永遠の3

花野井あす

PGSGの発足


 教授の眼鏡が旅に出た。

 

 ハワイか?リオデジャネイロか?

 否。眼鏡にはパスポートが無いのでもしバカンスで海を渡ったのならばそれは密航。犯罪だ。教授の眼鏡がそのような愚かな行為をするはずがない。彼は常に教授に優しく寄り添い、さとし、時には導いていた、奥方も嫉妬する素晴らしいパートナーだ。

 

 ではどこへ行ってしまったというのか。

 

 もしやたびたび古い眼鏡と掛け間違って「ふむむ……今日はなんだか視界がぼやけるのう」などとぼやく教授に、とうとう堪忍袋の緒が切れて家出をしてしまったのではないだろうか。これは由々しき事態だ。講義が始められない。――そもそも眼鏡が無いのにどうやって出勤したのか定かではないが、きっと研究室に寝泊まりしたのだろうという予想で見なかったことにする――講義が始まらないということは、学生諸君はこの黴臭い講義室から永遠に出られないことを指す。アルバイトは?青春のサークル活動は?エベレストなみに積み上がったままのレポート課題はどうするのだ。

 学生諸君はざわざわとざわめくが、何度見ても教授の目は漫画みたいな「3」のまま。なんと驚いたことに、スマートフォンで撮影し画像加工アプリをもってしてもこの「3」は治らない。ではどうすべきか。

 そこで学生諸君のひとりであるタカモトが立ち上がり、教卓に上がった。


「学生諸君、落ち着きたまえ!」


 彼は学生会の代表であり、「教授の眼鏡を探す会PGSG」プロジェクトのプロジェクト・リーダーなのである。「教授の眼鏡を探す会PGSG」プロジェクトとは、旅に出た眼鏡の位置を特定し、あの手この手を使って説得するため立ち上げられた緊急対策本部である。タカモトを含め総勢十三名。彼らの一部は教授の眼鏡捜索のために一生を捧げる覚悟である。

 タカモトの一喝に講義室が静まり返ると、彼は「3」の目の教授を一瞥し、それから不安そうにそわそわする学生諸君を見渡す。最後に並んで立つ、メンバーのうちのひとりで副リーダーに選ばれたヨシザワへ目を向けた。


「ヨシザワ学生。我々は早急に対応せねばならない。どうすべきかと思うかね」

「教授の目を「3」から「8」とかにしたらどっすかね」

「それはその場しのぎにしかなっていない。いつかは「3」に戻り、我々の魂もまた講義室に呼び戻されてしまう」


 確かに、とヨシザワは肯く。


「そうなると、ローラーっすね。教授の顔面を塗り潰してしまえば、「3」も「8」も「0」もないっす」

「そうだな。くまなく探そう」


 まったく話が噛み合っていないことすら気づかずにタカモトも肯き、講義室でざわめく学生諸君へ熱い視線を向け、宣言した。


「わが同胞にして学生諸君!眼鏡を!教授の眼鏡を探すためのローラー作戦を敢行する!」


 まずは構内だ。

 旅の計画途中でまだ近くを歩いているかもしれない。学生諸君はまず教授の研究室に押しかけ、やたら論文雑誌だの計算用紙だの眼鏡カタログだので犇めいた室内で整列し、棚の隙間、机のうえ、床の隅っこなどくまなく確認して回る。これらを担ったのはスリムで小柄な学生たち。主に女学生だ。

 

「見つかりません、タカモトリーダー」

「見つかりません、タカモトリーダー」

「未使用コンタクトレンズは見つけました、タカモトリーダー」

「教授と言えば眼鏡だ。コンタクトレンズは捨ておきたまえ」

「了解いたしました、タカモトリーダー」


 コンタクトレンズはコンタクトレンズメーカーに返品された。だが眼鏡は見つからない。常ならば埃っぽく野暮ったい研究室が一時的に華やぎ、ノートパソコンのCPUがいつも以上に稼働していたくらいにしか成果はない。タカモトは学生たちを連れて廊下へ向かった。

 全学年の学生諸君がびっしりと隙間なく並び、隙間なく調べ回る。側溝の隙間に詰まっていたタヌキが居場所を失って路頭に迷うくらい、彼らの探索には隙間がなかった。隙間が無さすぎたあまり空気中の水分子つまり水蒸気がぎゅうぎゅうに圧縮され、水になってしまったくらいだ。それを見て副リーダーのヨシザワは、


「肌が潤っていいっすね。教授の目が潤って「1」とか「7」になったりしないっすかね」


 と零す。もちろん、そんな暫定的な解決方法を熱血リーダーのタカモトが許すはずがない。


「ダメだ。教授には眼鏡が必要だ」

「でも眼鏡ぜんぜん見つからないっすよ」

「構内にないならば、構外へ行くまでだ」


 そういうわけで、タカモトは学生諸君を講堂へ集めた。

「これより教授の眼鏡捜索グループを決める。そのためには担当地域に学生諸君を割り当てねばならない。学生諸君、出身県マップを作成するため、日本国籍を保有するものは挙手し出身県を名乗り出てほしい」


 隙間なく調べ上げるならば地の利があるに越したことはない。そう考えての発言である。

 もしこれが眼鏡の誘拐事件であると発覚すれば警察の協力を得られるのだが、その確証はないうえ、家出の可能性があるように思われるほど頻繁に古い眼鏡といまの眼鏡を掛け間違えるパートナーなので、なおさら警察からの協力は期待できない。元カノや元カレと何度も間違われれば誰でも機嫌を損ねるだろう。

 

教授の眼鏡を探す会PGSG」プロジェクトのメンバーたちは学生たちの出身県を日本地図へマッピングしていき、その偏りに眉をひそめる。


「千葉県民がいません、タカモトリーダー」

「千葉県民は東京の名をかざす愚民だ。東京ネズミーランドだの、ルルポート東京ベイだの、東京ドバイ村だの。東京都民が兼任する」

「岐阜県民がいません、タカモトリーダー」

「彼らはしばしば己の出身地を「名古屋のほうです」と偽るそうじゃないか。よって愛知県民が兼任する」


 こうして地元民がチームリーダーを担うチームが組織され、彼らは新幹線・飛行機・船、あらゆる交通手段を予約して散らばった。これらの交通費は大学持ちである。なんせ、彼ら学生諸君の魂はずっと講義室に留め置かれたまま。この捜索活動が長引けば異変に気が付いた親戚家族友人恋人たちが大学へ押し寄せ、学生諸君の拉致監禁を解くよう説得しに来ること間違いない。

 散り散りになった学生諸君はブタクサの生い茂る原野からご来光の美しい山のてっぺんまで徹底的に調べ上げてゆく。海あり県であればダイバー資格を保有する学生が海女さんに交じって海へ潜り、ワカメやイソギンチャクの裏まで調べあげる。これらには主に生物学を専攻する学生が自然と多かったと言えよう。

 こうして学生諸君たちは意気揚々と力を合わせ、教授の眼鏡探索を推し進めた。ある問題にぶち当たるまでは。

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