第18話:初めての下渋谷、ウルヴォグと共に
住吉商事の車に乗り、道玄坂方面の地下鉄ホームに向かった。この時間帯は龍洞につながる時間帯だったので、下への移動はスムーズだった。下渋谷の徒歩で移動できる部分は龍の首にあたる部分だった。
渋谷に頭を出して埋まった龍は、長い首を何重にも巻くようにして地中に埋まっている。今回向かう第六層は胴体部分で、地上から地下八百メートルの地点にあるという。もうほとんど、ドバイにあるブルジュ・ハリファを地上から地下へと突き刺したくらいの距離感だ。
下への移動は徒歩とエレベーターだった。下渋谷は入ってから少しもしない内に周囲を建物と市場に包まれる。下渋谷は龍洞の内部に作られた区画だからか、龍洞の壁面に沿うように建物がびっしりと建てられていた。その手前側にも、ちょっと乱雑に見えるような建物やプレハブがあちこちにあった。
これが本物の〈渋谷
「これが、本物の下渋谷……」
下渋谷の賑わいはアイシャの想像を超えていた。空調が効いているのだろうか、地下らしい密閉感はないが、人々の雑踏によってじっとりと汗ばむくらいの暑さがある。
龍洞の中は渋谷龍の体内なのだから臭いそうだと思っていたが、そうでもない。ちょっと生っぽい匂いと湿った感じはあるものの、不快だということはない。地面になっている肉も柔らかくない。土の地面を歩いているような感じで、アイシャの中の下渋谷のイメージがどんどん変わっていった。
「あの、ウルヴォグさん」とアイシャは尋ねた。
「はい。なんでしょうか?」
「さっきのお話なんですけど、良くない噂って、どんな噂なんですか?」
ウルヴォグは少しだけ周囲を警戒してから、そっと指先で宙を撫で、「……〈遮音〉」とコマンドを実行した。
聞いてはいけない話だったかもしれない、とアイシャはハラハラしたが、ウルヴォグは静かに口を開いた。
「龍狩りの仲間意識は非常に高い、というのはアイシャさんもご存知ですよね」
「はい。そう聞いています。たとえ別の星の龍狩りだとしても、すぐに連携できるって……どの星の龍狩りも、龍狩りであれば家族同然、だとか」
「そうです。龍狩りは人類を守る防壁、すべての龍狩りが同じ思いを持っています。だからこそ、龍狩りは同胞を大切にしますし、特にバディには強い信頼を寄せるものです」
ウルヴォグはそう言ってから、大きく息をついた。
龍狩りはその身一つで龍と戦う特殊な仕事だ。人間の何倍、何十倍以上の体積を誇る敵性生物相手なのだから、大規模な魔法や銃火器で倒しても良いと考えそうだが、それはダメだ。
龍の素材は血の一滴まで重要な魔法触媒として活用される。龍は龍そのものが宝物を詰め込みすぎた生きた袋のようなものなのだ。大規模な魔法は貴重な龍を粉微塵にしてしまう。魔法を介さない銃火器は、たとえ核兵器だろうと龍を傷付けることはできない。
そうなった時、人類の対抗手段はひとつだけだ。生身で龍と戦う。そして、なるべく綺麗な形を保ったまま討伐し、多くの素材を得る。それが龍狩りという人類の防人に任せられた仕事だった。
「自分たちが探している人物──白き雷光〈ラヴァン〉は、〈同胞殺し〉の噂がある人物です」
「……え」
「家族同然の龍狩りを、それも、自分が生まれて以来ずっと所属していた猟団を壊滅させたそうです。最初の一等星の龍を狩った時に、戦果を独り占めするために」
「そ、そんなことって……」
「あくまで噂です。あまりにも戦績が優れているので、やっかみかもしれません。ですが、ラヴァンはその事件以降、バディを組まずに単独で龍を狩ってきました。それは事実です」
「そんなこと、できるんですか?」
「できるからこそ、ラヴァンは宇宙で最強の龍狩りだと伝説視されています。噂を払拭しようとすればできるのでしょうが、そんなことをするくらいならラヴァンは龍を狩るでしょうね。何せ、一等星の龍を専門とする龍狩りです。龍を狩ったらすぐに休眠に入って、長い時を過ごす。そして龍が現れたら目を覚まし、龍を狩る……これを二千年続けてきた人物です。伝説にもなります」
あまりの時間スケールの大きさに、アイシャはため息が出てしまった。
一等星の龍が出現したら目を覚まし、龍を狩る。そして狩りが終われば、体を冬眠状態に保つ休眠によって眠りにつき、次の龍が現れたら目を覚ます。それを二千年。二千年前の日本なんて、聖徳太子もいない時代だ。そもそも西暦の始まりに近い。西暦の時代を丸ごと龍狩りに費やすような人がいると思うと、アイシャの胸には畏敬の念すら湧いてきた。
「すごいですね……」
「そんな人物が二〇年前、行方不明になりました。一等星の龍との戦いによって。今でも生きているのか、死んでいるのか、分かりません。自分の望みとしては、死んでいてくれた方が助かるのですが……」
