第13話 鈍感
自分の弾いた筝で、人が笑顔になる。
一族内で弾いていたときは、誰もが怒りで顔を真っ赤にしていた。
筝は、そういうものではない。
繊細な音色を響かせることで、人を笑顔にするもの。それを実現することが、琴の夢であり憧れだったのだ。
(皆さまが喜んでくれた。嬉しい!)
そんな気持ちでいっぱいになり、ふわふわとした気分になる。
褒めてくれた朝陽に向かって、琴はにっこりと笑みを浮かべた。
「素晴らしい筝だった」
「いえ。私はただ、朝陽さまから筝をいただいたお礼に」
嬉しさのあまり、思わず帝のことを名前で呼んでしまった。
祖父の和之から聞かされてきた、今上帝の話。その穏やかさや朗らかさ、その艶めく美しさは『朝陽』という名にふさわしいと思っていた。だから、今までずっと帝のことを『朝陽さま』と呼んでいたのだ。
自分の失態に気づいたときには、もう遅い。
「あ、朝陽さま?」
ぴくりと、朝陽が反応した。
自分の顔がすうっと青ざめた気がする。冷や汗が背を伝い、一瞬で体に寒気が走る。
じわりと滲む手汗。琴は、慌てて頭を下げた。
「大変、失礼いたしました! 勝手ながら、お名前で呼ばせていただいていて!」
「大丈夫だよ、琴」
優しい声がした。
ぽん、と背に置かれた手。見れば、夕海がにこやかに笑っていた。
琴に微笑んでから、「見て」と朝陽を示す。
「帝さま、嬉しそうだし」
「……」
朝陽はきょとんとしたような顔で琴を見つめている。
美しく整った顔立ちが呆然としていた。まるで、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、目を丸くさせている。
「初めて織也以外に、名前で呼ばれた……」
「あ、あの、えっと……」
「琴、すごいね。朝陽の帝は完璧だから、こんな顔させることなんてできないよ」
将大がなぜか感動している。
「え、でも、将大さまは朝陽の帝って……」
「僕は殿下時代の
「それで、主上。どうするんですか」
「ど、どうするって?」
凛太朗が問いかけると、朝陽はびくっと肩を震わせた。
あからさまにうろたえている様子。一国の帝が、凛太郎の声に戸惑っていた。
それを隣で見ていた涼人は、静かに笑いをこらえ始める。
「あは、帝さま可愛らしいですね」
夕海はくすくすと笑った。
「帝さま。これから琴に、名前で呼ばせますか。それとも主上のままで……」
「名前で良い!」
朝陽が思わずのように声を張り上げた。
将大と涼人が笑いをこらえるように、口元に手を当てる。
「どうだろうか……?」
朝陽は琴を見た。
その目が恥ずかしさを忘れるほどの真剣な光が宿っているのを見て、琴は嬉しくなって微笑んだ。
完璧である帝が、こうやって不安げにしているとは。
巫女の末裔は、清く高貴な血が流れている。しかし、目の前に座る朝陽は、人間そのものの反応をしている。手が届かない存在であった帝が、一気に距離を縮めてきたような気がして、琴は胸が高鳴った。
「はい! ぜひ、呼ばせてください!」
瞬間。
笑いが部屋の中に溢れた。
聖職者たちが目に涙を浮かべて笑っている。
琴と朝陽は首を傾げた。
今の会話の何がおもしろいのかがわからない。
「このふたり、良い仲だ」
「僕もそう思う」
「わかっていないのが本当に可愛い」
「とりあえず」
笑い続ける将大と夕海に涼人、きょとんとする朝陽と琴。
そんな聖職者たちを見回して、凛太郎が妙に真面目な顔をして言った。
「皆、仲良くなれたと言うことで」
「あれ、凛太郎。意外におとなしいね」
「将大。想像はつくだろう?」
「うん」
「どういうことですか?」
琴は真剣に尋ねた。
なぜ、凛太朗は様子がおかしくなってしまったのか。知っておいて損はないだろう。これから、ともにここで過ごしていくのだ。気の配り方も知っておきたい。
すると、将大はさらに笑いながら琴を見た。
「今さ、朝陽の帝と話してたでしょ」
「はい」
「なぜか、同じ意見だっただろ」
涼人も口を挟む。
「はい」
「ここまで言ってもわからない?」
「はい!」
本当にわからない。そのため、自信を持ってそう答えた。
すると、将大と涼人は顔を見合わせる。
おもしろそうで、でも少し呆れたような。目と目で会話をした後、二人は改めて琴の方を見る。
「まぁいいや。とりあえず凛太郎は嫉妬してるんだよ」
「え、嫉妬?」
思わず、凛太郎を見る。
彼は、琴と目が合うと、ぷいとそっぽを向いて黙ってしまった。
その頬と耳が、かすかに赤くなっている。
そんな凛太朗を見て、涼人が笑いをこらえながら言った。
「わからないんだったらもういい。琴、お前の今日の宿題は、この状況を把握することだ」
「宿題!?」
「琴、がんばって! 応援してるよ!」
なぜか暖かい声援が送られる。
何を応援されているのか分からないが、とにかく期待されているのだ。
琴は、両手を握りしめて気合いを入れる。
「がんばります!」
「がんばれ、がんばれ」
よく分からないが、聖職者として精一杯考えようと、琴は心に決めたのだった。
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