第36話
雪雲が割れ、一直線の光が地上へと降り注ぐ。
その輝きは、先ほどまでのピクシーやスプリガンが放っていた青白い燐光とは、次元が異なっていた。神々しく、絶対的で、そして身震いするほどに無機質な純白。
光の柱の中から現れたのは、人型をした異形の精霊だった。
背中には幾何学的な光の翼が六枚。顔があるべき場所には目鼻がなく、ただ巨大な単眼が一つ、無感情に地上の人間たちを見下ろしている。
個体識別名『セラフィム』。
このエリアの浄化を担当する、上位管理個体。
『――嘆かわしいですね』
美しいバリトンの声が、鼓膜ではなく脳内に直接響いた。
『貴方ですね。我が愛しき人類に、野蛮な暴力を教え込んだ旧時代の亡霊は』
セラフィムの単眼がラデクを捉えた。
瞬間、ラデクの肌が粟立った。本能が、目の前の存在を勝てない相手だと警告している。それでも、ラデクは不敵に笑い、血のついた歯を見せつけた。
「亡霊で悪かったな。……あいにくと、易々と成仏する気はねえよ!」
ラデクが地面を蹴る。コンクリートが砕け散るほどの踏み込み。身体強化魔法を限界まで回し、赤い稲妻となってセラフィムへと突っ込む。
同時に、イルゼがサイドステップで射線を通し、神速の早撃ちを見せた。
「援護するわ!」
放たれた二発の.50口径弾は、寸分の狂いもなくセラフィムの単眼へと吸い込まれていく。ラデクの打撃と、イルゼの狙撃。先ほどの軍勢を屠った必勝の連携。
しかし。
『この程度ですか。残念です』
セラフィムは避けることすらしなかった。
イルゼの弾丸は、敵の身体に触れる直前でピタリと静止し、灰となって崩れ落ちた。物理障壁ですらない。物質分解魔法。接触した物体の原子結合を強制的に解除する、最強の盾。
「なッ……!?」
驚愕するイルゼを横目に、ラデクの拳が突き刺さる、はずだった。けれどイルゼが目にしたのは。戦場全体に鈍い衝撃音と共に、ラデクの身体がボールのように弾き飛ばされる姿だった。
「ラデク!?」
数メートル後ろの瓦礫の山に叩きつけられ、ラデクは激しく咳き込んだ。攻撃が通じない。それどころか、触れることすら許されない。
『学習しなさい。物理法則など、我々の前では無意味です』
セラフィムが指先を向ける。それだけで、見えない重圧が二人を襲った。
空気が固形化したかのように重くなり、自由を奪われる。
「くそ……身体が……!」
「重力制御……!? こんな出力を、単独で……」
イルゼが歯噛みしながら銃を構え直すが、照準が定まらない。
二人は足掻いた。ラデクは瓦礫を蹴って死角から飛びかかり、イルゼは閃光弾や炸裂弾などあらゆる弾種を試した。けれどすべての抵抗は、子供の遊びのようにあしらわれる。
圧倒的な力量差。
それは戦いと呼ぶにはあまりにも一方的で、戯れに近い時間だった。
『終わりです。……まずは、そこな
セラフィムの周囲に、圧倒的な魔力を秘めた光球が展開される。そこに込められた魔力は、先ほどのピクシーやスプリガンの全てを足しても全く及ばない程。
その照準が、イルゼに向けられた。
「ッ――」
イルゼの脳内で、無数の警告音が鳴り響く。
回避不能。
防御不能。
生存確率、0%。
(終わる……)
彼女が死を覚悟し、反射的に目を閉じたその時。
『消えなさい』
光の雨が放たれた。
けれどイルゼを焼くはずの熱は、いつまで経っても来なかった。
代わりに聞こえたのは大気を震わせる轟音と、男の咆哮。
「おおおおおおおッ!!」
イルゼが目を見開くと、そこには信じられない光景があった。
ラデクが、イルゼの前に割り込んでいた。彼は逃げることも、耐えることもしていない。身体強化魔法を限界まで、いや限界を超えて発動させ、放たれた光の奔流に対し、真っ向から拳を突き出していたのだ。
赤黒い魔力の衝撃波が、セラフィムの閃光と衝突する。
拮抗したのはほんの一瞬。
ラデクの拳が、物理法則をねじ曲げるほどの出力で光の雨を弾き飛ばし、霧散させていく。
圧倒的な輝きを見て、イルゼが息を呑む。
