第21話 “鉄の頑固者”ゴルド

路地の奥に、場違いなほど頑丈な扉があった。


焼けた鉄の匂いが漂い、熱気が肌を刺す。中から荒い工具音が響いている。


壁には雑に貼られた紙。


『ギルド関係者立入禁止』


リシアは思わず足を止めた。


「……ここですか?」


「ここだよ」


スーリが肩をすくめた。


「ゴルドはギルドのベテラン鍛冶師だった。若手を守るために上層部と衝突して、“反抗的”ってレッテルを貼られた」


「反抗的……」


アレンが呟いた。


「“反抗的”ってのは、大抵は上が怠けてる時に言われる言葉だ」


スーリがにやりと笑った。


「さすが経験者みたいな顔で言うねぇ」


アレンは答えなかった。


隣の店の親父が声をかけてきた。


「あそこの親父に用か? やめとけ。怒ってない日がねぇぞ」


「忠告ありがとう」


スーリは扉を叩いた。


-----


しばらくして、扉が開いた。


無言で現れたのは、五十代半ばの男だった。


目つきは鋭く、顎髭は伸び放題。腕は太く、火傷の跡がいくつも刻まれている。


喋る前から、空気が「帰れ」と言っていた。


「注文なら帰りな。もう客は取らねぇ」


「紹介だよ、ゴルド。腕を求めてる村があってね」


「……村?」


ゴルドの目が細くなった。


「俺を買い叩く気なら帰れ」


リシアは緊張で喉が詰まった。


それでも、声を絞り出した。


「えっと、その……とても腕が良いと聞いて……!」


ゴルドは眉一つ動かさなかった。


「当たり前だ。腕が悪きゃ、ここにはいない」


リシアは言葉を失った。


スーリは助け舟を出さない。腕を組んで、にやにやと観察しているだけだ。


(どうしよう……)


リシアの頭が真っ白になりかけた時、アレンが一歩前に出た。


-----


「中を見せてもらえるか」


アレンの声は静かだった。


ゴルドはしばらくアレンを見つめた。


「……何が分かる」


「分からないかもしれない。でも、見たい」


数秒の沈黙。


ゴルドは舌打ちして、扉を開けた。


「勝手にしろ」


-----


工房の中は、整然としていた。


壁には古いハンマーが何本も掛けられている。どれも柄が磨り減り、長年の使用を物語っていた。床は研磨粉で白く染まり、炉からは魔力の微細なうなりが聞こえる。


道具は使い込まれているが、配置に無駄がない。打ちかけの剣が台の上に置かれ、砥石は均一に削れている。


アレンは壁の隅に目を留めた。


小さな工具が、丁寧に並べられている。


少年用の鎚。初心者向けの鉋。


その横に、未完成の剣がある。


刃先は研がれているが、柄は付いていない。


(……誰かに教えていたのか)


アレンは何も言わなかった。


アレンは火床を見た。


炎の色、温度管理。魔力の熱流が、緻密にコントロールされている。


(……丁寧な仕事だ。無駄がない。村に欲しいのは、こういう職人だ)


