第1話 始まり

 5つの大陸の内の一つである最大の大陸≪フォルフェイス≫の最南端の島。その深い森の中で、紫髪の青年ムーン・レオルカは依頼の獲物と対峙していた。

彼の前に立ちはだかるのは、四メートルを優に超える巨大な黒い熊――漆紋熊ロートルスベア


「こいつか、家畜を襲ってるってのは…悪いが、被害が出た時点で駆除だ」


(最近姿を見ねぇと思ったが…餌を求めて町に近づいてきたか)


 そう考えてる瞬間、熊が唸り声を上げて突進してくる。

引っ掻き、噛みつき――だがムーンは涼しい顔でそれらをかわし、目の前の巨体を見据えた。


「当たらねぇよ。速いだけで動きが単調なんだよ」


 噛みつきの瞬間、ムーンは地を蹴って後ろへ滑るように下がり――

 その動きのまま、腰の鞘から剣を抜いた。

 抜かれた刃は、剣身まですべてが深い黒。鍔には淡く光る宝石が埋め込まれており、まるで“魔剣”と呼ぶにふさわしい不気味な存在感を放っていた。


 次の瞬間、黒い軌跡が一閃し、熊の頭が縦に割れる。


 静寂。


 ムーンは胸元に視線を落とす。避けたはずの胸に、鋭い爪の跡が残っていた。


「あ痛ってぇ……あんなこと言っときながら普通に当たっちまった。そうだった、こいつ爪が伸びるんだったな。忘れてた」


 ムーンは周囲に気配がないか目を走らせ、服を脱ぎ、応急用包帯で傷を強く縛る。


(依頼は完了。はぁ…傷は深くないからすぐ直るか)


そうぼやきながら森を抜ける。


 森を抜けた瞬間、風が一気に軽くなる。

揺れる草の海の向こうに、本物の海が静かに光っていた。

自然の青が二重に重なり合い、どこまでも穏やかに広がっている。

 依頼を完了したムーンはその草原にしばらく寝そべり、空を見上げていた。

 

ふと、ひとつの記憶がよみがえる。

 ――焚き火の明かりが夜風に揺れていた。

焦げた薪の匂い、弾ける音、暗い空に舞う火の粉。

その向かいに座る老人――ムーンの師匠が、火を見つめたまま口を開く。


「あの船…部品が全然ないって…ライトが言ってた。船…使えないのかな」

 幼いムーンの声には、不安と期待が入り混じっていた。


「使えなくはないぞ」


師匠は薪を突きながら、低く笑う。


「あの船は飛ぶことはできるが……行けるとこは限られてくるって話だ。穏やかな環境を旅するならあのままでもいいな。ただそうじゃない場所なら部品は必要になってくる」

 

 火のはぜる音が、静けさを埋める。


「う〜ん、作れたりしないのかな〜?」


ムーンは焚き火に小石を投げ、ぱち、と火花が散った。


 「無理だな」


  師匠はきっぱりと言い切る。


「どれも失われた技術や素材でできてる。ライトのやつは幼いながらも優秀だが……どんなに成長しようが代替えすら作るには至らない」


 ムーンは唇を尖らせ、火の揺れを覗き込む。


「じゃあさ、部品……全部集めてたらどうなるの?」

 

 その問いに、師匠は口元だけで笑い、夜空を見上げた。


「それは集めてのお楽しみだな、だはは」


「えぇ〜教えてくれても良いじゃん!」


 焚き火の音とともに、師匠の笑い声が夜空へと溶けていく。

 ――そして今。

 潮風が草原を渡り、青年の頬を撫でた。


ムーンは目を閉じ、静かに息を吸い込む。


「……全部集めりゃ、どんな景色が見られるんだろうな」


  青年のつぶやきとは裏腹に、その顔に陰りはない。次に広がる景色を思い描きながら、胸の奥で小さく、けれど確かに期待が膨らんでいく。


「おいムーン……」


 声がした方に目をやると、小さな丘を駆け上がってくる男の姿があった。金髪を片側に流した高身長の男であり、陽光を浴びて揺れる髪と鋭い眼差しが印象的だ。鍛え上げられた肉体は装備の下でも隠しきれず、とくに片腕にだけ装着された重厚なガントレットが、ただならぬ存在感を放っているのはライト・アレスであった


「寝るなら、船で寝てろ。わざわざ離れたとこでくつろぐな」


 ライトは軽口を叩くその口調とは裏腹に、どこか呆れた色が目元に浮かんでいた。


「いやいや、もうすぐここを離れるんだ。我が故郷の風を感じ、この美しい草原で一度はくつろごうと思ってね。」


 ムーンは、どこか芝居がかった口調で返す。


「おい、その包帯……」


 ふと、ムーンの胸元から覗く白い布に、ライトの視線が止まった。


「あー依頼で少しね、浅かったから大丈夫」


「またか……まぁいい、それより身支度は終わってるのか?」


 何ともないような顔するムーンに、ライトは特に気にすることなく話題を変える。


「ライト、オレはもともと持ってくもんなんてない。とっくに終わったよ。そっちはどうなんだ?工具やらなんやらでたくさんあるんだろ。もしかして手伝った方がいい?」


 ムーンは寝転がったまま、のんびりと答える。


「結構だ……俺はもう終わる。それよりリアラがもう町に着く時間だ。迎えに行くんだろ?」


 さっさと行けと言わんばかりに遠目に見える集落を指でさしながら言う。


「おっと、もう行かないと。ライト、あれ借りるぞ」


 ムーンはそう言うと、軽く手をひらひら振ると、ぱっと身を起こし、ライトがさした方向に向かって丘を軽やかに駆け下りていった。


(リアラとは、こうして顔合わせるのは数年ぶりだな。確か、師匠が魔法医学を学べる場所に連れて行ったんだったか。昔のリアラは周りの女の子よりも小さかったな...昔と今どう変わってんだろうな?)


 そう思いを馳せながらムーンは町へ向かうため準備を進める。

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