第22話 初めての商談

「へへっ、冗談冗談。……で、どれくらいなら買わせてくれるん? こんなえぇ麦そうそうあらへんし、できる限り頑張らせてもらうでぇ」


 エリーゼさんがなんか胸の前で両手を重ねてもみもみしてる。噂には聞いてたけど商人さんってホントにそのしぐさするんだ、なんて妙な感慨にふけりつつ、私は事前にトマスさんとすり合わせておいたラインを提示する。


「とりあえず、麦は一俵あたり銀貨七枚、十俵まででしたら」


「オッケー、全部もらおうか」


「はやっ!?」


 いや、即決過ぎない? 銀貨七枚って決して安くないどころか、私が勉強してきた限りだとよっぽど上質な麦じゃないとつかない値段だよ? 確かにいい麦がとれたとは思ってるけど、買いかぶりすぎじゃない?


 ……なんて驚いていると、エリーゼさんはにやりと口角を上げた。


「王女殿下、あんたこの麦の価値をまだちゃんと把握しとらんな? ついでにトマスのおっちゃんもや。この質の麦をそんな額で売りさばいとったらそこらじゅうの高級麦の生産者を敵に回してまうで」


「そ、そんなに……? というか、なんでトマスさんの名前が――」


「阿呆、自分で農作業もしたことないやろう王宮育ちの嬢ちゃんが、たった一人で麦の適正価格なんてつけられるかいな。事前に打ち合わせとることくらい想像つくわ。……ま、トマスのおっちゃんもろくに売る経験なんてなかったろうし、五十歩百歩ってところやけどな」


 ……なんていうか、完全に見透かされてたんだね。やっぱり経験不足はどうしようもない、か。


「……でしたら、いくらくらいが妥当だと思われますか?」


「本来はそれをこっち側に委ねるのも危ないんやが……まぁでも、その素直さに免じて今回は正しく教えたる。うちの見立てやと、この質の麦なら一俵銀貨十五枚で仕入れても十分すぎるくらいおつりがくるな」


「じゅ、十五枚……!?」


 思わず絶句してしまう。


 私が王宮で学んだ知識によれば、一般的な農民なら銀貨五十枚あれば一年間は健やかに暮らせるらしい。仮に十俵売れば三人分、何なら食料や来年の栽培に必要な分を差し引いて売っているから、実際にはもっと多くの領民が恩恵にあずかれるだろう。元から生活水準が低いここの領民ならなおさらだ。


「うちが相手やなかったらそのまま銀貨七枚で持ってかれて八枚分の大損や、金で命は買われへんが、命を長らえさせることはできる。値決めはもっと慎重にならんとあかんで」


「き、肝に銘じます……」


 得意げに胸を張るエリーゼさんからは、様々な思惑が渦巻く商売の世界を生き抜いてきた風格のようなものが感じられて、私は素直に頭を下げるのだった。


「それで、一俵あたり銀貨十五枚でえぇか? まさか買って帰ると思うとらんかったからちぃとばかり持ち合わせが足りんし、いったん契約だけでもさせてほしいんやけど」


 エリーゼさんは言いながらどこからともなく紙と羽ペンを取り出す。よほどほれ込んでくれたのか、もうここの麦を逃す気はないって感じだ。


 実際、こっちで考えていたよりも倍以上の高値を付けてくれたわけだし、これだけあれば当然領民の皆さんの生活だって楽になる。


 唯一懸念点があるとするなら、エリーゼさんの値付けが本当に妥当かどうか。だけどこれはもう確かめようがないし、少なくともこちらの要望よりも金額を上げてくれているわけだから、その事実で飲み込んでもいいんじゃないかと思う。


 つまり、私としては断る理由なんてどこにもない。


「……あ、あのっ」


 ……だから。


「も、もうちょっとお安く、お譲りできないでしょうか」


 予想外の人物――ミラちゃんの声が割り込んで来て、思わず固まってしまった。


「……ミラちゃん? あんた、何言うとるかわかっとる? あんたらが精魂込めて育てた麦を、とびっきり安く売ろうとしてんねんで? どこに気ぃ遣っとるんか知らんけど、それでおっちゃんたちに顔向けできるんか?」


 口調は穏やかだけど、エリーゼさんの言葉には確かな厳しさがあった。


 無理もない。エリーゼさんの言葉を借りれば、『命を長らえさせることができる金』をみすみすどぶに捨てようとしてるとしか聞こえない提案だもん。私だって理解が追いついていないというか、あのミラちゃんがこうやって率先して意見を言ってる時点で驚きに言葉が出ない。


「わかって、ます」


 でも、ミラちゃんはハッキリと言い切って頷いてる。その顔にはいつものおどおどした様子も、周囲を伺うような弱々しさも見えなくて。


 いよいよもってエリーゼさんの表情が困惑で満ちた直後――ミラちゃんはふわりと微笑んだ。


「だって、これでようやくエリーゼさんに恩返しができるんです。おじいちゃんもみんなもきっと、同じことを言ったと思います」


 ――あぁ、そっか。


 単純なことだ。この集落の存続には、間違いなくエリーゼさんの献身が欠かせなかった。それに報いることができる機会を、どうして逃す手があるだろうか。


 それは、まだここにきて日が浅い私にも――そして、当の本人たるエリーゼさんにもきっと足りなかった視点。エリーゼさんが師匠の恩返しでこの集落を贔屓にしているのなら、この集落の皆さんだってエリーゼさんのためになりたいに決まってる。


 ――何から何まで、浅はかだったなぁ。


 自分の至らなさについ心の中でため息が出てしまうけど、今は反省してる場合じゃないよね。


「……一俵あたり銀貨十枚、二十五俵まででいかがでしょうか。これが今私にできる、最大限の誠意です」


 私の言葉に、ハッとしてミラちゃんがこちらを見る。


 麦俵二十五俵というのは、今年の収穫分のうち集落で消費する想定の分量を除いた全量になる。それはつまり、エリーゼさんに集落の麦をすべて託すという意思表示だ。


 どうやらミラちゃんにもその意図は伝わったみたいで、私がそっと微笑み返すとぺこりと大きく頭を下げた。


「……はぁっ、なーんで交渉もしとらんのに値引きされとんのかいな」


 エリーゼさんは参ったとばかりに両手を挙げて苦笑する。


「しゃーない、今回は初取引やしそっちの好きなようにしたらえぇ。ただ、次からはきちんと適正価格で取引や。うちにもまっとうな商人の意地があるさかいな」


「はい。ありがとうございます」


「礼を言うのはこっちの方やで、全く。……にしてもミラちゃん変わったなぁ。これも想い人のおかげって訳やな?」


「……はぇっ!? だ、だだだだだからそんなんじゃなくてぇっ!!」


「誤魔化さんでもえぇっって。ほら、かっこいいとこ見せられてよかったなぁ?」


「……災厄の化身を形作りし水流よ――」


「ちょっ!? なんか大して魔法使われへんうちでもわかるくらい魔力集まってへんか!? わかった、からかったんは謝るからストップストップ!!」


 急に矛先を向けられたミラちゃんが真っ赤になってエリーゼさんをポカポカ叩いてる……と思ったら一気にヒートアップしてる。うん、こんな地下で上級水魔法なんてぶちまけたら大変なことになるからやめようね。

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