第19話 壁の向こう側
バルディアの門前には、長い行列ができていた。
商人、旅人、傭兵、荷車。様々な人間が検問を待っている。
兵士たちの視線は鋭く、一人一人を値踏みするように見ている。
「いい?」
スーリが小声で言った。
「“辺境村”って言わないでよ。余計な疑いをかけられるから」
「分かってる」
アレンが頷いた。
リシアは緊張した面持ちで頷いた。
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行列が進み、三人の番が来た。
「目的は」
兵士が無表情で訊いた。
「商材の打ち合わせ」
スーリが答えた。
「こっちは助手」
兵士の視線がリシアに向いた。
リシアの肩がびくりと跳ねた。
兵士の目が一瞬だけ、スーリに向いた。
わずかに眉が動く。(知っている?)
「……出身は」
声に僅かな疲労が混じっている。
リシアが口を開きかけた瞬間、アレンが肘で軽く制した。
「東部の小さな町です」
アレンが代わりに答えた。
「商売を学ぶために同行しています」
兵士はしばらくアレンを見つめた。
数秒の沈黙。
「……通れ」
三人は門をくぐった。
リシアが小さく息を吐いた。
「……怖かった」
「慣れなよ」
スーリが肩をすくめた。
「あの兵士、スーリさんを知ってましたよね?」
アレンが訊いた。
「顔パスってやつだよ。新領主の政策に不満がある奴は多いからね」
スーリは肩をすくめた。
「全員が王国の犬ってわけじゃない」
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門を抜けた瞬間、空気が変わった。
人の波。喧騒。叫び声。物売りの声。
そして──臭い。
「……ここは」
リシアが足を止めた。
貧民街だった。
狭い路地に人が溢れている。痩せた子供たちが走り回り、汚れた排水が道の端を流れている。
家屋は傾き、壁は崩れかけている。
村より人口が多いのに、村より貧しい。
「この区画は夜になると魔物避けの結界が弱まるんだ」
スーリが説明した。
「だから家賃が安い。命の値段も、ね」
リシアの背筋が冷たくなった。
「この子たち、どうして……」
痩せた手を差し出す子供がいた。
その背後で、別の子供がリシアの荷物に手を伸ばしている。
アレンがさりげなく荷物を引いた。
子供は舌打ちして去っていった。
リシアは気づいていない。
「都市は、生き残るだけで精一杯の人間が集まる場所だ」
アレンが言った。
「村には土地がある。ここには何もない」
路地の奥で、何かが倒れる音がした。
怒声。殴打音。
リシアが振り返ろうとした。
「見るな」
アレンが制した。
「……今のは……」
「止められない。俺たちには力がない」
リシアは唇を噛んだ。
足が震えている。
アレンが静かに言った。
「いつか、こういう場所も救えるようになりたいか?」
リシアは小さく頷いた。
「……はい」
「分かってる。でも、今は村を救うことが先だ」
リシアはしばらく黙った後、小さく頷いた。
「……分かった」
スーリは黙って先を歩いた。
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貧民街を抜けると、景色が一変した。
商人街だ。
店が立ち並び、客引きの声が飛び交っている。商品が山積みにされ、値段交渉の怒号が響く。
活気がある。だが、その裏には競争と搾取の匂いが漂っていた。
「ここが商人街。金が動く場所だね」
スーリが説明した。
「魔道具を扱う店が少ないだろ? 新領主が魔道具税を上げたから、裏に潜ったんだ」
アレンは周囲を見回した。確かに、魔道具の看板がない。
「商談、競争、軽犯罪。全部が日常」
リシアは物珍しそうに周囲を見回した。
ふと、露店に並んだアクセサリーに目が留まった。
「あ、これ綺麗……」
「ほらほら、交渉役さん」
スーリが笑った。
「財布の紐が緩んだらダメだよ」
「み、見てるだけです!」
「そう言って買っちゃうのが客だからね」
アレンは二人のやり取りを聞きながら呟いた。
「……お前は逆に締めすぎなんだよ」
「何か言った?」
「何も」
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ある店の前を通りかかった時、スーリの足取りがわずかに変わった。
店の奥から、男の視線が向けられる。
嫌悪と警戒。
スーリは顔色を変えず、さりげなく迂回した。
「……今の?」
アレンが小声で訊いた。
「昔の取引相手。少し揉めてね」
スーリは肩をすくめた。
「商売上の敵は、どこにでもいるもんさ」
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商人街の奥に、白い壁が見えた。
貴族街だ。
高い塀に囲まれ、衛兵が何人も立っている。
「あそこは?」
リシアが訊いた。
「金と血統がある人間だけが住める場所」
スーリが皮肉っぽく言った。
「あそこは古代遺跡の上に建ってる。地下に何があるか、誰も知らないけどね」
白い壁の向こうに、古い石造りの塔が見えた。
「あたしらが立ち入れたら、それはそれで国が終わるよ」
白い壁の向こうには、別の世界がある。
同じ都市なのに、まるで違う国のようだった。
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「バルディアは今、揺れてる」
歩きながら、スーリが言った。
「新領主が就任してから、取り締まりが厳しくなった」
「新領主?」
「前の領主が死んで、息子が継いだ。若くて野心的な男さ」
スーリは肩をすくめた。
「“成果”を出したくてしょうがないんだろうね。商人の審査は厳しくなるし、税は上がるし、裏取引は増える」
「裏取引が増える?」
「締め付けが強くなれば、表で商売できない奴が増える。そうすると裏に流れる。需要と供給だよ」
アレンは黙って聞いていた。
(村とは別の形の”搾取”がある……)
王国の支配構造が、少しずつ見えてきた。
上が荒れれば、下も揺れる。
その皺寄せは、いつも弱い者に向かう。
(これが、王国の”日常”か)
その時、都市の喧騒が耳に響いた。
金属の音。叱責の声。足音。
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──どこか知っている。
──高い壁。
──走る足音。
──怒号。
──いや、違う。
──静かな部屋。
──誰かの髪に触れている。
──柔らかい布の感触。
──「……大丈夫だよ」
──誰に言った? 誰が言った?
