第36話 精気って美味しいの?

魔王が振り回した枕が裂けて中身の羽根が舞い散った。殴られた女はベッドから落ちた。


「あだっ!」


しかし無様に転がることはなく、すぐに姿勢を整え、片膝をついて着地した。そして宙を舞う白い羽根を見上げ、片手で顔を覆った。


「くくく…『天使の奇襲エンジェル・レイド』か…?」


女はニヤリと笑った。


「だが、無駄だ。我は『鋼を纏いしフルメタル・悪夢ナイトメア』なのだから。」


彼女は言っているセリフの割には結構痛そうだった。頭に見事なたんこぶが膨れ上がっていて涙まで浮かべていたのだ。

それもそのはず。魔王の腕力は魔界最強級。素手で殴ったら女は即死していただろう。


「泣いているじゃん!」

「そうだ。我は泣いている。」


女は左右に軽く頭を振った。制帽に覆われた半分赤、半分白の短髪を揺らした。


「歓喜の涙が止まらないのだ。久遠の時を経て、我に痛撃を与えうる強敵に出会えたことへの…『魂の震えソウル・レゾナンス』なのだ!」


魔王はまだ握っていた枕の残骸を振り上げた。すると、女はビビって身を縮めた。


「セナに何をするつもりなの?」


魔王が攻撃して来なかったので女は笑った。女は顔から手を離した。蝶の形の赤い眼帯が露になった。


「気になるか?なら教えてやろう。祝福を下すのだ。我の一部となる祝福を。やがて人間界を支配するこの我の、渇きを癒やす『晩餐ディナー』としてな!」

「ヒッ!セナを食べる気!?」


魔王は上げていた枕の残骸を女に向けて振り下ろした。虚空を裂く音がなり、巻き起こった風が部屋全体に渦巻いた。間一髪でその攻撃を避けた女は息を呑んだ。


「ま、待て!我は肉なんか食らわぬ!我が食すのは美しき精気のみ!」

「精気?」


魔王は首を傾げた。


「左様。我は高貴なる『夢魔サキュバス』なのだ。」


夢魔は下級魔族の一種。だが、魔界で夢魔は意外と珍しい。魔族は精気を持っていないのでみんな人間界で生活しているのだ。そのため魔王は夢魔について詳しくなかった。勿論、精気についても良く分からない。


「精気というのを食べてもセナは大丈夫?」

「無論。むしろ深く眠るようになる。」

「精気って美味しい?」

「人間の食べ物なんかとは比べ物にもならぬ。」


それは魔王にとって衝撃だった。パスタより、グラタンより、サンドイッチよりおいしいものがあるなんて。


「あたしも食べてみたい!」


夢魔は戸惑った。精気を食べられるのは魔族だけ。人間には食べさせたくてもできない。 夢魔は床を見つめた。そのせいで魔王の頭に生えている小さい角に気付かなかった。

相手が魔族であることを知らない夢魔は言い訳を考えた。人間は夢魔を蚊のように毛嫌いする。睡眠の質がさがると言って見つかるとすぐ殺したがる。下手を打つとお仕舞いだ。しかも今対面しているやつは強い。でもバカみたいだから誤魔化すのは難しくなさそうだった。


「良かろう。汝にも精気を味わわせてやろう。」

「やったー!」


夢の中に連れ込めば簡単に殺れる。夢魔は立ち上がった。黒いボディースーツにロングブーツ姿の彼女は革製のベルトから鞭を取った。


「期待するがいい。我が『悪夢のナイトメア・晩餐会場ダイニング』を!」


夢魔は鞭を高く振り上げた。

ドカン!

その時、爆弾が爆発するような大きな音が響いた。それは鞭から出た音ではなかった。


「どうしてこんなに煩いのよ?」


魔王は後ろに振り返った。レイが開いたドアに拳を当てたまま睨んでいた。爆発音はレイがドアを開ける時力を入れすぎて鳴った音だった。睡眠を邪魔されたレイからは怒りのオーラが出ているように見えた。


「ヒイイッ!せ、精気が…」


魔王が言いかけた瞬間、夢魔は寝ているセナの顔に向けて鞭を振り回した。


「え…」


止める間もなかった。鞭がセナの額を直撃した。不思議なことにセナに傷はつかなかった。その代わり、鞭が通った軌道の空間が割れて人が入れる大きさの穴ができた。


「夢魔(むま)を捕まえて!入らせちゃダメよ!」


レイが叫んだ。


「『晩餐ディナー』の時間だ。」


夢魔は穴の中に飛び込んだ。魔王が手を伸ばしたが、間に合わなかった。


「ちっ、面倒なことになった。」


駆け寄ってきたレイが呟いた。

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