。
昼間の慈愛に満ちた『聖女』の面影はどこにもない。
そこにあるのは、薬物に脳を焼かれた一人の依存症患者(ジャンキー)の姿だけだった。
「痛くない……これがあれば、私は天使でいられる……」
聖女はうわごとのように呟きながら、自分の腕のリストカット痕を愛おしそうに撫でた。
「見た目が大事……中身なんてどうでもいい……皮一枚、綺麗なら、それで……」
俺は眉間を押さえた。
予想はしていたが、現実はもっと酷い。
こいつもまた、カルミナの歪んだ教義の犠牲者だ。
いや、最も深く汚染された『検体』と言っていい。
「カイラス、あれ……」
リセラが小声で囁く。
「彼女自身が中毒者なの? 配っている本人が?」
「ああ。典型的な薬物依存だ。
自分で扱っているだけに簡単に薬物にアクセスできてしまう。」
俺は冷徹に分析する。
「厄介だな。金儲けのためにやっている悪党なら取引もできるが、信仰(ラリ)ってる奴に理屈は通じない」
その時だった。
聖女がふらりと立ち上がり、部屋の隅にある祭壇———
小さなカルミナ像に向かって、注射器を握ったまま祈りを捧げ始めた。
「ああ、カルミナ様……もっと、もっと『聖灰』を……
村のみんなも、もっと白くしてあげないと……」
彼女が振り向いたその拍子に、机の上のキャンドルが倒れた。
炎が書類に燃え移るが、彼女は気づかない。
痛みも熱さも、薬で麻痺しているのだ。
「……チッ、火事になるぞ」
俺たちが飛び出そうとした瞬間、聖女の背後の闇が揺らいだ。
ぬらりと現れたのは、村人ではない。
顔を包帯でぐるぐる巻きにし、両手に巨大なハサミのような武器を持った大男だった。
「——時間ダ。聖女サマ」
男の声は、押し潰されたように低く、不気味に響いた。
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