ゴルドが気づいた。


「……お前、鍛冶を知ってるな?」


「少しだけ。道具を見ると、その人の腕が分かる」


「そこらの素人じゃねぇな」


ゴルドの目が、わずかに変わった。


警戒ではない。値踏みだ。


ゴルドは打ちかけの剣を一瞥した。


「……これは」


何かを言いかけて、黙った。小さく舌打ちする。


アレンとゴルドの間に、何かが通じた。


リシアには理解できない、職人同士の視線の交錯。


-----


リシアは気を取り直して、交渉を試みた。


「村にはあなたの力が必要です。設備は限られていますが──」


「設備がない場所で何を鍛てっていうんだ」


ゴルドが遮った。


「鉄も少ねぇ、炉もねぇ、弟子もいねぇ。おまけに王都から遠い。何のメリットがある」


リシアは言葉に詰まった。


反論できない。全部、事実だった。


アレンが別の方向から切り込んだ。


「ギルドに残る気はないのか?」


「ねぇな」


ゴルドは吐き捨てた。


「俺は”若ぇのを潰すやり方”が嫌いなんだよ。才能があっても、上に睨まれたら終わり。そんな場所に未練はねぇ」


「……なら、村には若い奴が多い」


「経験値ゼロのガキばかりだろ」


「だからこそ、お前みたいな奴が必要なんだ」


静かな緊張が流れた。


スーリが横から口を挟んだ。


「この村、あんたが思ってるよりポテンシャルあるよ? 魔石も素材も、ギルドじゃ禁止の方法で加工できるかもね」


「……“ギルド禁止”って言葉で人を釣ろうとしてんのか?」


「釣られたいなら、どうぞ」


ゴルドは鼻を鳴らした。


-----


アレンは一歩踏み込んだ。


「ギルドを出た理由……全部じゃないな」


ゴルドの目が鋭くなった。


「若い職人を守ったんだろ。自分が干されるのを分かってて」


「……スーリ、お前が何を話した?」


「何も。アレンが勝手に見抜いただけだよ」


ゴルドの目が、わずかに揺れた。


アレンは続けた。


「俺にも覚えがある。上が腐ってる時、下を守ろうとすると”反抗的”になる」


「……」


「だから分かる。お前は筋を通しただけだ」


ゴルドは黙ったまま、打ちかけの剣を見つめた。


「……守れなかったんだよ」


声が低くなった。


「俺が庇った若いのは、結局ギルドに潰された。技術を盗まれて、使い捨てられた」


ゴルドの拳が震えた。


「俺は何も守れなかった。だから……もう誰も教えたくないんだ」


沈黙が落ちた。


アレンは何も言わなかった。


ただ、その痛みを受け止めた。


その時、アレンの視界が歪んだ。


鍛鉄の匂い。火花の音。


金属音が重なる。


-----


──若い職人が倒れる。


──誰かが名を呼んでいる。「マーク!」


──自分の手が、血で濡れている。


──赤い。熱い。


──『お前のせいだ』


──違う。俺は……守ろうと──


──声が遠のく。


-----


「アレン? 顔色が……」


リシアの声で我に返った。


アレンは、胸の奥がじん、と痛むのを隠すように深呼吸した。


「大丈夫だ」


額の汗を拭う。


手が、わずかに震えていた。


また霧の中に消えていった。掴めそうで、掴めない。


(……マーク? 誰だ?)


-----


ゴルドが背を向けた。


「悪いが、行く気はねぇ。話は終わりだ」


扉に手をかける。


その瞬間、リシアが叫んだ。


「あなたは潰さなかった……違います」


リシアの声が震えていた。


足も震えている。


でも、止まらなかった。


「あの時、誰よりも……」


言葉が詰まる。


深呼吸。


「……“守ろうとした人”でしょう?」


最後の言葉が、ようやく出た。


リシアの手が、拳を握りしめている。


ゴルドの手が、わずかに震えた。


拳を握り込む。


肩に力が入る。


工房が静まった。


鉄を打つ音も、炎の音も、消えたように感じた。


数秒の沈黙。


ゴルドの眉が、わずかに動いた。


それから、背を向けたまま動かなくなった。


ゴルドは振り返らなかった。


「……スーリ」


「ん?」


「こいつら、本気か?」


「ええ、本気だよ。だから癖者のあんたを紹介したんだ」


長い沈黙。


ゴルドの頬に、わずかな苦笑が浮かんだ。


-----


「……帰れ」


ゴルドは言った。


「だが、一つだけ言っとく」


三人は息を呑んだ。


「鍛冶屋は鉄を見る。人間も同じだ。お前らがどれだけの”熱”を持ってるか……」


ゴルドは扉を開けた。


「そのうち見に行くかもしれねぇ」


リシアの目が輝いた。


「……っ!」


スーリがにやついた。


「つまり、“完全拒否じゃない”ってことだよ」


扉が閉まった。


アレンは心の中で呟いた。


(……来る気はある。ただ、理由が必要なんだ)


-----


工房を出てから、リシアが大きく息を吐いた。


「……すごく怖かった……」


「でも最後は押し返したじゃない」


スーリが笑った。


「それに、あたしが事前にゴルドに伝えといたことがあってね」


「え?」


「『変わろうとしてる村がある』って。だから、ほんの少しだけ心が開いてたんだよ」


アレンは眉をひそめた。


「……それ、先に言えよ」


「言ったら面白くないでしょ?」


スーリは肩をすくめた。


「よく言った」


アレンが言った。


「俺じゃなくて、お前だから揺れた言葉だ」


「ほ、本当……?」


「本当だ」


アレンは少し間を置いて付け加えた。


「……まあ最初の”とても腕が良いと聞いて”は微妙だったが」


「採点するなよアレン!」


スーリが笑い声を上げた。


-----


「よし、次は医者のマルセルだ」


スーリが歩き出した。


リシアが不安そうに訊いた。


「癖が強いんですよね……?」


「強すぎて、逆に癖しかないよ。でも、“必要とされる場所”って言葉には弱い。そこを突きな」


リシアは小さく頷いた。


「わたし、胃が痛いのはアレンだけじゃないですよ……」


「俺のせいか?」


「原因トップ3のうち二つはあんただよ」


スーリが笑った。


アレンは溜息をついた。


「……また胃が痛くなるな」


三人は路地を歩いていった。


次の交渉へ。


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