第2話 犬系幼馴染みを3時間無視してみた結果
ノートの流出事件から一夜明けた、放課後の教室。
私は幼馴染みの大和撫人(やまとなでと)に、壁際に追い詰められていた。
「なあこころ、頼むよ! 一回だけ! 一回だけでいいから!」
撫人が拝むように手を合わせている。
その背後には、幻視レベルの尻尾がブンブンと振られているのが見える。
「……だから、何がしたいのよ」
「実験だよ、実験! あのノートに書いてあったろ? 『放置すると拗ねる』ってやつ!」
撫人は目を輝かせて言った。
「俺さ、自分でも気になってたんだよ。俺って本当にそんなに犬っぽいのか? こころに無視されたら、俺はどうなっちまうんだ? それを確かめたいんだよ!」
バカだ。
こいつは正真正銘のバカだ。
自分から「無視してくれ」と頼む人間がどこにいる。
「……本気?」
「おう! 俺のメンタルがどこまで耐えられるか、勝負だ!」
撫人がガッツポーズをする。
勝負って何だ。誰と戦ってるんだ。
「わかった。じゃあ、今から3時間。私、撫人のこと空気だと思って過ごすから」
「望むところだ! 俺の鋼のメンタルを見せてやるぜ!」
撫人は自信満々に胸を張った。
◇
実験開始から10分。
私は図書室で本を読んでいた。
視界の端に、撫人がいる。
彼は私の向かいの席に座り、漫画を読んでいる……ふりをしている。
チラチラとこちらを見ているのが丸わかりだ。
(まだ余裕そうね)
私はページをめくる。
30分経過。
撫人が貧乏ゆすりを始めた。
ガタガタと机が揺れる。
漫画のページをめくる音が、やけに大きい。
「俺はここにいるぞアピール」がすごい。
1時間経過。
撫人が突っ伏した。
机に突っ伏したまま、指先でトントンと机を叩いている。
モールス信号か何かだろうか。
解読すると「ヒ・マ・ダ」になりそうだ。
1時間半経過。
視界から撫人が消えた。
お、ついに諦めて帰ったか?
そう思ってふと顔を上げると――。
本棚の隙間から、死んだ魚のような目をした撫人がこちらを覗いていた。
「……ッ!?」
心臓が止まるかと思った。
ホラー映画かよ。
撫人は私と目が合うと、パッと表情を明るくして口を開きかけたが、私がすぐに視線を逸らすと、またズーンと沈んだ顔に戻った。
2時間経過。
クラスのグループLINEに通知が来た。
撫人からだ。
『大和:世界の終わりって、こんなに静かなんだな……』
『大和:[画像](夕暮れの教室で膝を抱える自撮り)』
クラスメイトたちから即座に反応が飛ぶ。
『月読:大和、うるさい』
『白蛇:先輩、邪魔です』
『小倉:大和くん、大丈夫……?』
私はスマホを伏せた。
笑ってはいけない。これは実験なのだ。
そして、運命の3時間後。
私は図書室を出て、昇降口に向かった。
靴箱の前で、撫人が待っていた。
いや、「待っていた」という表現は正しくない。
彼は靴箱の前に体育座りをして、完全に灰になっていた。
「……撫人?」
私が声をかけると、撫人はビクッと肩を震わせた。
恐る恐る顔を上げる。
その目は赤く、捨てられた子犬そのものだった。
「……こころ……?」
「うん。3時間経ったよ。お疲れ」
私がそう言った瞬間。
撫人が弾かれたように立ち上がり、私に飛びついてきた。
「ここ゛ろ゛ぉぉぉぉ!!」
「ぐえっ!?」
タックルに近い抱擁。
撫人は私の肩に顔を埋め、子供のように喚いた。
「死ぬかと思った! マジで死ぬかと思った! お前、無視しすぎだろ! 俺の存在消えたかと思ったわ!」
「あー、よしよし。ごめんって」
私は苦笑しながら、撫人の頭を撫でた。
髪の毛は汗で少し湿っている。
どれだけ必死だったんだ。
「もう二度とやんねぇ……無視とか絶対ダメだ……俺、お前がいないと息もできねぇ……」
「大袈裟だって」
「大袈裟じゃねぇよ! マジなんだよ!」
撫人が顔を上げる。
至近距離にあるその瞳は、真剣そのもので。
「……俺、お前に無視されたら、生きていけねぇわ」
ドキン。
不意打ちだった。
ただの幼馴染みの、ただのバカな実験の結果報告のはずなのに。
その言葉が、妙に胸に刺さった。
「……わかったよ。もうしないから」
「約束だぞ! 絶対だぞ!」
「はいはい」
撫人はようやく満足したのか、パッと笑顔になった。
そして、私の鞄を持った。
「よし、帰ろうぜ! 腹減った! ラーメン食いに行こう!」
「切り替え早っ」
さっきまでの落ち込みはどこへやら。
撫人はいつもの元気な犬系男子に戻っていた。
でも、繋いだ手だけは、いつもより少し強く握られている気がした。
……まあ、実験結果としては。
『取扱説明書通り、放置すると拗ねる。ただし、その後のデレが激しい』
と追記しておこう。
(第2話 完)
次回予告:
「僕も実験してみたいんだけど」
生徒会長の月読零が、静かに動き出す。
「無視すると膝に乗ってくる……これ、本当かな?」
生徒会室という密室で、理理性的な会長が理性を失う!?
次回、第3話『生徒会室で起きた膝乗り事件』。
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