# 第10話 バトンとパンケーキ
TDR事務局が入ったビルのエレベーターの中で、あたしは小さな箱を手に取りながら、その重みを確かめていた。
あたし達は今日の目的 ――ラウンド2の詳細な説明を受け、そこで使用するデバイスの受け取り―― を済ませ、ビルを後にしようとしていた。
ラウンド2はリレーレース――
リレーということは、当然次の走者にバトンをパスしなくてはならない。
そのために使用するのが、この手のひらに収まるほど小さな電子デバイス――
Drivers Connecter ユニットだ。
これがラウンド2で、あたしとリンを繋ぐバトンになる。
……重い。物理的な重さじゃない。責任の重さだ。
「この小さなユニットをナンバープレートのボルトを利用して締め付けるだけでいいんだね」
「……」
隣に立つリンは相変わらず無言で、エレベーターの数字表示を見つめている。
ラウンド1でレイの走りを見てから、ずっとこの調子だった。
事務所を出て、都心の雑踏の中を歩きながら、あたしは意図的に明るい声を出した。
「あ~、お腹空いた!
せっかく都内まで出て来たんだから、お昼食べながら作戦会議でもしようよ。
リン、何か食べたいものある?」
「……特に」
短い返事だけ。
「はいはい、じゃああたしが決めるからね!」
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カフェの窓際の席に座り、トマトクリームのパスタをほおばりながら、あたしは次のレースのルールを整理していた。
コーヒーの香りと、店内に流れる落ち着いたジャズの旋律が、少しは緊張を和らげてくれる。
リンは食事中でも、仕草のすべてが上品で洗練されている。やっぱりお嬢様なんだなぁ。
「次のラウンド2はリレー形式だから、スターターはフロントに、アンカーはリヤに このドライバーズコネ…… D.C.ユニットを取り付けるのね。
リンはスターターとアンカーどっちがいいとかある?」
向かいに座るリンは、まるで天気でも読むように、空を見上げていた。
あたしは手元のスマホでコース図を表示させて、会話を続ける。
「次のコースはラウンド1ほど極端な高低差もなさそうだし、どっちが走っても……」
「……いえ」
リンが短く遮った。
「コースには…… 特徴があるわ」
彼女はフォークを静かに皿に置くと、まるで自分に言い聞かせるように、いつもより少し早口で、説明を始めた。
「次のコースは西天城高原線がスターターが走る第一区間。
全体のちょうど半分の距離のところが、走者が交代するためのバトンエリア。
そこから先の、西伊豆スカイラインがアンカーが走る第二区間。」
リンの瞳をまっすぐ見つめながら真剣に話を聞く。
「尾根線沿いに走るから、あなたの言う通り 高低差は少ないけれど、第一区間はストレートが多めのパワーセクション。第二区間は道幅が狭く、タイトなコーナーが多いテクニカルなセクション。」
相変わらず言葉の一つ一つが正確で、無駄がない。
でも、いつもより少し饒舌なのは、そうやって情報を整理していないと、不安に押しつぶされそうだからかもしれない。
「ふ~ん…… じゃあ、順当に選べばあたしとエボちゃんがスターターで、あんたとS2000がアンカーかしらね。今回は挑発してくるヤツもいないだろうし?」
冗談めかして笑ってみせたが、リンはあたしの目をじっと見返すだけだった。
「……あ、あれ? まだ怒ってる?
