第17話 朝
ちゅんちゅんちゅん。
小鳥がさえずる声で目が覚める。
明かり障子から差し込む陽が部屋を暖かく照らしていた。
「ふわぁ……」
琴は目をこすりながら、褥から起き上がった。
部屋を見回し、いつもと違う風景にびくっとする。
上等な畳に、生けられた美しい花。その様子をしばらく眺めてから、ここは聖麗殿であることを思い出した。
(そうだ。わたし、聖琴師になったんだっけ)
ぼんやりとした頭で、障子によって分かれている寝所から出る。襖の手前には、白い布と桶に入った水、櫛、新しい衣が置かれていた。
(侍女さんがやってくれたのかなぁ)
しかも、衣は琴が好きな薄桜と薄紅、淡黄に萌黄の組み合わせだ。
嬉しく思いながら袖を通す。
高級そうな布で顔を拭く。母の遺伝である、くせのない長い髪を櫛で梳く。
琴は貴族の娘だが、自分のことはほとんど自らやっていた。
父が従者たちに振る舞う傲慢さが嫌いだったため、自分のことは自分でやろうと決めたのだ。
それは聖職者になっても同じことだった。
食事を摂る所は『望月の間』だと教えてもらった。そこは侍女と従者が待機している部屋で、凛太郎の部屋から一番遠い所にある。
戸を開けようとしたとき、後ろから声をかけられた。
「あれ、早いな」
「あ、涼人さま。おはようございます」
涼しげな白藍と瑠璃色の衣が涼人によく似合っている。
彼も、まだ聖職者の衣を羽織っていなかった。
「こっちから来たんだ」
「はい。外の空気を吸いたかったので」
大きな広間──『聖の間』──は、すべての部屋から廊下を挟んで位置する。つまり、聖の間を囲うように廊下があり、その廊下に聖職者たちの部屋が並んでいるのだ。
聖職者たちの部屋には戸と襖があり、戸を出れば歩廊、襖を出れば聖の間の前の廊下だ。
聖の間の方から行った方が、断然望月の間に近い。しかし琴は聖の間から行かず、歩廊に出て望月の間まで向かったのだ。
「涼人さまも、ですか?」
「あぁ。俺はふたつ隣だから早く行けるけどな。なんとなく外から行ってみたくなった」
涼人は望月の間の戸を開けた。その手は白くて細い。薬師だからこそ、繊細さが指にも現れているのだろうか。
戸を開けた涼人は、琴を振り返った。
「先に入れよ」
「あ、ありがとうございます」
冷淡な雰囲気を持つ涼人の優しさにびっくりする。
ただ、それを本人には言えない。琴は、お礼だけを言って部屋に入った。
「おはようございます」
中にいた侍女たちがぺこりと頭を下げる。
部屋の中は、ふわりと良い香りが漂っていた。
なんだか嬉しくなる。
「あれ、また一番みたいだったな」
「はい。まだ皆さま、ご就寝されているようです。琴さまと涼人さまで先に朝餉を取られますか?」
「どうする、琴」
涼人が尋ねてくる。
この良い香りを前に、琴は空腹だ。しかし、まだ出会って一日の涼人と、二人きりの朝餉は恥ずかしいものがある。涼人が良い人なのは分かっているけれど、それはまた別の問題なのだ。
「皆さま、どのくらいで起きるんですか?」
とりあえず、当たり障りのない疑問を投げかけてみる。
すると、涼人はなぜかげんなりした顔になった。
「将大は朝の香りがしたら起きる。どんな香りかは知らんが。夕海は着替えたくなったら起きる。凛太郎は朝餉の良い香りがしないと起きてこない」
「なんか……個性があふれてますね」
涼人が顔をしかめていた意味がわかった気がした。
彼の性格からして、何事もきっちりと行いたいのだろう。ただ、他の聖職者たちは道楽者である。それが、少し気に喰わないのだ。
琴が同情すると、涼人はあきれたように息をついた。
「朝の香りとか何なんだ。着替えたくなるって意味がわからん。凛太郎の場合、朝餉の良い香りがしても起きてこないんだ。本当、この人たちの相手は疲れる」
「涼人さまはきちんとした時刻に起きられるんですね」
「これは習慣だ。幼い頃からずっと同じ時刻に起きている。あいつらの目覚めについていつか調べてみたい」
「初めてです、こんな言い訳。じゃあ侍女さんたちも大変ですね」
侍女の方に目をやると、かすかに首を縦に振っていた。
くすくすと笑っていると、涼人がぽんと琴の頭に手を置く。びっくりして見上げると、柔らかい笑みを浮かべた涼人がこちらを見ていた。
「あいつら待たずに先に食べよう。あと数刻は起きてこない気がする」
「はい!」
「じゃあ、ふたり分を先にお願いします」
「承知致しました。しばしお待ちくださいませ」
侍女たちが頭を下げ、厨へ姿を消した。
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