6分完結 | リセールバリュー
@ara_ara_xx
6分完結 | リセールバリュー
「よし、売れた。」
普段は過去を振り返るようなことはしないが、この時ばかりは過去の自分を褒めてあげたくなる。何かを買うときには、それがいらなくなったときに備え、それが売りやすいかどうかを考える。売りやすい、ということは多くの人に求められる、ということだ。多くの人が欲しがり高く売れるものはリセールバリューが高いと言われる。当然、有名なブランドはリセールバリューが高い。またバッグといえばこれ、化粧品といえばこれといったいわゆる定番モノが一番売れやすい。売ることを前提として買うわけではないが、買ってみて自分に合わなかったり、一見問題ないが自分にとっては致命的な欠点があることがわかることはよくある。やはり自分にとって価値があるかは手にしてみないとわからない。人に売ることは捨てるのに比べたらエコだし、何より金銭的に得だ。大きいものだと処分することにお金がかかることもあるし、他人であれば自分以上にそのものに価値を見出すこともあるだろう。今売れたバッグも、有名な高級ブランドの定番のバッグである。誰でも目に付くデカデカと刺繍されたブランドロゴに、たいしてモノが入らないが身に着けやすい小ささ、無難でどんな服にも合わせやすい黒。買う前にリセールバリューを意識していたからこそ、今これだけの値段で売れたのだ。ほこりがつかないようビニール袋に入れていたバッグを取り出し、リビングのテーブルに置く。このバッグはこれから人のものになるのだ。なるべく綺麗な状態で渡したい。バッグのポケットに何か入っていないか、目立つほこりや傷がないかあらためて確認する。しかし私は知っている。バッグの内ポケットのファスナーを開けて左端の奥を触ると、小指の先ほどの穴が空いていることを。いつから空いていたのかはわからない。しばらく使っていないと気づかない程度の穴だ。だから商品説明には書かなかった。新しく使う人は気にしないだろうし、そもそも気づかないだろう。押し入れに向かい、先月Amazonから届いたダンボールを手に取る。このダンボールがバッグに比べて十分大きいことは確認済みだ。畳んでおいたダンボールの底を組み立て、バッグをビニール袋に戻し、ダンボールに入れる。少しすき間があるのが気になった。緩衝材のためのプチプチを取りに行くのを忘れたので、また押し入れに向かおうとした時、ソファに座っていた夫に声をかけられた。
「今ちょっといい?話したいことがあるんだけど。」
話したいことがあれば前置きなど入れずすぐ話し始める夫である。何か決心したような口調だった。私の生活が変わる予感がした。
「何?話って。」
ソファに座る夫の隣に座ろうとしたが、テーブルで話したいと言われたので、梱包途中のバッグを床に置いて、テーブルのイスに座った。
「あの、別れようか。」
「別れるってどういうこと?」
「いや、離婚しようってこと。」
「なんで?」
「別れた方がお互いのためだな、と思って。」
「そう。」
数秒沈黙が続いた。やけに長く感じた。
「そうね。別れよう。」
私たちの結婚生活は、たった数回の言葉のやりとりで終わった。私の返事に対して目の前の男が頷いた時、もう夫婦という関係はなくなったように感じた。離婚届を書いたわけでもないのに、もう自分は独身になったのだと、自分の頭の切り替えの速さに驚いた。男はうつむいていた。私は男が何かを話し始めるのを待っていた。私に何か言いたいこと、言っておきたいことはないのか。決して求めているわけではない。どちらかというと、試しているのかもしれない。何か私に言うべきことはないのかと。長く続く沈黙に飽き飽きし、中断していた梱包途中のバッグに目をやる。男はそれを見逃さずぶっきらぼうに言ってきた。
「それ、俺が買ったバッグだよな?」