そこまで言ってから、ウルヴォグは遮音を解除した。これ以上話すことはない、ということだろう。
アイシャは与えられた情報に混乱していた。まず、人物の名前はラヴァン。〈白き雷光〉という異名まであるような人。
宇宙の中で最強の龍狩り。同胞を殺して戦果を奪った、いわば裏切り者のような人。それでもその実力から伝説視されているというのだから、桁違いの実力の持ち主なのだろう。
ただ、気になるのは生死を気にしていないという点だ。ウルヴォグは死んでいた方が良い、と言っていたし、生きて保護してほしい、という要望はなかった。一等星位という、地球ではまだ誰も到達していない強力な龍狩りなのだから、助けることで味方につけられないか、とは考えないのだろうか……。
そこまで考えたところで、アイシャは悪い噂のことを思い出した。龍狩りを狩る龍狩りという存在は、確かに恐怖だ。龍を狩るために使われる魔法を使われれば、人間なんてすぐに死んでしまう。魔力を存分に使った膂力で殴られるだけでも、簡単に人は死ぬだろう。
幾千もの戦場を戦ってきた、ある意味で救世主のようだった人が、実はとんでもない極悪人かもしれない。それを思うと、アイシャは寒気がしてぶるりと震えた。
しかし、龍狩りは龍狩り。アイシャの憧れた龍狩りの姿は、そんな姿ではない。
龍狩りは人類と文明の守り手だ。その誇りを持って龍狩りは龍を狩る。それだけは変わらないはずだ。アイシャは手を握りしめた。強く握り込んだせいで爪が手のひらに食い込んだが、それでも握り続けるのを止めることはできなかった。
市場の雑踏はアイシャの想像していた以上の群衆で、ウルヴォグが先頭を歩いてくれなかったら身動きも取れなかったかもしれないくらいだった。
ウルヴォグの背中を必死に追う中で、雑踏の中から「ウルヴォグ、この間は勝たせてもらったよ!」という声がよく聞こえた。
龍と龍狩りの戦いは、いつ始まったのか分からないが賭けの対象になっている。フォンを使えば簡単に賭けに参加できるのも魅力的らしい。本当は違法らしいが、行政の対策が追いついていない部分だ。
「ウルヴォグさんって、有名人なんですね」
道すがら、ウルヴォグは本当に有名人なのだとアイシャは感じた。
「目立つだけですよ。彼らは賭け事しか見ていません」
市場からはウルヴォグに対し、今日は何しに行くんだ、という問いかけもあったが、ウルヴォグは何一つ答えなかった。もう慣れっこなのだろう。ウルヴォグの歩みは少しも衰えなかった。
市場を行き交う人は地球人類と見られる人型人類もいれば、もちろんそうでない地球外人類も多く歩いていた。
「エレナさんとは、長いお付き合いなんですか?」
雑踏の中で、多くの人が大声で話す合間を縫うようにしてアイシャは尋ねた。
「ええ。大切な人ですよ」
「えっ」
「自分の命を救ってくれた恩人です。あの方に返せるものがあるのなら、なんだってします」
「あ、そういう……」
一瞬、胸がときめいてしまった。恋愛の話は大好きだ。アイシャだって十六歳なのだから、色恋なんて憧れる。しかもそれが、まさか住吉商事のCEOと地球で最強と目される龍狩りという組み合わせ。この胸のときめきは仕方がないことだった。
「どうかしましたか?」とウルヴォグが尋ねた。
「あ、いや、……なんだか、意外です。エレナさんってもっと……その、冷徹な方かと思っていました」
アイシャはなんとか軌道を修正した。思い出すだけでも、エレナはチャーミングな人だったが、それと同時にどこまでも冷めた視点を持っているように思えた。彼女の中心にあるものはあくまでビジネスであって、感情的なことに流されるような人物にはとても見えなかった。
「立場もある方です。それに、アイシャさんが想像しているよりも面白い方だと思いますよ」
「へ、へぇ〜?」
あ、やっぱり親密なのかも……。思わず声が上擦ってしまった。
「アイシャさんも、面白い方ですね」
ウルヴォグはそう言うと、くすくすと笑った。口角が少しだけ上がる、ささやかな微笑み。きっとこの笑顔が良いのだろうとアイシャは思った。頑健な武人のような佇まいなのに、笑顔はひっそりと優しい。
アイシャとしてはエレナとの話をもっと聞きたかった。アイシャは友達が少ないけれど、数少ない友人から聞く恋愛の話は良いものだ。それが嘘だって構わないのだ。憶測だっていい。ときめくのだから。アイシャはため息をついて、大きく息を吸った。自分に仕事中だと言い聞かせるために。
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