0日目 墜落事故
朝、滑走路はまだ薄暗かった。
天狼さんはいつもより早く来て、機体の周りを一人で歩き回っていた。
私は遠くからそれを見ながら、胸が締めつけられるのを感じた。
まるで、これが最後だと知っているかのように。離陸は完璧だった。
プロペラの回転音が心地よく響き、機体は軽やかに空へ舞い上がる。
八千フィートで水平飛行に入り、私は操縦桿を握ったまま、天狼さんを見た。「みよりん、いいぞ。そのままキープ」天狼さんは微笑みながら、チェックリストを読み上げる。
その横顔があまりにも穏やかで、私は一瞬、恋なんて忘れてしまいそうになる。でも、次の瞬間だった。突然、エンジンが咳き込んだ。
プロペラの回転が不規則になり、機体が前後に揺れる。「え……?」私の声が震える。
天狼さんの表情が一瞬で変わった。「パワー低下! エンジンブローだ!」次の瞬間、轟音とともにエンジンが完全に止まった。
プロペラが風車のように空転し、機体は急に重くなる。無線機に手を伸ばす天狼さん。
でも、計器盤の電源ランプがすべて消えていた。
電気系統も死んでいる。
無線は使えない。「みよりん! ベストグライド! 速度一二〇キロ! 山の谷間へ向けて降下!」私は必死で操縦桿を引いた
機体は沈みながら、ゆっくりと前へ滑る。
でも、目の前は深い山。
どこにも平らな場所なんてない。「だめだ……着陸できる場所が……」私の声が裏返る。
天狼さんはシートベルトを締め直し、私の肩に手を置いた。「落ち着け。俺がいる。……一緒に降りる」その手の温かさが、なぜか涙をこみ上げさせた。高度がどんどん落ちていく。
三千フィート。
二千フィート。 木々が迫ってくる。
私は最後の力を振り絞って、機首を少しだけ上げた。衝撃。世界がひっくり返った。機体は木々に激突し、翼が折れ、胴体が地面を抉る。
私の体はシートベルトで固定されていたが、頭を強く打ちつけた。
視界が赤く染まる。
額から血が流れ落ちるのがわかる。煙と火の匂い。
エンジンから火が出ている。「天狼さん!」私は叫びながらシートベルトを外した。
隣を見ると、天狼さんは意識はあるものの、左足が不自然に曲がり、頭から血を流している。
複雑骨折だ。
動けない。「みよりん……早く……逃げろ……」掠れた声。
でも、私は首を振った。「嫌です! 一緒に逃げます!」私は自分のシートベルトを外し、天狼さんの体を抱き起こす。
重い。
でも、必死で引きずる。「痛い……っ……」天狼さんが呻く。
私は涙を流しそうなのを堪えて、機体から這い出す。十メートルほど離れたところで、背後で爆発音がした。振り向くと、機体が炎に包まれていた。
オレンジ色の炎が空高く舞い上がり、黒煙が立ち昇る。私は天狼さんを抱いたまま、地面に崩れ落ちた。
彼の体は熱く、血でべとべとしていた。
私の制服も血だらけだ。
頭から血が滴り落ち、視界がぼやける。「……生きてる……生きてるよね……?」私は震える手で天狼さんの首に触れた。
脈がある。
弱いけど、確かに打っている。「……みよりん……ごめん……」天狼さんが目を薄く開けた。
その瞳に、私の顔が映っている。「謝らないでください……私が……私が操縦してたのに……」声が詰まる。
涙が頰を伝い、血と混じって地面に落ちる。「……お前は……よくやった……」天狼さんが、血まみれの手で私の頬に触れた。
その指先が震えている。「俺が……もっと早く気づいていれば……」「違う! 天狼さんが悪いんじゃない!」私は叫んだ。
そして、天狼さんの体を強く抱きしめた。熱い。
彼の体温が、私に伝わってくる。
こんなに近くで抱きしめたのは、初めてだった。(好きです)
(死ぬほど好きです)
(言えないまま、死にたくない)炎が背後で轟々と音を立てている。
夜が迫ってくる。
山の奥深く、誰もいない場所で、私たちは二人きりで、血と煙にまみれていた。「……天狼さん……絶対に、死なないでください……」私は彼の耳元で、震える声で呟いた。天狼さんは、かすかに頷いた。
でも、その瞳は、もう遠くを見ていた。
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