だが引き換えに支払った代償は、あまりにも大きかった。
すべての光を弾き終えた瞬間、ラデクはその場に膝をついた。
「ぐ、ぅ……ッ」
右腕が、だらりと垂れ下がっている。コートの袖は消し飛び、露出した腕は焼け爛れ、見るも無惨な状態になっていた。皮膚が裂け、筋肉が断裂し、絶えず痙攣している。 それは一見すると、二度と腕が使い物にならないような深手だった。
「ラデク!!」
「……騒ぐな、大丈夫だ。……それにまだ終わってないぞ」
ラデクは脂汗を流しながら、勝気に笑ってみせた。
イルゼは駆け寄り、彼の体を支える。彼女は理解できなかった。ラデクはどうして、知り合って間もない私のような人間を、ここまで全力で守ろうとするのだろうか。
彼はどうして、いつも傷つきながらも、誰かを守ろうとするのだろうか。
「どうして……私なんかを……」
「……わからないのか。案外お前も馬鹿だな」
ラデクの息は荒く、視線も定まっていない。
それでも彼はイルゼを安心させるように、微笑みながら悪態をつく。
「わからないわよ! 貴方がそこまでした私を庇うメリットなんて一つもない! 私は作られた偽物なのよ!? ただの紛い物なのに……!」
イルゼは叫んだ。溢れてくる涙が止まらない。
こんな機能、私には実装されていないはずなのに。胸が張り裂けそうに痛い。
「……プログラムで、涙が出るかよ」
ラデクの声は小さかったが、確信に満ちていた。
「計算だけで、他人のために命を懸けられるかよ」
ラデクの手が、イルゼの胸――心臓のある場所へと滑り落ちる。
「痛いんだろ? そこが」
「……うん、痛い。すごく、痛い」
「なら、それは本物だ」
ラデクは、真っ直ぐにイルゼを見つめた。
「お前は作られた存在かもしれない。それでも、そうやって誰かを心配するその心が……偽物なわけがねえだろ」
その言葉が、イルゼの中の「何か」を決定的に書き換えた。
イルゼが感じていた違和感。
エラーだと思っていた胸の痛み。
それはバグじゃなかった。
人間であることの証明だったのだ。
――ああ、そうか。私は兵器じゃない。
ラデク・クラルという一人の人間を、自分を守ろうとしてくれる全ての人たちを、ただ守られるだけじゃなく、守りたい。それこそが、ただのイルゼ・ノヴォトナだ。
答えに至ったイルゼの脳内で、今まで閉ざされていた扉が開く音がした。
『システム・オールグリーン』
『感情リミッター、解除』
『
イルゼの瞳から、涙が消えた。
代わりに宿ったのは、世界中の色彩を閉じ込めたような、鮮やかな虹色の光。
『さて。そろそろ終わりにしましょうか』
上空で、セラフィムが退屈そうに再度光球を展開する。
「……ええ、終わりよ」
イルゼは空を見上げた。
その全身から、瞳と同じ虹色の波動が立ち昇り始める。
それは魔力ではない。世界を構成する魔力の法則そのものを、根底から否定し、書き換える拒絶の輝き。
「貴方は言ったわね。この程度かと」
イルゼが一歩、踏み出す。たったそれだけで、周囲の大気が悲鳴を上げた。虹色の波動が波紋のように広がり、雪が舞う世界を幻想的に染め上げていく。
「確かにそうかもしれない。私たちは脆くて、非効率で、愚かだわ。……でも」
イルゼが右手を空に掲げる。
その掌に、極彩色の光が集束していく。
「誰かを想う心は、貴方たちみたいな空っぽの道具より、ずっと強い!」
『……な、何です、その光は!? 計測不能!? あり得ない!!』
セラフィムの単眼が、初めて動揺に揺らいだ。イルゼの放つ虹色の波動が、セラフィムの支配領域を侵食していく。常時展開されていた魔法陣にノイズが走る。完全無欠だった演算に、致命的なエラーが発生する。
「私は人類の上位種なんでしょう? ……なら、あなたたちごときに!」
イルゼが叫ぶ。
それはプログラムされた命令ではない。彼女自身の魂からの咆哮。
「私の大切な人を、傷つけさせはしないッ!!」
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