5・満天の下に落ちてきた影

まだ熱の残る頬を隠すように、ふわりと髪が揺れた。

二人を包む風が次第に弱まり、サクラの足が地面へ触れる。

ふわりと柔らかく、ゆっくりと着陸した。

夜の静けさが戻ったその瞬間、颯太は無意識に息を吐く。


「私、魔力あんまりないから、このくらいで」


サクラが少し申し訳なさそうに笑う。


「うん。ありがとう。楽しかったし十分だって」


颯太がそう言うと、サクラは胸の奥がくすぐったくなるのを感じた。

“楽しかった”って言ってくれるだけで、飛んだ甲斐がある。


「俺、高い所苦手だったけど……夜空散歩、楽しかったし」


言った瞬間、颯太の心臓が少し跳ねた。

自分でも驚くくらい素直な言葉だった。

サクラはぱちりと瞬きをし、頬をほんのり赤く染めた。


「……そっか。よかった」


風に乗った余韻が、二人の間にそっと降りる。

サクラはほんのわずかに距離を詰めて、小さく微笑んだ。


「また……行けたらいいな」

「うん。次は俺が怖がらないようにがんばるよ」

「ふふっ、それは楽しみ」


二人の視線が、どこか恥ずかしそうに、でも確かに重なった。


そのとき――

背後の茂みが、カサ、と揺れた。

サクラが一瞬だけ表情を引き締める。


(……さっきの気配、まだ残ってる。やっぱり言えばよかったかな)


颯太が気づかないほど自然に、サクラはそっと彼の袖をつまんだ。


「帰ろっか。寒くなってきたし」


その声には、先ほどとは違う、ほんのかすかな緊張が混じっていた。


「「姫!颯太!危ないっ!」」


サキとジンが横一文字に斬りつけた。

空気が裂けるような音がして、颯太の目の前を影が弾け飛ぶ。

ミーヤが二人の前に立ち、辺りを警戒しながら見ている。

二人が切りつけ動きを止めた“何か”が、地面へボタボタと落ちた。


「これは……」


よく見ると、木の根のような蔓の塊。

しかしその断面からは木の繊維ではなく、どす黒い霧が立ち昇っている。

切られた端が、まるで生き物のように痙攣しながら消えていった。


「敵の……追ってみたいなやつ?」


颯太の声が震える。

あれは明らかに、ただの植物の動きじゃない。

サキはサイコロを指で弾きながら、真剣な目で霧を見つめていた。


「そろそろ……向こうも焦ってきてるようで」


ジンが剣を地面に軽く突き、周囲の気配を探る。


「継承印の反応が弱まる前に確保したいのよ。

向こうからすれば、颯太は“今が一番奪いやすい状態”ってわけ」

「奪うって……俺のだよね!?」

「そうよ?」


サキがあっさりと答えた。


「姫様の継承印が颯太に移った時点で、あなたの中には魔界の“印”があるの。

魔界側からすれば超重要。ただし人間の命は……」

「どうでもいい、って顔してるな……お前」

「ええ」


即答だった。

颯太は膝をつきたくなる気持ちを堪えた。

冗談じゃない。昨日まで普通の生活だったのに。

そんな颯太の肩に、ぽんと手が乗せられる。

サクラだった。


「怖いよね。でも――もう巻き込んでしまった以上、守るから」


彼女の声は静かで、どこか決意の色を帯びている。

その瞬間、彼女の体の奥から微かな光が漏れた。

ジンが目を細める。


「……姫様。今のは?」

「印の反応……です。颯太の中の印に呼応しました」


サキの表情が一瞬で強張った。


「まずいわね。こちらからは何もしてないのに反応するなんて……

敵、近いよ」


風が止まり、森の奥で“何か”が蠢く音がした。


「二人とも、構えて!」ジンが鋭く叫ぶ。

サクラは颯太の腕を強く握る。


「颯太くん、絶対に私のそばから離れないで」


その言葉の直後――

闇の奥で何かがずるりと這う音が響いた。

次の瞬間、黒い影が地面を裂くように飛び出した。


「来るっ!」


ジンが颯太とサクラの前へ躍り出て、剣を構える。

サキとミーヤも左右に散開し、包囲するように動いた。

影は木の根でも獣でもなく、形を持たない“黒い塊”だった。

ただ濃い闇そのものが意思を持ったように

ゆっくりと、しかし確実にこちらへ迫ってくる。


「なんだよ……あれ……っ!」


颯太の背筋がぞくりと冷えた。

さっき斬り払われた蔓よりも“質が違う”。

見てはいけないものを見ているような気配があった。

サキがサイコロを手の中で弾き、低く呟く。


「『影喰い(シャドウイーター)』……低位だけど厄介な奴よ」

「これで“低位”……?」

「うん。高位なら私たちが来るより先に、あなたはもう――」


サキの視線が颯太の首をすっと横に払う真似をした。


「やめろってのっ!」


サクラが颯太の前に立ち、じっと影をにらみつける。


「姫様、下がってください!」

ジンが焦った声を出す。

「下がれません。……これは、たぶん私を狙ってきてます」

「いえ、狙いは颯太です!」

ミーヤが鋭く言う。

「魔力の流れが完全に颯太へ向かって動いてる!」


颯太の心音が一気に早まった。

――俺、そんなに簡単に狙われる存在なのかよ……

サクラが颯太の腕をもう一度強く握った。


「……大丈夫。私が守るから」


そのとき、颯太は気づく。

サクラの瞳が、わずかに揺れていたことに。

怖いのは、彼女も同じだ。

「サクラちゃん……」


呼ぶ声が震えたその瞬間――

“影喰い”が、形を裂くように大きく開いた。

まるで無数の蔓をまとった口のように四方へ伸び、

颯太めがけて襲いかかってくる。


「来たッ!」

「跳んで!姫さま!」


ジンとサキの声が重なり、地面が弾けた。

サクラは颯太を胸に抱き寄せた。


「離れないで……颯太くん!!」


光が、サクラの胸元からあふれ出した。

颯太の視界が白く染まっていく。


そして――

“影喰い”の攻撃が触れる寸前、

まるで空気が反転するように周囲がねじれた。


「っ――え、サクラちゃん!?」


彼女の身体が限界のように震えていた。

それでも、颯太を抱く腕の力だけは決してゆるまない。


「颯太くんを……渡さない……!」


その叫びと同時に、光が爆ぜた。


サクラの足元から淡い光が立ち上がった。

その光に触れた“影の蔓”が――ビキッと音を立てて弾け飛ぶ。

黒い断片が夜気に溶けるように消え、あたりが一瞬だけ静寂に包まれた。

颯太はその光景に目を奪われる。


「……今の、サクラちゃんが?」


しかしその安堵は、ほんの心臓一拍の間しか続かなかった。

森の奥で“影喰い”とは違う、足音が響く。

サキがすぐさま目を細める。


「来る……!今度のは、さっきの追跡用なんかじゃない」


足音が4人に近づいて行く。

月明かりが差し込む。それはまるで、

これから現れる“主役”のためだけに敷かれたレッドカーペットのようだった。


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