そうだ。このバッグはこの人が買い、私がもらったバッグだ。去年の夏、銀座のデパートに行ったときに「どれが欲しい?」と突然聞かれた。誕生日でもないのに、サプライズのつもりだったのだろうか。店員さんもいる手前、ここで断ると夫の面子が立たないのではとしぶしぶ受け入れ、店員さんに一番定番のバッグを聞いて選んだ。せっかく高価なものを買うならもっと慎重に、下調べをして選びたかった。高収入の夫にとっては些細な買い物だったのかもしれない。お金を払ったのはこの人だが、このバッグは私のものだ。そう思ったが反論する気はなかった。反論して逆上されたらたまったものではない。そんなリスクを冒してまで、他人に本心を言う気はない。
「前も俺が買った財布売ってたよね?3ヶ月ぐらい前。」
まるで別れる原因を作ったのは私だと責められるような展開に、私は紡いだ唇が開くのを抑えられなかった。
「浮気したよね。」
男は目を逸らした。何も言い返してこない。特に否定するつもりはないようだ。私は事実を確認しているだけだ。無駄に誤魔化そうとされるより都合がいい。
「私が気づいたのは去年の11月ごろ。浮気するならLINEの通知は切らないと。」
私はすべて分かっている、という事実を突きつけるように話を続けた。
「私と別れてどうするの?」
返事はない。男の顔はさっきよりも下を向いている。
「mihoと結婚するの?」
男はぎょっとして私を見た。男はさっきまでうつむいていたのが嘘のように、私を凝視している。
「知らないと思った?mihoは私が連れてきたんだよ。初めて会って3ヶ月で結婚か。それだけあなたはmihoにとって価値のある人だったんだね。」
男は黙っている。黙りたくて黙っているのではないようだ。たった一滴程度のわずかな謝罪の気持ちはあるようだが、それを表す言葉が見つからないのか、あるいは見つかったとしても声に出したくないのだろう。高学歴でプライドの高い男である。数分前まで夫だった男の気持ちはさすがに少しはわかる。これ以上話すことはないが、私が付けられた傷をこの男に少しでも付け返したいという思いはある。しかし、この男はこれから人のものになるのだ。これぐらいにしておこう。男の態度で十分事実を理解できた私は、家の鍵を手に取り玄関に向かった。スニーカーを履いて玄関のドアを開けると、どんよりとした空が待ち構えていた。まだ梱包し終わっていないことに気付いたが、家の中には戻りたくない。いつも通り最寄り駅に向かって歩き出そうとしたが、立ち止まってスマホを取り出した。今日は土曜、まだ昼前だ。今なら市役所が開いている。電車は使わず歩いていくことにした。
次の日、ソファに座っているとスマホの通知音がなった。元夫は昨日から帰っていない。ここはもう私だけの家である。スマホを手に取り、通知内容を見る。受取評価がされたようだ。体に少しの緊張が走る。出品者である私に不都合はないが、商品を受け取った購入者は何か不満があるもしれない。手にしてみないと分からないというのは相手も同じだ。受取評価の内容を見るには、出品者である私も評価しなければならない。ここ数年の物価上昇や賃上げの影響により、思っていた以上に高く売れた。何も不満はない。不満はないが、コメントを書く気分にもなれなかったので、テンプレの文章をそのまま入力した。
出品者の評価:良かった
コメント:お取引ありがとうございました。
出品者:TOMOKO
受取評価の画面を見る。コメントは読む気はしなかった。評価が「残念だった」ではないことだけ確認し、スマホをソファの反対側に放り投げる。2人掛けのソファは、放り投げたスマホと私だけでは埋まらないほど広かった。このスペースを何で埋めるかは、また考えよう。
受取評価:良かった
コメント:この度はお取り引きありがとうございました。昨日、無事に私のもとに届きました。購入にいたるまでいろいろご協力いただきありがとうございました。掲載されていた商品説明の内容から、私の希望通りであることは確認していましたが、実際に商品を見せていただけたことで安心して購入に踏み切れました。購入後も、スムーズに私のもとに届いたので安心しました。まだ籍は残っているということで、離婚届は近々書きに行かせます。
購入者:miho
6分完結 | リセールバリュー @ara_ara_xx
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます