第15話

車窓の外を、かつての文明の骸が流れていく。


雪という白い死に化粧を施された、崩壊したビル群。

赤錆にまみれ、巨人の墓標のように傾いた送電鉄塔。

意味を失い、ただの風化した板切れとなった無数の看板たち。


世界は死んでしまった。

そんなありふれた寂寥感が、重苦しい鉛色の空と混ざり合って胸に迫る。


「……あれは、なんだか知ってるか?」


イルゼが流れゆく景色を静かに眺めていると、不意にラデクが顎でしゃくった。


彼が示した先には道路脇に傾いて立つ一枚の錆びついた鉄板。

雪に半分埋もれているが、そこには赤い丸と、白い横棒が描かれているのが辛うじて見て取れる。


「……模様? 何かの魔法陣?」

「『進入禁止』の道路標識だ。昔の人間はな、魔法による強制力がなくても、あの絵一枚で『ここに入ってはいけない』というルールを共有していた」


ラデクの口調が少しだけ滑らかになる。

そこには失われた時代への敬意と、今の時代への微かな侮蔑が滲んでいた。


「へえ……。強制力がないあんな看板だけで、みんなルールを守っていたの?」

「守らない馬鹿もいたがな。だが、社会システムとしては機能していた。……魔法は便利だが、それに頼りすぎると人間は思考停止する。自動制御された世界で、ただ運ばれるだけの荷物になる」


ラデクはハンドルを切りながら、次々と現れる旧世界の遺物について語り始めた。


電気という都市の血液を、遠くの街から街まで運んでいた送電線。

地下深くから汲み上げた太古の燃料を各地に行き渡らせた、ガソリンスタンドという心臓。

見えない波長で、遠くの誰かと声を繋ぐための電波塔という耳。


それはイルゼにとって、初めて聞く遠い国の御伽噺のようだった。

魔法がなくとも、人々が知恵と技術で歯車を噛み合わせ、互いにルールを守り合って世界を回していた時代の話。


ラデクが語る「旧世界」の話は無機質で油臭いが、どこか人間臭い体温のような温かみがあった。


「でも、ここら辺の建物……今回の人工精霊の反乱で壊されたにしては、古すぎない?」


イルゼは窓に額を押し付けるようにして、外に広がる廃墟を見つめた。

建物の屋根は抜け落ち、壁は太い蔦に締め上げられて崩れている。

昨日今日、人工精霊に破壊されたものではない。

十年、いやもっと長い時間をかけて、誰にも看取られずに腐り落ちていった廃墟の姿だ。


「いいところに気づいたな」


ラデクは皮肉っぽく口の端を歪めた。

その瞳には冷たい怒りのような色が宿っている。


「15年前、人工精霊が実用化されてから、人類は便利さという麻薬に溺れたんだ」


ラデクがアクセルを踏み込む。

ランドクルーザーが深い轍を乗り越え、車体が激しく跳ねる。

サスペンションが軋む音が、悲鳴のように聞こえた。


「人工精霊の管理ネットワークグリッドが行き届いた巨大都市メガシティは、一年中快適な気温で、寝ていても食事が届く地上の楽園になった。……だから、誰もが泥臭い田舎を捨てて、都市へ雪崩れ込んだ」


イルゼの脳裏に、かつて自分が住んでいた輝く都市の姿が浮かぶ。

ガラスと光でできた塔。汚れ一つない街路。

あれは、何かを犠牲にして成り立っていた風景だったのか。


「農業も、林業も、すべて全自動の精霊任せ。地方は人が住まないゴーストタウンになり、管理の目が届かないスラムと化した。……今回の反乱が起きるずっと前から、この世界の半分は死んでいたんだよ」


イルゼは寒気を感じて自身の二の腕をさすった。


人工精霊の反乱は悲劇だ。だが、それ以前から人類は自らの足で立つことをやめ、世界を放棄していたのだとしたら?

歪で、頭でっかちな繁栄。

そのツケを一括で支払わされているのが、今この瞬間なのかもしれない。


車内には重い沈黙が降りてきた。

聞こえるのは無骨なエンジンの低い唸りと、タイヤが雪を噛み砕く音だけ。


ふとイルゼの視線がラデクの手元に吸い寄せられた。

革巻きのハンドルを強く握りしめる、大きく、節くれだった手。


その右手が、小刻みに震えている。


(……震えてる? 寒さのせいで?)


いや、違う。


車内の暖房は十分に効いている。

それに震えているのは右手だけ。

まるで、見えない電流が筋肉の奥底を走り続けているかのような、痙攣に近い震え。


イルゼは目を細め、さらに観察する。


スプリガンを殴り飛ばしたその右腕。厚手のコートの袖口から僅かに覗く手首は、鬱血したように黒く変色し、手の甲にはミミズ腫れのような血管が不気味に浮き上がっていた。


それは打撲や捻挫ではない。まるで体内の許容量を超えたエネルギーが、内側から血管を食い破り、細胞を破壊して回ったかのような痛々しい痕跡。


イルゼの脳裏に昨晩の光景が鮮烈に蘇る。

ラデクの全身から噴き出し、空間を歪ませていた、あの禍々しい紅蓮の稲妻。

あれは本当に彼が言ったような、ただの余剰光だったのだろうか。


「ねぇ、ラデク」

「……なんだ」

「身体強化魔法って、反動はないの?」


ラデクの眉がピクリと動く。彼は視線を前方から逸らさない。

だがハンドルを握る指に僅かに力が込められたのを、イルゼは見逃さなかった。


「……筋肉痛くらいはするさ。歳だからな」

「嘘」


イルゼの言葉は、自分でも驚くほど鋭く響いた。

ラデクがチラリとこちらを見る。


「嘘よ。だって、その右手」


イルゼはラデクの右腕を指差した。


「震えてるし、色が酷く変色してる。血管だって切れそうなくらい浮き出てるじゃない。……あの赤い光を出していた時、貴方の体、悲鳴を上げているみたいだった」


人工精霊を使わない魔法。原初の力。

それは人類が捨て去った技術。

捨てたのには、効率以外の理由があるはずだ。なぜ誰も使わなくなったのか。


「なにか、代償があるんじゃないの?」


ラデクは数秒の沈黙の後、ふ、と短く息を吐いた。

それは観念したようでもあり、子供の戯言だと切り捨てるようでもあった。


彼が片手でシフトレバーを乱暴に操作すると、ギアが噛み合う硬質な金属音が、会話の終わりを告げるピリオドのように響いた。

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