第19話
熟した果実が弾けるような音がして、男の頭部が消し飛ぶ。
まるで最初からそこになかったかのように。
首から下だけになった肉体が運動エネルギーで後ろへ吹き飛び、痙攣して動かなくなった。
その音に、ラデクが弾かれたように振り返った。
彼が見たのは頭を失った死体と、銃口から硝煙を立ち上らせているイルゼの姿。
「……排除完了」
イルゼは無表情のまま、事務的に呟いた。
その声はあまりに平坦で、まるで今日の天気を報告するかのようだった。
人を殺した少女が抱くはずの動揺も、吐き気も、涙もない。
人を一人、この世から消し去ったという重みが、彼女の中には全く存在していない。
ただ作業を完了したという、恐ろしいほどの凪だけがあった。
残りの敵はラデクの鬼気迫る制圧劇に気圧され、仲間のあまりに無残な死に様を見て戦意を喪失し、悲鳴を上げて逃げ去っていった。
廃墟に再び静寂が戻る。
だがその静けさは先ほどまでの安らぎとは違う。
コンクリートの底から冷気が這い上がり足首を掴んでくるような、死の匂いを孕んだ静寂だった。
「……イルゼ」
周囲の警戒をしつつ、ラデクがゆっくりとイルゼに向き直る。
その顔には、敵に向けていた殺気とは違う色が浮かんでいた。
それは困惑であり、焦燥であり、そして根源的な恐怖だった。
「なぜ撃った」
問いかけるラデクの声が、わずかに上擦る。
「彼が貴方を撃とうとしていたから。射線が見えたの」
イルゼは平然と答えた。
セーフティをかけ、ホルスターに銃を戻し、乱れた髪を直す。
その指先には震えの一つもない。
彼女にとって今の行為は、靴紐を結び直すのと同程度の日常動作に過ぎないのだ。
「それに、頭を狙えば確実に止まるでしょう? 胴体だと防弾チョッキを着ているかもしれないし、手足だと反撃されるリスクがある。だから、一番確実な方法を選んだの」
淡々と語られる合理的すぎる殺害の理由。
その言葉の一つ一つが、ラデクの心を冷たい針で刺していく。
違う。そうじゃない。
俺が聞きたいのはそういう話じゃない。俺が聞いているのは、そんな正解じゃない。
「……お前、何も感じないのか?」
ラデクが絞り出すように問う。
胃の底に鉛が溜まったような重苦しさを覚えながら。
ラデクの問いかけに、イルゼはきょとんとして瞬きをした。
まるでなぜラデクがそんな質問をするのか、心底理解できないといった顔で。
「どういう意味?」
彼女は純粋な瞳でラデクを見上げた。
そこには悪意すらなかった。あるのは、空白だ。
倫理という回路が焼き切れているのではない。
最初から配線されていないのだ。
「彼らは敵よ。私たちを殺そうとした。だから排除した。それだけのことでしょ?」
イルゼの言葉は論理的には完璧だった。100点満点の正解だ。
生存競争においては、彼女こそが正しい。
だがそれは、人間の解答ではなかった。
ラデクは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
目の前にいる少女は、一体何者なんだ?
恐怖や罪悪感といった、人間が人間であるためのブレーキが、彼女には最初から実装されていないかのような振る舞い。
まるで目的のためなら手段を選ばない、精巧に作られた殺戮機械のように。
その姿はあまりにも、かつての自分たち《オリジンズ》が作った「人工精霊」に似すぎていた。
(……ヴラスタが言っていた。『あの子の手は、銃だこだらけだ』と。……だが)
ラデクはイルゼから視線を逸らし、拳を強く握りしめた。
その拳もまた微かに震えていた。不殺を貫くために酷使した体の限界か、それとも自身の理解を超えた少女への戦慄か。
(ただの訓練で、15歳の少女がここまでの領域に達するものなのか?)
答えのない問い。
イルゼに確認しても、おそらくは意味がない質問。
「……死体の処理は俺がやる。お前はテントに戻ってろ」
「手伝うわ。死体は重いし、二人で運んだほうが効率が……」
「いいから戻れ!!」
ラデクの怒声が廃墟に響き渡った。
それは怒りというより、悲鳴に近い拒絶。
これ以上、その無垢な残酷さを見せないでくれという懇願。
イルゼは驚いたように肩をびくりと震わせ、それから不満げに口を尖らせた。
彼女にはラデクが怒る理由が、本当に、これっぽっちも分からないのだ。
「……わかったわよ。なんで怒るのよ」
イルゼは踵を返し、足音も立てずにテントへと戻っていく。
その小さな背中を見送りながら、ラデクは深く、重い溜息を吐いた。
床に転がる頭のない死体。
それを作り出したのは、あんなにも華奢で、あんなにも美しい少女だ。
「……ホラーク博士。あんた、一体何を寄越したんだ」
ラデクは死体のポケットを探り、IDタグを確認する。
ただの貧しい難民崩れだ。生きるために魂を売った、弱くて愚かな人間。
数分前まで呼吸をし、欲望を持ち、恐怖を感じていた、生々しい肉塊。
「……すまねぇな」
ラデクは誰にともなく謝罪を呟くと、死体の瞼を閉じようとして――頭がないことを思い出し、顔を歪めた。
その吐き気を催すようなグロテスクさが、今の自分たちの関係そのもののように思えた。
冷たいコンクリートの上で、ラデクとイルゼの間には、決して埋まらない深い溝が刻まれていた。
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