第2話 清明お祖父ちゃんのこと

 安倍晴明あべのせいめい。平安の世を生きた、稀代の陰陽師である。日本では、いちばん有名な陰陽師と言って良いだろう。


 これまでもたくさんの小説や漫画、映画などのモチーフになっているが、25年ほど前に公開された映画「陰陽師」が大ヒットし、その年のアカデミー賞受賞者にも俳優さんやスタッフさんが名を連ねた。羽菜が産まれる前のことである。


 主役でもある安倍晴明を演じたのは、狂言師である野村萬斎のむらまんさい氏。羽菜は大きくなってから配信で見たのだが、その所作の美しさに惚れ惚れしたことを覚えている。ストーリーは今やほとんど忘れてしまったが。確か派手なバトルがあったはずだ。


 近年では映画「陰陽師0」で、安倍晴明が陰陽師になる前の若かりしころを描いている。主演は俳優の山崎賢人やまざきけんと氏。安倍晴明生誕1100年記念作品だ。


 CG技術のひとつであるVFXをふんだんに使い、その映像美もかなりの評価を受けたと聞く。


 ちなみにこの2作、合計3作品には、どれも小説家の夢枕獏ゆめまくらばく先生が原作や脚本で関わっている。これらの原作でもある小説「陰陽師」シリーズは、安倍晴明ブームのきっかけになったと言われている。岡野玲子おかの先生の手によってコミカライズもされていた。


 安倍晴明はこの世に実在した人間であるので、当然性格、ひととなりは定まっている。だが多種多様なメディアのモチーフになることで、様々な安倍晴明が彩られてきた。


 このカフェにいる安倍晴明は、本人の霊体、神霊という立ち位置なのであるが、羽菜はなの目から見て、偉大なはずなこのお人、ただのやんちゃである。


 とはいえ、生存のころには日本国の政に関わってきた御大である。当時都は現在の京都にあった。生誕は大阪であると言われているが、没地は京都である。墓所も京都にあり、祀られている神社もいちばん有名なのは京都の晴明神社である。


 当時競技者だったフィギュアスケーターの羽生結弦氏が「SEIMEI」というタイトルで、安倍晴明をモチーフにした演技を披露したときには、清明神社に絵馬を奉納し、ファンが詰め掛けたのは有名な話である。


 この「SEIMEI」の振り付けのモチーフになったのが、野村萬斎氏主演の映画「陰陽師」である。両者は試合前に対談もしたそうで、その際に野村氏から振り付けの提案があったそうである。その演技は2018年の平昌オリンピックで金メダルを獲得した。


 大阪には安倍晴明神社があり、そこには産湯にされたとされる井戸の再現などがある。誕生の地には諸説あるそうだが、とりあえずここでは大阪説を取り入れている。何よりこのカフェにいる本人がそう言うのだから。


 安倍晴明神社は、このカフェと同じ阿倍野あべの区にある。電車での最寄り駅は阪堺はんかい電車の東天下茶屋ひがしてんがちゃや駅。阪堺電車は天王寺駅前てんのうじえきまえ駅を始発に、途中住吉すみよし駅を経由し、さかい市の浜寺駅前はまでらえきまえ駅までを繋いでいる。


 陰陽師といえば、メディア作品の影響もあって、悪しきあやかしと戦ったりするイメージもあるが、主なお仕事内容は陰陽道などを始めとする占術である。占いを以て、政治を支えてきたのだ。


 その慣習は令和となった今でも脈々と受け継がれており、国会議員にもお抱えの占い師がいると聞く。日本の占術は今や陰陽師だけの専売特許だけでは無い。海外発祥であるタロットカードなども正当な占いで、日本で広く知られている。


 大阪府政の場合、安倍晴明ゆかりの地であるということで、その役割は現存する陰陽師に委ねられてきた。安倍晴明自体は京都、平安京でその才を発揮した陰陽師であるが、その子孫の一部が清明生誕の地大阪に移り住んでいた。


 本家安倍家は室町時代に家名を「土御門つちみかど」と称する様になり、その血統は現在も守られている。


 羽菜や三津谷みつやさん、渡辺わたなべさんは分家の人間という立場である。婚姻などを経て、土御門、もしくは庶流分家の倉橋くらはしから苗字が変わったりした。それでも確かに安倍晴明の血と能力を継いでおり、陰陽師として三津谷さんと渡辺さんは大阪の政治に関わっていて、力の小さい落ちこぼれの羽菜はこのカフェを継いだ。


 安倍晴明が神霊として常駐するこのカフェは、大阪を拠点にしている陰陽師の憩いの場、駆け込み寺として機能しているのだった。


 三津谷さんは大阪府、渡辺さんは大阪市のおかかえ陰陽師として、日々忙しく過ごしているのだ。


 大阪市は大阪の歓楽街や繁華街のほとんどを擁している。キタと呼ばれる梅田うめだ周辺に北新地きたしんち、ミナミと呼ばれるなんば周辺、泉州せんしゅう地域や河内かわち地域への玄関口とも言える天王寺てんのうじ、昭和の風情を残す十三じゅうそうなど。治安の影響もあり、三津谷さんも渡辺さんも大変だと思う。


「まぁなぁ、政治家やからって、みんながみんな、賢いわけやあらへんもんなぁ。勉強はできるやろうけど」


 清明お祖父ちゃんがのんびりとそんなことを言い、唇に付いたケチャップをぺろりと舐めとった。


「うん、羽菜のナポリタンはやっぱ旨いわ。羽菜は陰陽師や無くて、料理の才能があるんやもんな」


 羽菜だって腐っても安倍晴明の子孫で、ちっぽけでもその矜持がある。なので清明お祖父ちゃんの何気ないせりふに肩を落とした。


「私、陰陽師としてはあかん子やから……」


 すると三津谷さんがさらっさらの姫カットを揺らしながら「何言うてんの!」と声を荒げる。


「料理、めっちゃすごい才能やん。ボクもおハナのナポリタンめっちゃ好きやし」


 三津谷さんは羽菜のことをおハナと呼んで、可愛がってくれている。


「そうやん」


 追随してくれたのは渡辺さんである。シンプルな黒のワンピースが似合う大人っぽい顔をわずかにしかめ、ほのかに頬を膨らます。


「清明祖父ちゃんは無神経過ぎ。羽菜ちゃんが気にしてるん知ってるやろ?」


「はははっ、悪い悪い」


 そう言いながら、清明お祖父ちゃんはまるで悪びれない。いつものことなので、羽菜はいつもの様に諦めるしか無かった。


「三津谷さん、渡辺さん、ありがとう」


 羽菜が言うと、ふたりは「ううん」と揃って首を横に振った。


「てなわけで、ボクにもナポリタンちょうだい。食後にアイスコーヒー」


「あたしも。ドリンクはレモンティちょうだい」


「はい。かしこまりました」


 羽菜はにっこりと微笑む。このカフェを継いで、実質的な経営者は羽菜であるが、実のところのトップは安倍晴明である。その清明お祖父ちゃんがナポリタン好きなので、他の陰陽師たちの多くも自然とナポリタンを頼む様になったのである。

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