第8話 門出

 家で過ごす最後の夜は、明子との涙が降り続けるものとなった。

 どうやら、宮廷には聖職者に仕える者として育てられた従者がいるらしい。そのため、明子とはここでお別れとなる。

 明子は、琴に仕えて十年が経つ。十年を目途に嫁入りすることが決まっていて、二重の意味で明子とは別れてしまう。

 そんな明子は、ずっと泣いていた。琴の門出を喜ぶ嬉し涙、そして別れを惜しむ悲し涙。それらをすべて受け止めながら、琴も涙を流す一夜となった。


 そして、初入内の日。

 宮殿に着くと、琴は真っ先に朝陽のもとへ連れていかれた。


「よく来たな」


 あの日のような絢爛な衣ではないが、それでも美しい反物で作られた衣装。深い紫色が良く似合う。しかし、それ以上に朝陽の美貌が輝いていた。


「こちらだ」


 朝陽に連れられて、琴は緊張しながら歩廊を歩く。

 聖職者に認められたとはいえ、出会ったばかりの人と、しかもその相手が聖華国の頂点たる方と共に歩くというのは本当に緊張する。

 緊張のあまり、力が入らない足を精一杯動かしながら朝陽の後を追う。ぎこちなさに自分で呆れつつ、琴は驚きを隠せないでいた。


(み、帝さまって、こんなに堂々と歩き回って良いものなの!?)


 帝は御簾の中から顔を見せず、その姿も晒さずに、ただ神々しい巫女の末裔として君臨していると聞かされてきた。

 何らかの儀式がなければ、そのお姿は見られないような。

 それなのに目の前を歩いている美青年は、この国の帝だ。


(いいのかなぁ……)


 琴の心配もまったく気にしていない帝は、すたすたと歩廊を歩いている。

 後ろからは、こちらも平然とした顔の侍従兼護衛の織也がついてきていた。


「こちらだ」


 大きな庭院を眺めつつ、宮殿内の広さに尻込みする。そんな琴の動揺などまったく知らない朝陽は、ある部屋の前で止まると、襖を開けた。

 後ろを振り向いて、琴に入るよう促す。

 おそるおそる中に入ると、二人の侍女が待っていた。

 朝陽と琴の姿を捉え、優雅に礼をする。

 部屋の中は、衣裳部屋のように衣だらけだった。春色から、彩り豊かなものまで。琴も一応は貴族であるが、こんなに衣に囲まれた部屋は初めてだった。


「主上。ここは……?」

「ここで着替えをしてもらう」

「着替え、ですか」

「そうだ。『聖職者』は神職だ。それに見合った衣を着てもらう」


 朝陽は部屋の奥に入り、一際きれいに立てかけられている衣を手に取った。

 白い絹の布に、金の刺繍が施されている袿だ。


「これは『聖職者』であることを意味する衣だ。他の聖職者もこれを着ている」

「では、これをわたしが着るのですか?」

「あぁ。そこの侍女に手伝ってもらいなさい。これからその者たちが『聖職者』の身の回りを手伝ってくれる故」


 簡潔に説明した朝陽は衣をもとに戻すと、とまどう琴の横を通り過ぎた。

 すれ違いざま、朝陽は輝くばかりの笑みを見せる。

 その笑みに、琴はどくんと胸が高鳴った。熱くて、大きい鳴り。初めてのことで、自分の中で何が起きているのか分からなくなる。

 朝陽は、部屋から見える歩廊へと歩いた。開けられていた襖からひらりと桜の花びらが入り込み、美しい帝を際立たせる。


「俺は外で待っている。今日のお前の予定は多いからな。がんばれよ」


 朝陽の優しげな微笑みが、あっという間に襖の向こうへ消えた。


(も、もの凄い簡潔な説明……)


 非常に簡潔に、でも主旨はきちんと伝えて、朝陽は退室していった。その手際の良さは、きっとその天才的な頭脳によるものだろう。もう少し、丁寧に教えてくれると助かるけれど。

 ぽかんとしたまま、朝陽が消えた襖を眺めて突っ立つ。すると、いそいそと侍女が近づいてきた。


「姫さま。この度はおめでとうございます。お召し替えなど、今後姫さまのお手伝いをさせていただく侍女でございます。よろしくお願いいたします」


 礼儀正しくお辞儀してくる侍女に、琴は思わず肩を震わせる。

 一族の中では、こんなにも丁寧にあいさつをされたことはなかったのだ。朝陽の言動に驚いていたが、彼女たちの所作などを見て、ここが宮殿であることを思い出す。


「い、いえ、そんな。こちらこそよろしくお願いします」

「はい」


 侍女はにこやかに笑うと、琴の衣に手をかけた。


「どんな色がお好みでしょうか」


 もう一人の侍女は、たくさんの色の衣を準備し始める。どこからその量の衣が出てくるのかわからないくらい、たくさん。

 貴族の姫に仕える者らしいその手つきと物言いに、琴はぴくんと背が伸びた。

 それに気がついた侍女は、ゆっくりと微笑んだ。


「安心なさってくださいな。私たちは、姫さまの敵ではありませんから」



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