第7話「信頼という名の処方箋」(リセラ視点)
【前回までのあらすじ】
カイラスはリセラの「専属調教師」となり、同室で暮らすことになった。
だがリセラは「私に触れたら殺す」と氷のような拒絶を見せる。
そんな中、リセラの次の試合相手が発表される——若い人間の剣士。それは彼女の強迫行為を悪化させる「トリガー」だった——。
―――――――――――――――
リセラ視点―――――
カチャリカチャリ
私の手は止まらない。こんな事をしてもなんの意味もない。わかっている。わかっているのに止まらない。
カチャリカチャリ!
今日の相手は若い人間の剣士。最悪だ。このままでは————
「リセラ、このままじゃ試合で死ぬぞ」
カイラスの声。でも止められない。止まらない。
50回、60回、70回……
「……仕方ない」
彼が立ち上がり、私に近づいてくる。
「触るな!」
「触らない。ただ、少し楽にしてやる」
カイラスが両手を合わせ、奇妙な構えを作る。
人差し指と親指を伸ばし、まるで———
「処方箋(プラエスクリプティオ・マギカ)———ロラゼパム、2mg相当」
何を言っている?
彼の親指が倒れる。
「ふっ」
「処方完了(トリートメント・コンプリート)」
次の瞬間———
「ぐっ……!」
カイラスの顔が、激痛に歪んだ。
膝から崩れ落ち、鎖骨のあたりを押さえる。その顔は蒼白で、額には脂汗が滲んでいる。
「お、おい……!」
私の手は、いつの間にか止まっていた。
儀式が———止まった?
いや、それより———
「すまない……」
カイラスが苦痛の中で呟く。
「また……救えなかった……妹……」
妹? 何の話だ?
彼は数分間、石の床で苦しみ続けた。まるで見えない何かに責め苛まれているように。
私はただ、呆然と見ているしかなかった。
やがて、ゆっくりと顔を上げる。
「……大丈夫だ」
「大丈夫なわけがないだろう! 今の何だ!」
「これが代償だ」
カイラスは壁にもたれて、荒い息を整える。
「お前の儀式を止める代わりに、俺は……まあ、ちょっとした苦痛を味わう」
ちょっと? あれが?
「なんで……なんでそこまで……」
「お前を死なせたくないからな」
簡単にそう言って、カイラスは立ち上がった。
「さあ、試合の時間だ。今なら、落ち着いて戦えるはずだ」
私の中で、何かが変わり始めていた。
◇
試合が始まった。
相手は金髪の若い剣士。いつもなら、その姿を見ただけで息が詰まる。
でも———
違う。
頭が、澄んでいる。
相手の動きが、よく見える。
剣筋が、読める。
右上段からの振り下ろし———簡単に受け流す。
返す刃で、相手の剣を弾く。
体勢を崩した相手の喉元に、剣先を突きつける。
「勝負あり」
あっけない幕切れだった。
観客席から歓声が上がる。
「さすが狂姫!」
「今日はキレがいいな!」
でも、私の頭には、カイラスの苦しむ顔が焼き付いていた。
これが、彼の苦痛の対価……
◇
部屋に戻ると、カイラスが待っていた。
「よかった。楽に勝てたようだな」
「……ああ」
なぜだろう。素直に礼を言えない。
「調教師の権限で、上等な食事をもらってくる」
カイラスが部屋を出ていく。
私は壁に向かって座ったまま、その背中を見送った。
だが———
なぜか、不安になった。虫の知らせというやつだろうか。
気がつけば、私も立ち上がっていた。
食堂への道を、そっと後をつける。
薄暗い食堂で、カイラスが食料を受け取っている。
大丈夫だ。何も———
「よぉ、クソ美神(アドニス)」
巨体が、影から現れた。
ゴルガ。あの下品な狂戦士。
顔色が悪く、目が血走っている。
「クソはどちらかというとお前だろう」
「な、なにぃ!」
ゴルガの拳が振り下ろされる。
カイラスが必死に逃げ回る。
「処方箋(プラエスクリプティオ・マギカ)———グリセリン浣腸240ml」
「相変わらずおかしな技を使いやがって。
俺はお前に負けたせいで、三日間何も食っていないんだ。腹が空っぽなら、どうって事はない」
ゴルガがカイラスの首を掴み、持ち上げた。
「さあ、まずは服を脱がせるか……それとも……」
瞬間、私の体が動いていた。
音もなく背後に回り込み————
ガンッ!
剣の柄で、後頭部を打ち抜く。
「……は?」
振り返ったゴルガに、もう一撃。
正確に急所を打った。
「ぐぅ……」
巨体が崩れ落ちる。
私は剣を納めながら、カイラスを見た。
「大丈夫か?」
なぜ、こんな言葉が出るのだろう。
「あ、ああ……助かった」
「ふん。調教師が殺されたら、私が困る」
本当は違う。
この男を、失いたくなかった。
初めて、私を『人間』として見てくれた男を。
◇
部屋への帰り道。
「リセラ、ついてきてたのか?」
「腹が減ってたんだ」
嘘だ。自分でも分かっている。
「ありがとう、リセラ」
「……別に」
でも、少し嬉しかった。
部屋に戻ってから、私は口を開いた。
「お前は、変わっている」
「そうか?」
「他の奴らは、私を『狂姫』としてしか見ない。化け物か、見世物として」
私は壁を見つめたまま続ける。
「でもお前は、何か違う」
「ああ、違うと思うぜ。俺はリセラを患者としてみている?」
「患者?」
「病気を持った、一人の人間という意味だ」
一人の、人間。
その言葉が、胸に温かく響いた。
「変わった奴だ」
「よく言われる」
カイラスが苦笑する。
この男なら、もしかして————
信じてみても、いいのかもしれない。
◇
翌日の午後。
「美神(アドニス)と狂姫、支配人様がお呼びだ」
二人揃って、支配人の部屋へ。
豪奢な部屋で、支配人が上機嫌にワインを飲んでいた。
「狂姫、昨日の試合も見事だったな」
支配人が満足そうに笑う。
「いつもは苦戦する若い剣士相手に、あっさり勝利とは」
「……」
「美神(アドニス)、いや調教師の『調整』が効いているようだ。褒めてやろう」
カイラスが軽く頭を下げる。
支配人が、にやりと笑った。
「これなら安心して、ウェーザー公爵をご招待できる」
ウェーザー公爵?
「三日後、公爵が特別にこの闘技場を訪問される。狂姫の御前試合だ」
違う。
違う、違う、違う。
「公爵の護衛も同行される。『剣聖』ユリウス殿だ」
剣聖———ユリウス。
その名前を聞いた瞬間、世界が凍りついた。
体中の血が、氷になっていく。
「リセラ?」
カイラスの声が、遠くから聞こえる。
立っていられない。
息ができない。
「おい、リセラ!」
カイラスが私を支える。
でも、頭の中は、あの名前でいっぱいだった。
父上が————
父上が、来る。
会えない……会いたくない……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます