第37話:上渋谷の攻防
道玄坂方面から飛び出た龍は上空をしばらく旋回していた。
長い胴体、複数の手足。体には赤斑の紋が浮かび、それは時折オレンジに発光していた。
龍は不意に体をうねらせ、上を目指した。上には上渋谷がある。
「上渋谷を狙うか! くそっ、手当たり次第がすぎるぞ!」
エレナは言うと、ホロディスプレイをいくつも起動させた。これから各所に連絡を飛ばすらしく、一斉にホロコールをかけていた。
「まずはエレベーターの安全確保だ! そう、ありったけの術式を起動させないと間に合わない!」
エレナが声を返しているのは、どうやらエレベーターの会社らしい。軌道エレベーター〈ひばり〉は今、危機的な状況にある。もし乗っているのが自分だったらと思うと、アイシャは胃のあたりが苦しくなった。
「守りの薄い方を目指しているのか?」とラヴァンは険しい声のまま尋ねた。
「上渋谷は龍害がほとんどないという想定で設計された街区です。このままでは……」
ウルヴォグもまた、この差し迫った状況に歯噛みしている様子だった。
そもそも、渋谷は地表なので龍害を受ける可能性がある。しかし、その上空であれば被害を受ける機会は格段に減少する。それに加えて上渋谷は都市計画の素晴らしさが世間から注目を集めた。今でも上渋谷は抽選で住居が割り当てられるほどの人気区画だ。
故に、上渋谷は龍対策が手薄だった。そんな無防備な上渋谷に向けて、龍はどんどんと向かっていく。
「ルパラギ! 何を茫然としている!」
ラヴァンが叫んだ。彼女の目は龍を追っているが、為す術はない。制御環がラヴァンをしばっているからだ。
「おまえが地球人類を愛すると言うのなら、まずは上渋谷に結界を張れ!」
「ですが、これは、」
ルパラギは龍から目を離さずに、掠れるような声で言った。
二等星級の龍の出現。しかも地上に出現し、対応が後手に回っている。龍が咆哮する。その振動がガラスを震わせ、ルパラギの思考さえ揺らしているようだった。
ラヴァンはルパラギに詰め寄り、ルパラギの襟元をねりじあげるようにして掴んだ。しかし、ルパラギは動かなかった。動くことができない様子だった。先程までの会話によって、ルパラギは完全に力を失ってしまったように見えた。
「今更宇宙法を気にしている場合か? もういくつ破ってきた? 地球は異常事態が起こっている星だから、おまえは動いたんだろう。だったら最後まで責任を持て!」
「〈障壁〉!」
アイシャは咄嗟に龍の上部に障壁を張った。ばちん、と龍の頭が障壁に弾かれてのけぞった。しかし、それもわずかな時間稼ぎにしかならない。
上渋谷全体に結界を張り巡らせるのは、今のアイシャの魔力量的に不可能だった。せめて障壁をいくつも張って、龍の進行を妨害するくらいしか手立てがない。
「……強い、強度が……〈障壁〉、重ねて!」
アイシャはもう一度障壁を張ったが、龍はそれを食い破るように上へと進もうとする。アイシャの手には痺れが来ていた。魔法のフィードバック。龍の力が強すぎて、あまり長くは保ちそうにない。
龍はあっという間に上渋谷の下に届いた。
そして加速した瞬間、弾かれた。龍は大きく体勢を崩した。龍はさらに上昇し、上空から上渋谷への侵入を試みるが、これもまた弾かれる。
アイシャの障壁はもう破られている。じゃあ、これは誰の……アイシャはルパラギの方を見た。ルパラギの手は上渋谷に向かって伸ばされている。
「ラヴァン、ありがとうございます」
ルパラギの声は静かだったが、どこか吹っ切れたような気配があった。
「責任……。そうです。責任を取らなければなりません。私は、罪を重ねるところでした」
コマンドなしの特級結界。これがどれほどのものなのか、今この時、正確に理解できているのはアイシャだけかもしれなかった。
「上渋谷全体に結界を張りました。かなりの魔力消費ですが、これが最も安全な処置です。アイシャさん、あなたは戦闘区域の下の全面に結界を施してください。魔力消費を気にしない強度でお願いします」
「は、はい!」
アイシャは急いで渋谷スクランブル交差点を中心とした大規模な結界を張った。
大規模といっても、ルパラギの結界に比べれば小規模だ。戦闘区域がどのくらいの広さなのかは分からないが、とにかく張れるだけ、そして多少は維持できる範囲でアイシャは結界を張った。
「ウル、ラヴァン、下から武装を上げた。君たちはバディを組んで上から対象に向かい、龍を討伐してくれ」
エレナはホロコールで通話を続ける最中、ウルヴォグとラヴァンにそう言った。
「地球でタイプ:ユナクタンが観測されたのは初めてだ。これまでとは戦い方が違う。そこはラヴァン、君に指揮を取ってもらってもいいかい?」
「……おまえは、本当に手段を選ばない人間だな。私を信用するのか?」
「私は目標達成のために手段を選ばない。非合法な手段は避けるが、合理的な手段を優先する」
ラヴァンとエレナはしばらく向き合っていた。ラヴァンの危険性を最も危惧していたのはエレナだ。ラヴァン自身もそれを受け入れていた。自分が危険だということを。
しかしエレナは、この事態を確認するや否や、すぐにラヴァンを信用することを決めた。エレナの思考は合理的だった。あまりにも合理的すぎるほどに。
ラヴァンは目を閉じて、深く呼吸をした。そしてウルヴォグに向き直った。
「分かった。ウルヴォグ、協力してくれ」
「是非。ご一緒します」とウルヴォグは頷いた。
「アイシャ」
ラヴァンは一言、アイシャに告げた。そしてアイシャの隣に歩み寄り、膝をついた。
「私は、おまえたちの信頼に足る働きをしよう。龍を討伐するために、私を使ってくれ」
「ラヴァンさんは、私の信じたラヴァンさんでいてくれますか?」
「私は龍を狩る。それだけだ」
「……分かりました。どうか……どうか、お願いします。ラヴァンさん」
アイシャはラヴァンの制御環に触れた。軽い金属音が響き、制御環が床に落ちた。
「それと、これも着ていってください」
アイシャはジャケットを脱いで、それをラヴァンに渡した。
ラヴァンはパイロスーツしか着ていない。このままでは所属が分からない。ラヴァンは龍対策課の人間ではないが、アイシャもそうだ。アイシャが着ているよりも、ラヴァンが着た方がいい。
「分かった。着ていこう」
ラヴァンは言い、早速ジャケットに袖を通した。アイシャより背が高い分、袖が足りない。
それでも、アイシャから見てラヴァンは格好が良かった。これが龍狩りの姿だとアイシャは思った。自分が憧れた、人々を守るための矛。
「エレナ、戦闘に入るのは理解した。だが、私は重力下戦闘にまだ不慣れだ」
「それなら、私が階梯を作ります」
アイシャは言った。
「君は下の結界の制御で手一杯だろう」
エレナがホロコールを一時中断してアイシャに声をかけた。アイシャはそれでも頷いた。今は緊急事態だ。できることはすべて出し尽くしたかった。
「でも、負荷はルパラギ理事より少ないはずです。私が階梯で、空中にラヴァンさんの足場を作ります。戦闘でのバディがウルヴォグさんなら、私は補助でラヴァンさんのバディになります」
「分かった」
エレナは少し微笑んで、それからすぐに表情をきりりとさせた。
「こちらもすぐに龍討伐部隊を出す。騒ぎに乗じて低い等星の龍が出てこないとも限らない。それと、結界術師をかき集めている最中だ。この際プロもアマも問わない。アイシャ、君は充分な数の術師が集まったら結界はそちらに任せて、階梯に専念してくれ。術師が集まるまでは渋谷の結界とラヴァンの支援、できるね?」
「任せてください!」
「アイシャ。私はすべておまえに委ねる。私は龍に集中する。おまえは、私のもう一人のバディだ」
ラヴァンは言った。
「おまえは地下で、人々が龍に巻き込まれ、傷付くのはおかしいと言っていたな。龍に人が無差別に襲われて良いはずがないと。その通りだ。私はおまえの理想を実現するために龍を討伐する。私を支えるのはアイシャ、おまえだ。アイシャが私を支える限り、私はおまえの槍になろう」
「はい……、はい! お願いします!」
アイシャの声にラヴァンは頷いた。そしてウルヴォグと共に部屋から出ていった。
「あの二人には武装を持ってきた隊員が付いている。装備が完了すればすぐにでも龍の元に向かうだろう」
エレナは言うと、踵を返した。
「アイシャ、私たちは下に行こう。魔法は出力先と近い方が魔力の消費を抑えられる。私が君に視力の強化をかけるから、下からでも二人の動きは見えるはずだ」
「分かりました。ルパラギ理事はどうしますか?」とアイシャは尋ねた。
「私はここに残ります。お二人は行ってください。私はここからの方が、まだ上渋谷に近いですから」
ルパラギは結界を維持しながらそう言った。
こうして話している間にも、龍は結界にぶつかり、結界を破ろうと食いついている。ルパラギは龍の攻撃に動じていない様子だったが、結界が修復と補強を続けているのがアイシャには分かった。
「ありがとうございます。エレナさん、行きましょう」とアイシャは言った。
「ルパラギ理事、感謝しています」
エレナはそう言うと、ルパラギに頭を下げた。そして二人は部屋を出て、下へと続くエレベーターに乗り込んだ。
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