第2話
店内は、外の冷たい雨の世界から切り離された、柔らかな光に包まれていた。
「玲央、こっち」
窓際の席から雪穂が小さく手を振った。
幼馴染らしい笑顔の裏に、深い影が差しているように見えた。
「今日は、早かったね! いつもありがと」
「俺は、お前の足じゃねえぞ。たまには、迎えに来い、アホ」
コートの雨粒を払いながら、向かいの椅子に腰を下ろす。
雪穂の目の下にはクマがあり、焦点が合っていなかった。
「……婚約者と喧嘩した。三日間、連絡ない。ラインも既読無視」
「は? お前ら、二週間後結婚式だろ。何してんだよ」
雪穂はスプーンを握ったまま、カップの中をゆっくり、同じ速度で混ぜている。
その手は、止まる理由を忘れたかのように動き続けていた。
「……彼のスマホ、勝手に見ちゃって。それで怒ってる」
「浮気の気配とかあったの?」
「ううん、全く。でも……なんとなく、不安で」
「……なんだそれ」
昔から好きな相手には一直線で、周りが見えなくなるタイプだった。
けど今日は違う。
心のどこかが“片方だけ欠けたまま”喋っているような感覚だった。
「……冷められたかも。もし、このまま別れることになったら、私、死ぬかも」
「落ち着け。スマホ見たくらいで別れるはずねえだろ。そのうち連絡くる」
相談は延々と続いた。同じ話題を、まるでテープの再生のように繰り返す雪穂の声が、カフェの温かささえ重く沈ませる。
「わたしたち絶対、結婚できる?」
「しつけえな! できるって言ってんだろ。不安になりすぎ」
口ではそう言いながら、背筋に冷たいものがゆっくり広がっていく。
この執着は、ただの不安じゃない。
何か“別の力”が入り込んでいる。
「玲央、ちょっと商店街ついてきてくれない? すぐ近くなの」
「は? なんで」
「すごい占い師がいるの。何年も閉まってたのに、一ヶ月前から急に店開けるようになったんだって。今日は雨だし……もしかしたら会えるかも……」
その言葉に、心臓が小さく跳ねた。
雨の日に現れる占い師――
キャバ嬢が話していた噂と、完全に一致する。
「……四色だけで占う占い師か?」
「そう! 玲央も占ってもらおうよ! 仕事運とか。人生変わるかもよ?」
「いらねえわ! 占いとか一ミリも興味ねえし」
「なら、ついてくるだけでいい! お願い……あそこ、最近殺人事件あった場所だから、ひとりじゃ怖い」
「そんな場所、余計行きたくねえわ」
「……そっか。じゃあ、私一人で行く」
雪穂はふらりと立ち上がった。
その背中は、傘を持たずに冷たい雨の中へ踏み出しそうなほど頼りなかった。
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