ファグルの森のレストラン
三瀬 杠
第1話 ファグルの森のレストラン
ファグルの森は、夕暮れになると不思議な色の風が吹く。木々の葉が青にも紫にも見えて、陽が落ちるたびに森そのものが「今日の色」を決めているようだった。
その中心に、ぽつんと一軒だけ灯りをともす建物がある。
魔法使いドレグアのレストランだ。
派手さはない。丸太を積んだ質素な小屋で、看板には魔力で浮かぶ文字がふらふらと漂っている。「開いてるよ」と書いてはいるが、時折「気分次第」と勝手に変わる。ドレグア曰く、魔法の副作用らしい。ほんとかどうかは怪しいが。
レストランの扉がきぃ、と開くと、今日も賑やかだ。
角の生えた獣人の親子がスープをすする音、異世界から迷い込んだ冒険者の男が巨大キノコのステーキに驚愕している声、森の奥からやってきた妖精たちがテーブルの上で即興の歌を披露している。
混沌だが、いやに居心地がよかった。
ドレグアはカウンターの奥で、鍋をかき混ぜながらニヤリと笑った。
頬に刻んだ古い傷が、火の光で赤く照らされる。
「今日は…ふむ、風の魔素が強いな。スープは軽めに仕上げるか。」
魔素、というのは森の空気に混じる魔力の粒だ。それを調理に使うのがドレグア流。日によって味が変わるのも森のせい。
客は慣れている。
「ドレグアさん、いつもの頼む!」
「肉を倍盛りで!」
「キラキラする飲み物もう一杯ちょうだい!」
客たちの声が飛び交う。そのたびにドレグアは手をひと振りし、鍋や皿、魔法の炎を自在に操っていく。料理というより、もはや芸のようである。
店の片隅では、森の守り人・ファグルの古木であるトレントのズバニが小さく伸びをして、目のような節穴をぱちぱちとさせる。木のくせに、ここの常連だ。
「ドレグア、今日のスープは軽すぎんか?」
「風が強くてな。文句があるなら外の精霊に言え。」
「また精霊か…お前さんのせいじゃろうに。」
古樹がくぐもった声で笑うと、客たちもつられて笑った。
そんな喧騒の中、扉がふわりと開いた。
森の風がそっと入り込み、灯りが揺れる。
入ってきたのは、旅人風の少女。
肩までの髪に森の葉が数枚ついていて、どうやら森を迷ってここに着いたらしい。
「……あ、あの。ここ、レストラン…ですか?」
ドレグアはゆっくりと顔を上げた。その目には、年相応の温かさが微かに宿っていた。
「そうだ。迷ったんなら座りな。森は気まぐれだが、腹が減ってる者には甘い。」
少女はほっと息をつき、席に着いた。
すぐに湯気の立つスープが運ばれる。
「これは…何のスープ?」
「森が今日くれた味だ。飲めばわかる。」
少女はおそるおそる口をつける。
次の瞬間、驚いたように目を丸くした。
「おいしい…!なんだか懐かしい味がします…」
「そうか。じゃあそれは“帰り道の味”だ。」
「え?」
ドレグアは肩をすくめる。
「迷った旅人には帰る手がかりを。森がそう作ったんだろうさ。」
少女はスープを抱えるように飲み、涙が一粒、ぽとりと落ちた。
静かに、笑った。
その横でファグルの古樹がまた伸びをする。
「お前さん、やればできるではないか。」
「煩い。黙って食ってろ、木のくせに。」
レストランの喧騒は続く。
森は気まぐれで、客も気まぐれ。
だがドレグアは今日も変わらず鍋を振るい、魔力の火花を散らしながら料理を作る。
ファグルの森の夜は深い。
それでもレストランの灯りだけは、いつまでも消えることがなかった。
森を迷った者も、疲れ果てた者も、異世界からの旅人も、ここではただの「腹を空かせた客」になる。
そんな優しい、気まぐれな森のレストランである。
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