第三章 1

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 『楊紫連 三十八歳 百七十五センチ 八十七キロ 左手の甲に赤い龍の刺青 世田谷区で家族四人を強盗殺人 証拠不十分で釈放 新宿付近をテリトリーにする』

「なんだこれは」

 その手配犯の情報を見た途端、泉は声を上げた。

「証拠不十分で、なんで手配犯になるんだ」

「ああ、その男かい」

 店主がやってきて、鼻白んだ表情になった。

「やったのは確かなんだ。だが弁護士が凄腕で、指紋が不鮮明だって言って証拠不十分になっちまった」

「ふうん」

 泉は画面に映し出された情報を読んだ。

「左手に赤い刺青……?」

 あの日、姉を殺した男の手にも。

 赤い痣があった。

 これはもしかして。もしかして。

「おい」

「うん?」

「痣を隠すために上から刺青を入れることって、できるかな」

「うーん、どうだろう。タトゥーみたいに針で入れるのと違って、肌理≪きめ≫と肌理の間に彫刻刀みたいので入れるから、もしかしたら隠れるんじゃないのかなあ」

 泉は立ち上がった。

「俺が行く」

 言うや、刀を持って飛び出していった。

「あっちょっと柳ちゃん」

 店主はその背中を、驚いた様子で見送っていた。

「あれ? 俺今の手配犯が中国人のボスの兄弟分だって言ったっけな……?」

 そんなことは露知らず、泉は頭のなかの手配情報を思い出していた。

 新宿付近をテリトリーにする。今日手配されたということは、釈放されて間もないんだ。 どの辺りにいるんだ。

 泉は手配画面のさらに詳しい情報を見てみた。

 『二丁目に頻繁に出没 特に風俗街』

 女狂いか。ずっと拘置所にいたのなら、女に触れられなかったから我慢の限界のはずだ。

 泉は二丁目に足を延ばして、風俗店を片っ端から当たって楊を探した。頻繁に通っているのなら、きっと馴染みの風俗嬢がいてもおかしくない。そう踏んでのことだった。

 五軒、十軒と探しても、楊はいなかった。

 だが二十軒目で、それらしき男を見たと受付の男が言った。

「うん、見たよ。このひとだよ」

「間違いないか」

 泉は携帯の手配画面を男に見せた。

「うん、頭はげてるし、手に刺青入れてるし、間違いないよ。いっつも美代ちゃんにご指名入れてくれるひと。あとちょっとで終わるよ」

「どこだ」

「えっ」

「どの部屋だ」

「じゅ、順番は守っていただかないと」

 泉は刀を抜いた。

「どの部屋だ」

 泉の、整いすぎた容姿に、氷のような冷たさが宿った。その目は気迫を帯び、今にも人を殺さんばかりである。

「お、奥から三番目」

 泉は廊下をずんずん進んで、奥から三番目の部屋の扉を乱暴に押し開けた。

 女の悲鳴が上がると同時に、禿げた頭をこちらに向けた男が叫んだ。

「なんだてめえは」

 それにはこたえず、泉は全裸のその男につかつかと歩み寄った。

「手を見せろ」

「なにっ」

「左手を見せろ」

 男の左手を無理矢理掴んで、その甲を見た。

 甲から手首にかけて、赤い龍の刺青が彫られている。

 あの男の痣は、親指にかけてあった。この男とは違う。

「……」

「いきなり入ってきてなんなんだてめえは」

 唾を飛ばして抗議する男をじろりと見下ろして、泉は言った。

「お前、楊とかいう男か」

 楊が相手をしていた風俗嬢は、抜き身の泉を見て恐れをなし部屋から逃げ出している。

「それがなんだってんだ」

「世田谷で四人殺したな」

「ああ、殺したよ。ちょいと盗んだ拍子に見つかっちまって、顔を見られたんでね。ま、その辺の人間を何人殺ろうが、虫けらを殺すようなもんだ」

 けたけたけたと笑う楊を見て、泉は目を細めた。

「楽しんだかい」

「あん?」

「あの子と、充分楽しんだかって聞いてんだ」

「ああ、そりゃもう。久しぶりだったから俺も張り切っちまった」

 下卑た笑いを浮かべる楊の顔に、彼はかすかに微笑んだ。

「そうか。死ぬ前に満足できてよかったな」

「あ?」

 刀を一閃――

 血がぴゅっ、と飛びはねる。

 表に出ると、冷たい空気が肌に心地よかった。

 外の光がまぶしくて、目を細める。

 違った――。

 街をふらふらと歩いていると、どうでもよくなった。

 首をいつものように持っていって、部屋に帰る気にもなれず、辺りを彷徨い続けた。

 空が暗くなっても、ずっとそうしていた。

 その頃、楊が死んだという一報は回りまわって劉の元へと知らされていた。

「なに、楊のやつが殺された?」

「はい。馴染みの店で、女といる時に」

「誰にだ」

「話によりますと、殺し屋だそうです」

「その殺し屋の名前を突き留めろ」

「はっ」

 新宿は彼の街だ。特に、繁華街には手下の目が光っている。

 殺し屋の名はすぐ知れた。

「頭領、わかりました。柳泉です」

「なに、柳だと」

 劉は持っていた煙草を握り潰した。

「おのれ柳泉≪りゅうせん≫……よくも私の弟分を」

 ぎりぎりぎり、と奥歯を噛みしめる音が響き、怒りのあまり肩を震わせる劉の後ろ姿を、配下の者たちは恐ろしい思いで見つめていた。こうなったら最後、もう誰も彼を止められないのは、彼らが一番よく知っていた。

「奴の首に、賞金をかける」

 劉は椅子に座って言った。

「東京中の殺し屋に付け狙われるがいい、柳泉≪りゅうせん≫。私の力を思い知らせてやる」

「いくらにいたしますか」

「そうだな、金額は――」

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