ラウンド1はゴメンって! 結果、勝てたんだからもういいじゃない!」
慌てて弁解すると、リンの視線が窓の外に逸れた。
「……LUMINANCEも、スターターがA110で、アンカーがMR2になるのかな?」
気まずさを振り払うように、話題を切り替えた。
「……そう……かも、ね……」
リンの声はわずかに震え、視線がパスタ皿の縁を追っていた。
あのレイと当たりたかったのか、それとも避けられてホッとしているのか。
リンの表情からは読めなかった。
パスタを口に運びながら、さっき受けたバトンパスの説明を思い返す。
「たしか、『指定速度との差が小さい』ほど、『2台の相対速度差が小さい』ほど、『D.C.ユニット同士の距離が近い』ほど、バトンパスの時間が短くなるって言ってたよね」
「ええ」
リンが頷く。
「スターターは減速、アンカーは加速。
バトンエリア内で2台の速度と車間距離を極力近づける。
D.C.ユニット同士が接触したらその時点で失格。」
「接触」―― その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がドクンと嫌な音を立てた。
「……で、今回の指定速度が時速70kmだったっけ?」
平静を装って声を出す。喉が少しカラ付いていた。
あたしは震える指先を隠すようにフォークを握り直し、チュルリとパスタをすすってから続けた。
「これ、実際にやると絶対難しいよ。
理論値は0.05秒だけど、普通のドライバーなら数秒はかかるって言ってたし。」
リンの表情が少し険しくなった。
「それだけじゃない…… バトンエリア内は事故防止のために各チームの走行車線が指定されていて、センターラインにポールが立つ。
あなたがスターターの場合、フロントナンバーが左にオフセットしているランエボが、S2000のナンバーの真後ろにつけようとすると、車体自体は右(対向車線側)にはみ出さないといけない。でもそこにはポールがある……」
リンにそう言われて、息を飲んだ。
「ほんとだ……車を真っ直ぐ並べると、ユニット同士がズレちゃうじゃない。」
「そう、だからバトンエリアの道幅によっては このポールが邪魔になり、大きなロスになる可能性がある」
「あんたのS2000がピットから戻るのは明日の午後。
練習する時間もあんまりないわね…… 大ピーンチ!……ってやつね」
軽く言ってみたけど、内心は焦り…… 迷っていた。
スターターをリンに走ってもらうという選択肢もある。
でも、今度の相手は不利な条件で勝てるほど甘くはない。
そして何より、あのレイから、少しでもリンを遠ざけておきたかった。
沈黙が流れかけたその時、店員さんが食後のデザートを運んできた。
もっちもちの大福ショコラパンケーキ。
三段重ねのふわふわスフレパンケーキの上にモチモチの求肥をかぶせ、濃厚チョコソースをかけた甘党のための逸品。
峠とバイトの往復生活で、普段あまり都内に縁がないので、今日は張り切って調べたのだ!
お皿がテーブルに置かれると、ふるふるとゆっくり揺れている。
まるで『僕を食べて』とでも言うように。
視線をリンに戻すと――
リンの目が今まで見たことがないほど見開かれ、運ばれて来たスイーツを凝視している。
ちょっと口も半開きだ。
「リン、どうぞ。見てないで食べなよ。
ヨダレ、今にも落ちそうだよ?」
朝の無言の仕返しに、またちょっとイジワルを言った。
リンはフォークとナイフを持って、どこから手を付けようかとせわしなく角度を変えている。
まるで美術品を鑑賞するかのような真剣さで。
覚悟を決めたようで、スッとナイフを入れ、パンケーキを口に運ぶ。
パンケーキを口に入れた瞬間、今まで見たことのない表情でリンは固まってしまった。
「プッ…… ついさっきまで無言でムスッとしてたのに、何よ、その顔は」
思わず笑ってしまう。
「ほーら、そうやっていつまでも固まってると、あたしが食べちゃうわよ~?」
イジワルな顔でフォークを伸ばすと――
『シュッ!』
リンの手が霞んだ。
次の瞬間、お皿はあたしのフォークが届かない安全圏へ、完璧なライン取りで退避していた。
「ちょ、ちょっと! その反射神経、無駄遣いしないでよ!」
そして、さっきまでの優雅さはどこへやら、すごい勢いでパンケーキを口に運び始める。
「じょ、ジョーダンだってば!」
あたしは慌てて止めようとしたが、リンは聞いていない。
あっという間に、最後のひと口まで食べきってしまった。
そして――
フォークを置いたリンの表情が、どこか寂しそうになった。
「ほんとに取ったりしないわよ。
まったく、味わって食べればいいのに。
ほら、あたしの半分あげるから、今度は味わって食べなさい」
またリンの目が見開き、その瞳が大きく輝いた。
「……ありがとう」
そう言うと、やっと少し微笑んでくれた。
口数はまだ少ないけど、今はリンが何を考えているかよくわかる。
この瞬間だけでも、不安も焦りも吹き飛んでくれていたらいいなと、心から思う。
カフェの窓から差し込む午後の陽射しが、テーブルの上のコーヒーカップを温かく照らしていた。
うん―― ラウンド2も、あたしたちはきっと大丈夫!きっとふたりで乗り越えていける!
