第4話 乗員デッキの密室

​第三章:2月21 日PM

アダム・パーカーは、豪華客船のイメージ動画で満面の笑みを浮かべていた自分の姿を思い出し、吐き気を覚えた。


​「クルーズは、一生に一度の夢のような体験を約束します!」


​彼はその動画で、ダンスフロアを華麗にリードするエンターテイナーとして紹介されていた。


しかし今、アダムがいるのは、夢とは程遠い、船体最下層にある、湿っぽい乗員専用デッキの一室だった。


​彼は船内清掃員やキッチンのスタッフと共に、四人部屋に押し込められていた。


乗客の客室隔離が始まってから、乗員は業務に従事する者と、濃厚接触者として隔離される者に分けられたが、そのどちらもが地獄だった。



​【乗員(クルー)が見た裏側】

​船会社グローバル・レジャー・ラインが彼らに提供した環境は、乗客のものとは月とスッポンだった。


​乗員デッキの隔離室は窓もなく、換気は不十分。


食料も乗客用の高級な食事ではなく、冷えたパンとシチューなど、最低限のものが配給された。

乗客の客室にはテレビがあり、外部ニュースや映画が見られるが、乗員には娯楽も情報も与えられない。


​最も恐ろしいのは、隔離の「ルール」が極めて曖昧だったことだ。 


​「発熱したら報告」という指示はあったが、アダムが知る限り、発熱してもすぐに隔離されるわけではなかった。


キッチンの同僚が咳をしていたが、人手不足を理由に数日間仕事を続行させられた。


​「彼らは私たちを使い捨ての駒だと思っている」


​アダムは、母国アメリカの恋人に、暗号のような言葉で船内の状況を伝えようと、SNSに投稿を続けていた。


​「ここは楽園じゃない。最下層の住人は、目に見えない病気に襲われている。上層階の客よりも、ずっと過酷な状況だ」


​彼の投稿は瞬く間に拡散され、日本支社の藤木役員が恐れていた「内部告発」として海外メディアに取り上げられ始めた。



​【藤木役員からの圧力】

​その日の午前、アダムは船長室に呼び出された。船長は疲労困憊の顔で、隣には日本支社から派遣された制服姿の担当者が立っていた。


​「アダム。すぐにSNSの投稿を削除しろ。これは契約違反だ」


担当者が低い声で命じた。


​「契約違反? 私たちは感染リスクに晒され、最低限の衛生環境も与えられていない! 業務中のクルーが次々と倒れているのに、あなたたちは客のバルコニーに並べるワインリストの心配ばかりしているだろう!」


アダムは怒りを抑えきれず、立ち上がった。


​担当者は表情を変えなかった。


彼もまた、本社と世論の板挟みになっている藤木役員の部下であり、上層部の論理を代弁しているに過ぎない。


​「これはグローバル・レジャー・ラインの危機管理だ。お前が個人的に情報を流すことは、会社への背信行為にあたる。これ以上続ければ、解雇処分となる」


​その言葉は脅しであり、アダムの胸に重くのしかかった。


彼はこの仕事で家族を養っている。


解雇されれば、コロナ禍が収束した後、二度とこの業界に戻ることはできないだろう。


​しかし、自分の正義感と、毎日咳き込んでいる同僚たちを見捨てることはできなかった。 


​「私がここで何も言わなければ、この船はもっと多くの犠牲を出す。あなたたちの利益優先の対応が、この集団感染を拡大させたんだ」


​アダムは船長室を飛び出した。 


彼は自分の信念に従うことを決意した。



​【乗員たちの決意】

​乗員デッキに戻ると、彼の部屋の前に、清掃係のフィリピン人スタッフが立っていた。 


彼女はアダムの投稿が海外で話題になっていることを知っていた。


​「アダム。あなたの言っていることは正しいわ。私たち、もう我慢できない」


​彼女の目は潤んでいた。彼女たちは、家族に送るはずのわずかな給料のために、危険な環境で働き続けていた。


​アダムは静かに頷いた。


​「私たちは協力しなければならない。この船は、乗客にとっての『楽園の檻』だが、私たち乗員にとっては、ただの『沈没寸前の監獄』だ」


​彼は、乗員間の連絡網を使い、船内での不十分な対策と、必要な物資リストをまとめ始めた。


外部へ情報を流すことは、彼自身のキャリアの終わりを意味するかもしれない。


だが、彼の内側では、豪華客船のエンターテイナーではなく、危機に瀕した人々の代弁者としての、新たな役割が目覚めていた。




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