第3話 瑠花の告白
詩織先輩の日記を見てから、私は眠れなくなった。
夜、ベッドに横になっても。
目を閉じると、あの文字が浮かぶ。
「紬も、私のものにする」
誰が書いたんだ。
そして、なぜ私の名前を。
瑠花は、いつも通りだった。
朝起きて、制服を着て。
鏡の前で髪を整える。
「紬ちゃん、顔色悪いよ?」
「……ちょっと、寝不足で」
「そう」
瑠花は、微笑んだ。
「無理しないでね」
でも。
私は気づき始めていた。
瑠花の、小さな違和感に。
彼女は、いつも同じ制服を着ている。
洗濯している様子がない。
食事も、ほとんど口にしない。
そして——
夜、彼女は眠らない。
ある夜。
私は、薄目を開けて瑠花を見た。
彼女は、ベッドに座っている。
じっと、窓の外を見つめている。
一時間。
二時間。
まばたきもせず。
「紬ちゃん、起きてる?」
突然、瑠花が言った。
私は、息を殺した。
「……起きてるよね」
瑠花は、こちらを向いた。
暗闇の中、彼女の目が光っている。
「ねえ、話してもいい?」
私は、答えられなかった。
でも、瑠花は続けた。
「私ね、実は——」
彼女は、小さく笑った。
「死んでるの」
心臓が、跳ねた。
「……何を」
「二年前」
瑠花は、窓の外を見た。
「プールで溺れたの」
私は、起き上がった。
瑠花は、静かに話し続ける。
「夏休みの補習。誰もいない時間に、一人で泳いでた」
「なんで……一人で」
「誰かを待ってたの」
瑠花は、膝を抱えた。
「来るって言ってたから」
「でも、来なかった」
彼女の声が、震える。
「待って、待って。気づいたら、足がつった」
「助けを呼ばなかったんですか」
「呼べなかった」
瑠花は、首を横に振った。
「もし、その子が来たときに、私がいなかったら」
私は、言葉を失った。
「だから、沈んだ」
瑠花は、笑った。
泣いているのか、笑っているのか。
「水の中で、ずっと待ってた」
「でも、戻ってこれたんですね」
私は、震える声で言った。
「誰かが、瑠花さんを——」
「愛してくれてるから?」
瑠花は、私を見た。
「そうね。誰かが、私を愛してる」
彼女の目が、潤んでいる。
「だから、私はここにいられる」
「それは……嬉しいことじゃ」
「嬉しい?」
瑠花は、首を傾げた。
「紬ちゃん、これが嬉しいことだと思う?」
私は、答えられない。
「私ね、消えたいの」
瑠花は、涙を流した。
「でも、消えられない」
「誰かの愛が、私を縫い付けてる」
瑠花は、自分の胸を押さえた。
「この制服に。この部屋に。この学園に」
「誰が……瑠花さんを愛してるんですか」
「わからないの」
瑠花は、笑った。
「二年間、ずっと探してる。でも、わからない」
彼女は、立ち上がった。
窓辺に寄り、外を見る。
「誰かが、私を見てる」
「どこかで、私を想ってる」
「それが、鎖になってる」
私は、ベッドから降りた。
瑠花の隣に立つ。
「私に、何かできることは」
「ないよ」
瑠花は、微笑んだ。
「紬ちゃんには、関係ない」
でも。
彼女の手が、震えている。
「瑠花さん」
私は、彼女の手を握った。
冷たい。
まるで、水に浸かっていたように。
「私、手伝います。誰が瑠花さんを——」
「やめて」
瑠花は、手を引いた。
「それは、優しさじゃない」
「どういう……」
「紬ちゃん、あなたは気づいてないのね」
瑠花は、私を見た。
その目は、悲しそうだった。
「あなたが、私を見つめてる」
私の息が、止まった。
「違います。私は——」
「毎晩、私を見てるでしょう?」
瑠花は、一歩近づいた。
「眠れないふりして。薄目を開けて」
「それは……」
「心配してくれてるの?」
瑠花は、首を傾げた。
「それとも、興味?」
私は、後ずさった。
違う。
私は、ただ——
「楓ちゃんも、詩織先輩も」
瑠花は、静かに続けた。
「紬ちゃんが、見つめてる」
「やめて」
「死んだ子たちを、ずっと」
「やめてください」
瑠花は、立ち止まった。
そして、泣き笑いの顔で言った。
「ねえ、紬ちゃん」
「私を愛してるの、もしかして——」
「紬?」
私は、何も言えなかった。
言葉が、喉に詰まる。
違う。
私は、ただ——
でも。
楓を見た瞬間の、あの高揚感。
詩織先輩に話しかけたときの、胸の高鳴り。
そして。
瑠花の冷たい手を握ったときの、安心感。
「違う」
私は、ようやく声を絞り出した。
「私は、ただ——」
「怖いよね」
瑠花は、微笑んだ。
「自分の気持ちが、わからないの」
彼女は、ベッドに戻った。
座って、膝を抱える。
「私もね、最初は気づかなかったの」
「プールで溺れたとき、誰かの顔が浮かんだ」
「でも、その子の名前を思い出せなかった」
「今も?」
「今も」
瑠花は、頷いた。
「でも、感覚はある」
「誰かが、私を愛してる」
「その重さだけは、わかる」
私は、自分のベッドに座った。
頭が、混乱している。
「瑠花さん、私は——」
「いいよ、紬ちゃん」
瑠花は、横になった。
「答えなくていい」
「でも、いつかわかる」
彼女は、目を閉じた。
「あなたが、誰を愛してるのか」
「そして、誰があなたを愛してるのか」
「それがわかったとき——」
瑠花の声が、遠くなる。
「もう、逃げられなくなるから」
私は、布団を被った。
でも、眠れない。
瑠花の言葉が、頭の中で繰り返される。
私を愛してるの、もしかして——紬?
違う。
違うはずだ。
私は、ただ——
でも。
気づけば、瑠花を見ていた。
彼女の寝顔。
冷たい横顔。
美しい、と思った。
瑠花が囁いた。「ねえ、もしかして……紬?」
私は、答えなかった。
答えられなかった。
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