──記憶が混ざる。
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「アレン?」
リシアの声で我に返った。
「大丈夫? 顔色が……」
「気にするな。歩こう」
アレンは歩き出した。
また霧の中に消えていった。掴めそうで、掴めない。
だが、今回は何かが違った。
戦場だけではない記憶。
誰かの温もり。
(ダメだ、また……思い出せない)
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商人街の一角で、声が上がった。
「おい、そこの嬢ちゃん!」
路上商人がリシアに近づいてきた。
「いいもんがあるぜ。辺境じゃ手に入らない品だ。特別に安くしてやるよ」
リシアが戸惑った。
「えっと、私は……」
「ほら見な、この細工! 銀貨三枚だ。都市じゃ五枚はするぜ」
「あの、今は……」
「何だよ、金がねぇのか? 田舎娘は貧乏だな」
その瞬間、スーリが割り込んだ。
「田舎娘だからって舐めてんじゃないよ」
スーリの目が鋭くなった。
「その品、どこで仕入れた? 帳簿見せな」
路上商人の顔が引きつった。
「な、何だよ急に……」
「あたしは商人ギルドに顔が利くんだ。無許可で商売してるなら、通報してもいいんだよ?」
路上商人は舌打ちして去っていった。
「……ありがとうございます」
リシアが頭を下げた。
「礼はいいよ。これがバルディアの日常だから」
スーリは歩き出した。
「衛兵は領主の目。自警団は街の目。似てるようで全然違う。どっちも信用しすぎないこと」
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商人街を歩いていると、店の前で喧嘩が始まった。
傭兵らしき男たちが怒鳴り合っている。
アレンはさりげなく軌道をずらし、三人を喧嘩から遠ざけた。
「……よく気づいたね」
スーリが感心したように言った。
「補佐役ってのは、こういう仕事もするのかい」
「目立たないのが仕事だ」
アレンは淡々と答えた。
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夕暮れ時、スーリが屋台の前で足を止めた。
「さて、次は商談場所だけど……まずは腹ごしらえ」
屋台には、見たことのない料理が並んでいた。
スパイスの強い匂いが漂っている。
「これ、何ですか?」
リシアが訊いた。
「南部の料理だよ。辛いけど美味い」
スーリが注文した。
リシアが一口食べた瞬間、顔が真っ赤になった。
「からっ……!」
「だから言ったでしょ」
スーリが笑った。
アレンも一口食べた。
辛い。
だが──
(……違う)
前世で食べた料理に似ている。だが、決定的に何かが違う。
香辛料の配合? いや、そうじゃない。
(誰かと、食べた……?)
記憶が揺れた。
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──テーブルを挟んで、誰かが笑っている。
──「辛いでしょ? 水飲む?」
──女性の声。
──顔が見えない。
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「アレン?」
リシアの声で我に返った。
「……何でもない」
手が、わずかに震えていた。
「二人とも、もっと世事に慣れな」
スーリが言った。
「これから会う連中は、もっと癖が強いからね」
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食事を終え、スーリが細い路地へ案内した。
夕日が路地を赤く染めている。
スーリが足を止め、振り返った。
その表情が、いつもと違った。
「これから会う連中は、腕は確かだけど崖っぷちにいる」
スーリの声が低くなった。
「下手なこと言うと、帰ってこられなくなる。……覚悟はいいかい?」
リシアは深呼吸した。
「はい。……行きます」
アレンが頷いた。
「後ろは任せろ」
スーリの目が鋭くなった。
「よし」
彼女は路地の奥へ歩き出した。
「交渉はここからが本番だよ」
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