第12話 魔術師の執着と、研究室への勧誘

「……ふぅ。生き返るわ」


 宿の談話室で、ソフィアがティーカップを置いて溜息をついた。

 彼女の目の前には、俺が淹れたハーブティーから湯気が立っている。


「どうした、魔術師。今日は随分と機嫌がいいじゃないか」


 向かいの席で剣の手入れをしていたエルザが茶化す。

 ソフィアは珍しく言い返さず、うっとりとした表情でカップを見つめていた。


「ええ、調子がいいのよ。ここ数日、論文の筆が進むの。頭の中の霧が晴れたみたいに、新しい魔術式が次々と構築できるのよ」

「へえ、そりゃよかったな」


 エルザは興味なさそうだが、俺は内心で冷や汗をかいていた。

 そりゃそうだろう。

 彼女が飲んでいるその茶には、俺が調合した『脳疲労回復薬(ミント風味)』と『魔力循環促進剤(微量)』が混ざっているからな。

 市販のポーションよりも純度が高く、副作用のない特製品だ。

 これを毎日飲んでいれば、慢性的な睡眠不足も解消され、脳の回転が倍速になるのは当然だ。


「それでね、私、気づいたの」


 ソフィアが眼鏡(俺が磨いたもの)の位置を正し、真剣な眼差しで俺を見た。


「このお茶、ただの茶葉じゃないわね?」

「……え?」


 ドキリとする。

 バレたか?


「市販の茶葉に、君独自の『魔力的なおまじない』をかけているんでしょう? そうじゃないと説明がつかないわ。このリラックス効果、そして魔力の回復速度……。君、実は『紅茶の賢者』の末裔か何か?」

「……いいえ、ただの安売り茶葉です。蒸らし時間を長くしただけですよ」


 俺は無表情で嘘をつく。

 彼女は「謙遜しなくていいわ」と勝手に納得し、身を乗り出した。


「単刀直入に言うわ。君、私の助手になりなさい」

「は?」

「王宮の魔導研究室に来てほしいの。君のその『お茶淹れスキル』と、私の魔導書や杖を完璧に管理する『整理整頓スキル』……。これがあれば、私の研究は十年早く完成するわ」


 彼女の目は本気だった。

 さらに続ける。


「待遇は保証するわ。公務員としての地位、年金、それに研究室のソファで寝る権利もあげる」

「いや、ソファはいらないですけど」

「とにかく! 君がいないと、最近調子が出ないのよ! 私の才能を無駄にしないために、君の人生を私に預けなさい!」


 強引すぎる勧誘だ。

 だが、俺にとって王宮は危険地帯だ。

 あそこには高レベルの鑑定士や、嘘を見抜く魔道具がゴロゴロしている。

 俺が転生者であり、独自の鑑定スキルでコソコソやっていることがバレたら、解剖されるか、一生地下牢で労働させられる未来しかない。


「お断りします。俺はただの荷物番なんで」

「謙遜は美徳じゃないわよ! いいから来なさい!」


 ソフィアが俺の手を掴もうとした、その時。


 ガシッ。


 横から伸びてきた手が、ソフィアの手首を掴んだ。

 エルザだ。


「おい、泥棒猫」

「……何かしら、野蛮人」


 エルザの目が据わっている。

 ソフィアも冷たい視線で応戦する。

 二人の間でバチバチと火花が散った気がした。


「こいつは私の荷物番だ。勝手に引き抜くんじゃねえよ」

「あなたの所有物じゃないでしょ? 職業選択の自由は彼にあるわ」

「契約更新したばかりだ。違約金は高いぞ」

「いくら? 金貨百枚? 私が払うわ」

「金の問題じゃねえんだよ!」


 エルザがドンとテーブルを叩く。


「こいつがいないと、私の剣の調子が悪いんだよ! 私の背中を守れるのはこいつだけだ!」

「私だってそうよ! 彼がいないと、眼鏡は曇るし、杖は不機嫌になるし、本は開かないの! 私の魔法には彼が必要不可欠なのよ!」


 ……おい。

 二人とも、言っていることがおかしいぞ。

 「剣の調子が悪い」とか「杖が不機嫌」とか、全部俺がこっそりメンテナンスしているおかげなんだが、彼女たちはそれを「俺との相性」だと思い込んでいる。

 これは、ある意味で成功だが、ある意味で最悪の事態だ。

 依存されすぎている。


「二人とも、落ち着いてくれ。店の人に迷惑だ」


 俺が仲裁に入るが、二人は聞く耳を持たない。


「決闘で決める? 私が勝ったら彼は王宮行きよ」

「上等だ。私が勝ったら、お前には二度とこいつの淹れた茶は飲ませない」


 殺気立っている。

 このままでは宿が吹き飛ぶ。

 俺は仕方なく、ため息をついて提案した。


「わかった、わかったから! 俺はどこにも行かない!」


 二人がパッとこちらを見る。


「俺は『銀の牙』の荷物番を続ける。だが、ソフィア様の依頼も受ける。パーティに同行して、お茶も淹れるし、杖も磨く。それでいいだろ?」

「……専属契約は?」

「しない。フリーランスみたいなもんだ」


 ソフィアは不満げに口を尖らせたが、少し考えてから頷いた。


「……まあ、いいわ。王宮に閉じ込めるより、実戦データを取るフィールドワークの方が、今の私の研究には合っているかもしれないし」

「私も、こいつが近くにいるなら文句はねえ」


 エルザも剣を鞘に納めた。

 場の空気が緩む。


「ただし!」


 ソフィアが人差し指を立てた。


「お茶は一日三回。私の部屋に持ってくること。それと、私の道具には毎日触れて『おまじない』をかけ直すこと。いいわね?」

「……善処します」


 おまじないじゃない。手入れだ。

 だが、否定しても無駄だろう。


「よし、決まりだな! なら今日は解散だ! 飲み直すぞ!」


 エルザが機嫌を直してジョッキを掲げる。

 ソフィアも「仕方ないわね」と言いつつ、自分のカップに紅茶をおかわりした。


 俺はどっと疲れて椅子に座り込む。

 回避したかった王宮行きは免れたが、その代わり、二人の超人(トラブルメーカー)を同時に管理することになってしまった。

 剣の手入れと、魔導具のメンテナンス。

 それに加えて、二人分の体調管理とメンタルケア。

 ……労働基準法はないのか、この世界には。


 俺は自分の分の冷めたお茶を啜る。

 苦い。

 だが、これで俺の居場所は確保された。

 誰にもバレず、誰からも英雄扱いされず、ただ「便利なやつ」として生きていく。

 それが俺の望んだ平穏なはずだ。


 ふと、ソフィアが俺の方を見て、小さく微笑んだ。

 それは研究者が実験動物を見る目ではなく、どこか安心しきったような、甘えたような笑みだった。

 ……勘違いしないでほしい。

 俺はただ、道具を直しただけなんだから。

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