第11話 広間

「そう固くなるな。楽にして良い」


 朝陽が部屋──広間──に入って来る。

 帝は御簾の向こうにいて、他の人と同じ場には座らない──。そんな前提は、まったく持って見られない。むしろ、共に座らないことの方が間違いであるかのような。そんな姿に、琴は勝手に親近感が湧く。


 そんな琴の前を、朝陽はすっと通り過ぎる。柔らかい香の匂いが、琴の鼻をかすめていった。

 朝陽は空いていた琴の隣に座ろうとする。そのため、琴は近くにあった円座を差し出そうとした。


(でも陛下はこんなところに座らないよね。でもここには陛下がお座りになるようなものもないし……。)


 前例のない帝の行動。それが良いことなのか分別が付かず、思わず動きをとめてしまう。

 円座を持って止まった琴を見て、朝陽はくすっと笑った。


「そのような心配はいらぬぞ、琴。ありがとう」


 朝陽は琴の手から円座を取ると、座敷に置いて腰を下ろす。ただそれだけの行動ではあったが、やはりそこには美しい所作が存在していた。

 彼が座ったことにより、さきほどより大きな円になる。

 皆が緊張しているのを見て、朝陽は優しく微笑んだ。


「なぜ今さら緊張しているのだ。いつもは騒いでいるじゃないか、凛太郎」


 朝陽が閉じた扇でこつんと凛太郎の頭を小突く。

 すると、凛太朗は軽く顔をしかめてみせた。


「痛っ。何するんですか。俺はいつも静かですよ」

「いつも騒いでいるけど、今日は静かだよね」

「琴がいるからじゃないのか」

「そうかもね!」

「ば、馬鹿っ! そんなことはないぞっ!」

「あはは。顔が赤いぞ、凛太郎」

「主上まで!」


 さっきのお兄さんのような雰囲気が一変、将大と涼人に言い負かされている。

 その変わり様に琴はびっくりしてしまった。


「どうした、琴」


 琴の様子に気づいた朝陽が、声をかけた。

 皆が一斉に琴を見る。五人の視線が一気に集まり、顔が熱くなるほどの恥ずかしさを覚えた。

 琴は、もじもじとしながら口を開いた。


「み、皆さま、仲が良いなぁと思って」


 一瞬、皆が黙る。

 そして、顔を見合わせるとぷっと吹き出した。


「え、え、何か変なこと言いました?」

「僕たちね、朝陽の帝がまだ東宮殿下だった頃から、もう一緒にいたんだよ」

「そ、そうなんですか⁉︎」

「そうだ。と言っても、俺らはまだきちんとした『聖職者』の立場ではなかった」

「聖琴師以外が揃って、殿下も来られて、一緒にお話とかしてたんだ」

「まぁ、東宮さまは、執務から逃げていらしたんだけどね」

「執務を?」

「夕海、余計なことを……」


 朝陽は夕海を軽く睨むが、夕海は平気な顔だ。

 なんだか幼なじみのような空気感。ほっとするようなこの雰囲気を、朝陽はたいそう気に入っているのだろう。

 東宮時代のことは興味がある。琴が興味深そうに朝陽を見つめていると、帝は頬を赤らめてそっぽを向いた。


「御簾の中が嫌いなのだ。執務や帝の補佐なのになぜ、顔を隠して行うのかが疑問だ」

「だから、ご自身で私の案内を……?」

「あぁ。俺のために参上してくれたんだ、きちんと自ら案内するのが礼儀というものだろう」


 今までの常識からすると、よく分からないことだらけだ。

 帝のような高い地位の者は、他者に世話をしてもらって当たり前。しかし、それを朝陽は嫌う。なんだか、良い意味で常識外れの帝だ。


「そんなこんなで、仲良くなったんだ」


 凛太郎がおもしろそうに帝を見ながら言う。


「だから、琴も」


 将大が琴に手を伸ばした。

 小柄だけれど、大きく鍛えられた手。おそらく、武道を嗜んでいるのだろう。


「遠慮なんてしなくていいんだよ。朝陽の帝は穏やかだし、皆ともっともっと仲良くなりたいから」


 ね、皆? と将大が皆を見回す。

 将大に話を振られた皆は一斉にうなずいた。


「皆さま……」


 琴は感激のあまり目が潤む。

 こんなに優しい言葉は、久しぶりだった。

 自分がいて良い場所、自分が存在して良いこと。それを示してもらったことが、本当に幸せに感じたのだ。


「ありがとうございます」


 頭を下げた。

 嬉しかった。

 胸が熱くなるのを感じる。


「そうだ、琴」


 凛太朗が名を呼びながら、頭をくしゃっと撫でてくる。まるで兄のようなあたたかさにむずがゆくなりながらも、「はい」と返事をする。

 凛太郎は、ほんわりとした微笑みを浮かべていた。



「ちょっと箏を弾いて欲しい」

「あ、僕も聴きたい!」

「聖琴師の箏は聴いてみたいな」


 将大と涼人も好奇の目でうなずいた。


「わたしも琴の箏を弾いている姿、見てみたい!」

「良いのですが……。今、箏がありませんので……」


 琴は涙を拭いながら、小さく呟く。

 愛用の筝は、まだ家だ。

 のちほど宮殿に荷物と共に届くと聞いている。


「箏があれば良いのだな」


 そんな言葉を発したのは、朝陽だ。

 真剣な眼差しで琴を見つめ、何かを画策するような光を瞳に宿している。


「は、はい」

「では、少し待っていろ」

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