第4話 爆弾は突然に

朝の通学路は、雪がまだ名残のように道端を白く縁取っていた。

吐く息が白く揺れ、空気はきんと冷たいのに、三人の歩幅だけは不思議とそろっている。


御珠が真ん中で、当然のように雪杜の腕を掴んでいた。

その仕草も、本人にとっては日常らしい。


「ふむ……静かじゃの。

 三学期とは、寒いのに人の気がよく動く季節じゃな」


御珠は朝日を受けながら、小さな神様めいたことを平然と言う。


「……御珠、なんで僕の腕を掴んでるの?」


雪杜が困り顔で見下ろすと、御珠は本気で不思議そうに首を傾げた。


「?

 伴侶じゃろ?

 転ばぬよう支えておる」


「やめて!!その単語は学校で絶対出しちゃダメなやつ!!」


雪杜が慌てて否定する横で、咲良は心臓を押さえかけていた。


(こ、こ、こ……この距離……!近い……!)


頬にじわっと熱がのぼり、寒さなんてもう関係なかった。


「何を恥ずかしがる。妾は事実を言っただけじゃ」


「だからその“事実”が一番問題なんだよ……!」


そんなやり取りをしながら歩いていると、通学中の子どもたちがすれ違いざまに小声で話していく。


「あ、天野くんだ。なんか久しぶり?」

「巫女の子……誰だっけ。一学期にいたような」

「なんか分かんないけど絵になるなぁ……」


その言葉が耳に入った瞬間、咲良の胸がぎゅっと縮んだ。


(あれ、告白のこと……誰も何も……言ってない……?

 え、これ……もしかして……もしかして……)


思わず声が漏れる。


「……よかったぁぁぁぁぁぁ……(小声)」


「え?何か言った?」


雪杜が振り返ると、咲良は慌てて両手をぶんぶん振った。


「な、ななな何も言ってないよ!?冬の酸素吸っただけ!!」


「酸素とは何の理かの?」


「なんでもいいの!!」


軽く混線しながらも、三人の歩みは続く。


「……でも本当にみんな普通だね。

 二学期の終わり、あんなに変だったのに」


「妾が全て引き受けたのじゃ。

 理は静まり、人々の熱は緩んでおる」


御珠は当たり前のように答えるが、その意味の深さを雪杜は掴みきれない。


(よく分からないけど……とりあえず日常っぽいなら安心……なのかな)


一方で咲良は胸を押さえながら、小さく息を吐く。


(……よかった……“あの日の私”が残ってたら死んでた……)


そんな温度の違う安堵が三つ重なった頃、学校の校門が視界に入る。


「さぁ行くぞ、雪杜。

 今日も妾がそばにおるゆえ、安心するがよい」


「そ、そばにいるのはうれしいけど、学校ではほどほどに……」


(御珠ちゃん……テンション高い……)


咲良は頬を押さえながら、二人のやり取りを半歩後ろから見つめた。

雪解けの道を、三人の影がゆっくり伸びていく。


───


朝の教室は、冬休み明けとは思えないほど静かなざわめきに包まれていた。

椅子の引く音、友達同士の小さな挨拶、ランドセルを置く音。

それらが織り交ざって“普通”を形づくっている。


担任の石田が黒板の前に立つと、緩んだ空気がすっと締まった。


「はーい、席つけー!冬休み明けだぞー、気持ち切り替えていくぞー」


雪杜は席に座りながら、小さく息を吐いた。


(……よかった。誰も変な視線とか、異様な熱とか……無い。

 本当に普通の……普通の三学期が始まったんだ……)


その少し後ろで、咲良が胸に手を当てて安堵していた。


(あぁぁぁ……皆ほんとに私のこと覚えてないっぽい?

 よかった……ほんとによかった……)


御珠はといえば、胸を張って堂々たるものだ。


「ふむ、今日も理は静かじゃの」


いつもの調子で小声でもなくそう漏らすと、近くの子がちらちらと顔を伺っていた。


石田が御珠に気づき、慌てて取り繕うように笑う。


「……御珠さん?普通に登校してるけど……えー……みんな拍手ー。

 えっと……また学校に来てくれて嬉しい?です?」


ぱらぱらと拍手が起き、同時に教室中にざわ……と不思議な空気が走った。


「御珠さん……二学期ほとんどいなかったよね」

「確かに……でもまぁ、よかったんじゃない?」

「うーん……なんでいなかったんだろ……」


子どもたちは理由を深く考えることもなく、勝手に納得し始めている。

その曖昧さが、むしろこの世界の日常らしさを強調していた。


「では――三学期、クラスでの生活について……」


石田が黒板にチョークを向けたその瞬間だった。


教室の真ん中で、御珠がすっと手を挙げた。


「ちょっとよいか、石田」


石田は振り返りながら、あまり良くない予感に顔を引きつらせる。


「あ、はい。何かな御珠さん」


「皆に言っておくべきことがあるのじゃ」


雪杜が、心臓をわしづかみにされたみたいな声でつぶやく。


「やめて???(小声)」


咲良も椅子にしがみつきながら震えた。


(な、なんか嫌な予感しかしない……!)


御珠は、全員の視線を真正面に受けながら、すくっと立ち上がる。

その動きに迷いは一切ない。

そして、空気を切り裂くように宣言した。


「妾は――雪杜の“伴侶”じゃ!」


――教室が、音を失った。


空気が一瞬で白く凍りつく。

子どもたちの視線が同時に止まり、石田のチョークが宙で固まった。


沈黙のあと、教室の空気にひびが入るように、ゆっくりと波紋が広がっていった。


最初に声を漏らしたのは石田だった。


「…………………え?」


続いて、いつも真面目な委員長が、メガネを押さえて固まる。


「……は?」


ずれたメガネが、かたん、と机の上で小さく鳴った。


近くの女子が口元を押さえる。


「……はん……りょ……?」


男子が目を細めてぽつりと呟く。


「……夫婦的なやつじゃね……?」


別の女子は青ざめたまま、声にならない声を落とす。


「小学生で……?え……なにそれ……?」


そして視線が雪杜を突き刺す。


「天野……お前……どういう……?」


その渦中で、咲良の顔は一瞬で真っ赤になり、椅子の背もたれをつかみながら、声にならない声をあげる。


「っっっっっ!?!?!?」


雪杜の悲鳴が教室に突き刺さる。


「御珠あああああああああああ!!!!!」


御珠の伴侶宣言を境に、氷のような静寂はじわじわと溶けていき、その下に隠れていた“理解不能”が爆発的に噴き出し始めた。


最初に悲鳴を上げたのは女子の一人だった。


「え、え、え、天野くんって……そういう……?」


「いや、天野そんな……え?何?どういう?もう分かんない!!」


「御珠さん、なんか……圧がすごい……」


別の男子が、御珠と雪杜を交互に見て青ざめる。


「夫婦ってやつじゃね……?いやそんなの小学生でする……?」


「おい天野、どういう関係っていうか……伴侶?はんりょ???」


雪杜は頭を抱え、机に突っ伏しそうになっていた。


「違う! 違うから!!

 御珠、伴侶って意味分かって言ってる!?」


御珠はなぜか誇らしげに胸を張る。


「当然じゃ。妾は雪杜と共に暮らしておるし、心も契りも済ませた――」


「その言い方!問題しかないから!!!!」


「契り!?」

「え、契りって、なにそれどういう関係!?」

「うわあああああ!!脳がバグるー!!」


混乱の渦の端で、ひとりの男子が勢いよく立ち上がった。

椅子が後ろへ倒れそうな音を立てる。


「契ったぁ!?!?!?」


声変わり前の高い叫びが教室に弾け、ざわつきがさらに加速する。


クラスでも一番“常識寄り”の委員長が絶叫した。


「ふ、不潔! 不潔! 不潔!!

 そんなの……校則……校則に……書いてないっ!?けど!

 けどダメぇぇぇぇぇ!!!!」


「委員長ォ!!」

「委員長が壊れた!!」


咲良は両手で顔を覆い、ぷるぷると震えていた。


(こ……心も……契り!?っも……!?

 そんなの……そんなの聞きたくなかったぁぁぁ……!!)


教室の温度がぐらぐら揺らぐ中、御珠はまだ続きを話していた。


「事実を述べただけじゃ。

 妾は雪杜のもの、雪杜は妾のもの。

 わかりやすいじゃろ?」


委員長は絶叫する。


「わかりやすくないーーーー!!!!!!!!」


石田は両手で顔を覆い、ついにあきらめたように呟いた。


「はぁ……なんかもうどうでもいい……」


その呆然とした声すら、クラスの混乱にかき消されていく。


誰も席につかず、誰も先生を見ず、わーきゃーと奔流のように騒ぎ続け――

そのタイミングで、放送が唐突に割り込んだ。


『始業式を始めるので、体育館に集合してください』


チャイムの音が追い打ちのように鳴り響く。


「うわああ体育館ーー!!」

「このまま行くの!?これで!?」

「天野くん……どういう関係なの……教えて!!」

「いや無理だろ今!!」


子どもたちはわーきゃー言いながら教室から溢れ出し、大混乱のまま廊下へ流れていく。


雪杜は扉の前で立ち尽くしていた。


「……もう帰りたい……」


御珠はそんな雪杜の袖を引きながら、何故か満足げに微笑んでいた。

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