好きな子を壊した ──死んでも離さない、歪んだ愛の学園ホラー──

ソコニ

第1話 転入生と壊れた首

私が白鷺乃学院に転入したのは、九月の終わり。


秋雨が校舎の窓を叩く音が、やけに大きく聞こえた。


「紬さん、ですね。ようこそ」


教頭は微笑んだが、目は笑っていなかった。


「この学園には、少しだけ……特別なルールがあります」


特別なルール。


その意味を、私はまだ知らない。


案内された寮の部屋は、四階の角部屋。


窓からは中庭が見える。


ルームメイトの瑠花は、ベッドに座ったまま、私を見上げた。


「はじめまして。紬ちゃん」


彼女の声は、優しかった。


でも、どこか遠い。


「ここ、静かでしょう? 夜はもっと静かよ」


瑠花は微笑んだ。


私は、なぜか背筋が冷たくなった。



その日の放課後。


私は屋上への階段を見つけた。


扉には「立入禁止」の札。


でも、鍵はかかっていない。


なぜか、足が勝手に動いた。


階段を上る。


風の音が、耳を撫でる。


扉を開けた瞬間——


ドサッ。


鈍い音。


目の前で、誰かが落ちた。


私は動けなかった。


声も出ない。


中庭に、制服姿の少女が倒れている。


手足が、ありえない方向に曲がっている。


首が——首が、完全に折れている。


誰かが叫ぶ声。


教師が走ってくる足音。


でも、誰も慌てていない。


救急車は、呼ばれなかった。




翌朝。


私は教室に入った。


クラスメイトは、普通に談笑している。


昨日の事件のことなど、誰も口にしない。


まるで何も起きなかったように。


そして——


彼女がいた。


昨日、屋上から落ちた少女。


楓。


机に座って、窓の外を見ている。


制服には、血痕ひとつない。


でも。


でも、首が。


首が、不自然に傾いている。


まるで、折れたまま固定されたように。


私は息を呑んだ。


隣の席の男子生徒が、楓に話しかける。


「楓ちゃん、おはよう」


楓は、ゆっくりと振り向く。


首の角度はそのまま。


「……おはよう」


彼女は、微笑んだ。


生きている。


いや、生きている——のか?


授業中、私は楓から目が離せなかった。


彼女は普通にノートを取る。


先生の質問に、普通に答える。


ただ、首だけが。


あの角度のまま。


休み時間、何人かの女子生徒が楓を囲む。


「楓ちゃん、昨日は大変だったね」


「でも、良かった。帰ってこれて」


帰ってこれて?


何を言っているんだ。


彼女は死んだはずだ。


私は、この目で見た。



夜。


寮の部屋で、私は瑠花に尋ねた。


「ねえ……楓さんのこと」


瑠花は、本から顔を上げた。


「ああ、楓ちゃん。心配だったけど、良かったわね」


良かった?


「でも、彼女、昨日——」


「死んだわよ」


瑠花は、あっさりと言った。


「屋上から落ちて、首の骨が折れた」


私は息が止まった。


「じゃあ、どうして——」


「誰かが、愛してるから」


瑠花は、静かに微笑んだ。


「この学園ではね、紬ちゃん。強く愛された子は、死んでも戻ってこれるの」


愛されている?


「誰が、楓さんを?」


「さあ。本人も知らないかもしれないわね」


瑠花はページをめくった。


「でも、誰かが確かに愛してる。だから楓ちゃんは、ここにいられる」


私の頭が、混乱する。


「それって……おかしいでしょう。死んだ人間が——」


「おかしい?」


瑠花は、首を傾げた。


「紬ちゃん、愛って、命より強いこともあるのよ」


彼女の目が、一瞬、暗く沈んだ。


「……時には、ね」



その夜。


私は眠れなかった。


楓の首の角度。


瑠花の言葉。


愛が、死者を呼び戻す?


そんなことが——


カタッ。


音がした。


部屋の入口。


ドアが、少しだけ開いている。


私は、布団を握りしめた。


誰かいる。


廊下に。


カツ……カツ……


足音。


近づいてくる。


私は息を殺した。


ドアの隙間から、誰かが覗いている。


暗くて、顔は見えない。


でも——


首が、傾いている。


「紬ちゃん」


声がした。


楓の声。


「起きてる?」


私は、答えられなかった。


「ねえ、紬ちゃん」


楓が、部屋に入ってくる。


月明かりに照らされた彼女の顔。


首が、あの角度のまま。


目が、私をじっと見つめている。


「見ててくれたよね」


楓は、ゆっくりと近づいてくる。


「昨日、屋上で」


私の心臓が、激しく鳴る。


「私が落ちるところ、見ててくれた」


楓は、私のベッドの横に立った。


「ありがとう」


彼女は、微笑んだ。


「見てもらえて、嬉しかった」


私は、震えながら彼女を見上げた。


楓の目。


生きているときより——


綺麗だった。


濁りがない。


純粋な、何かが宿っている。


私は、恐怖と同時に。


奇妙な、高揚感を覚えた。


「紬ちゃん、また見てね」


楓は、そう言って部屋を出ていった。



翌朝。


瑠花が、いつものように起きてきた。


「おはよう、紬ちゃん」


私は、昨夜のことを話すべきか迷った。


でも——


「楓ちゃん、昨日の夜……」


「来たの?」


瑠花は、驚いた様子もなく言った。


「そう。じゃあ、紬ちゃんのこと気に入ったのね」


気に入った?


「どういう……」


「楓ちゃんはね、自分を見てくれた人のところに行くの」


瑠花は、制服を着ながら続けた。


「死んだ瞬間を、見てくれた人」


私は、寒気がした。


見てしまった。


私は、見てしまったんだ。


「ねえ、紬ちゃん」


瑠花が、鏡越しに私を見た。


「楓ちゃんの目、綺麗だったでしょう?」


私は、答えられなかった。


でも、瑠花は微笑んだ。


「そう思っちゃったのね」


教室に向かう廊下。


楓は、いつもの場所に立っていた。


窓際。


首を傾けたまま、外を見ている。


私が近づくと、彼女は振り向いた。


「おはよう、紬ちゃん」


私は、答えた。


「……おはよう」


楓は、嬉しそうに笑った。


授業中。


私は、楓を見つめていた。


彼女の横顔。


壊れた首。


でも、確かに美しい。


私は気づいてしまった。


楓の目が、生きてるときより綺麗だと。


そして——


それを見つめている自分が、少しだけ嬉しいことに。

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