そう信じようとしたけれど、窓ガラスに映るあたしの笑顔は、少しだけ引きつっていたかもしれない。
解決策は、まだ何一つ見つかっていなかったから。
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バトンパス詳細
競技ルール・ギミック
・D.C.ユニットを各車両に搭載し、バトンエリア内で、車速を指定速度に合わせ、受け側=前、渡し側=後ろで車を並べる。
・基準内の速度、距離になると両ユニットが接続。バトンパス処理開始。
・バトンパスが完了すると、ドライバーのインカムで音声で案内される。
・バトンパス時の「車間距離」「2台の相対速度」「指定速度に対する速度差」が小さいほど、処理時間が短縮される。
- 理論値:距離0.01m・相対0km/h・指定との差0km/hで最短0.05秒
- 距離が離れていたり速度差があると、数秒以上かかる
・指定速度とバトンエリアは、コースごとに指定
・バトンパス時の安全のため、バトンエリア手前からエリア内は、センターポールを設置し、各チームの走行車線は指定
・D.C.ユニット同士が接触した場合は失格
・バトンエリア内で、バトンパスが完了しない場合は失格
・アンカーがバトンパス完了前に指定速度を+10km/h以上オーバーすると失格
・エリア内であれば、各チームがどのポイントでバトンパスを行うかは自由
・バトンパス完了後、スターターはハザードを焚き、バトンエリア内で停止する
・D.C.ユニットは車両のナンバープレートボルトに共締め(先行:後ろ・追走:前)
・設定速度があるので、バトンパス時間がそのままタイムロスになる。
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# あとがき
読んでいただき、ありがとうございます。
前回から、ずーっと沈んでいたリン。
元気になってもらうために、ご褒美を出しました。
田舎の箱入り娘なので、刺激が強かったみたいですw
本編に登場するD.C.ユニットは、TDRオリジナルの架空のデバイスです。
技術と、バディの信頼を、視覚と速さとして表現できないかなと、考えました。
エボのナンバーオフセット問題に、ふたりはどうやって対処するのでしょう。
引き続き、TDRをよろしくお願いいたします。
【次回、絶望の練習走行。見えない距離と、蘇るトラウマ。】
★近況ノートでイメージボード公開中!
今回は「パンケーキを前に理性が溶けかけているリン」のイラストを公開しました!
クールな天才ドライバーの、年相応な女の子の一面。
「ヨダレ、垂れそうだよ?」と言いたくなる可愛さを、ぜひ見ていってください🥞✨
https://kakuyomu.jp/users/Bomi-Asu/news/822139841155403192
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## 用語解説
◆ ナンバープレート・オフセット
ランサーエボリューションの大きな特徴の一つ。
通常、車のナンバープレートはバンパーの中央に付いているが、ランエボは左側(助手席側)にズレて装着されている。
これは、バンパー中央の奥にある「インタークーラー(空気を冷やす装置)」に走行風をたっぷり当てるため、邪魔なナンバーを退かした結果。
◆ センターポール(ポストコーン)
道路の中央線(センターライン)上に設置されている、柔らかい棒。
対向車線へのはみ出しを防ぐためにあるが、公道レースでは追い越しやライン取りの自由度を制限する障害物となる。
◆ 西伊豆スカイライン
伊豆半島の稜線を走る、絶景のワインディングロード。
視界が開けており、駿河湾や富士山を一望できる美しい道だが、標高が高いため天候が変わりやすく、霧が出ることもしばしば。
アップダウンが激しく、道幅もそれほど広くないため、高速域での正確なマシンコントロールが要求される難コース。
◆ 西天城高原線
西伊豆スカイラインに接続する、南側の道路。
こちらは比較的道幅が広く、ストレートも長いため、パワーのある車(エボやS2000)が気持ちよく走れる区間。
ここからテクニカルな西伊豆スカイラインへ切り替わる「中間地点」が、今回の運命のバトンエリアとなる。
◆ 大福ショコラパンケーキ
アサヒがリサーチした、都内某所の絶品スイーツ。
リンの表情筋と理性を崩壊させるほどの威力を持つ。
クールな天才ドライバーも、甘いものの前ではただの女の子に戻るようだ。
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