【ラウンド2 ~vs LUMINANCE~】

# 第9話 LUMINANCE ―天才と怪物―

助手席のリンは、窓の外をじっと眺めていた。


朝練の後、あたし達は高速道路のインターへと車を走らせている。

彼女のS2000は、ラウンド2に向けたメンテナンスのためピットに預けられている。


エボの車内には、お父さんが入れた古い流行りの歌が流れている。

リンの沈黙が、やけに重く感じられた。


「……どうだった? さっきのライン取り。

 あそこはもうちょっと小さく曲がれる気がするのよね。こう、スパッと。」


何気なく問いかけても、リンからの返事はない。

口を閉ざし、まるで思考の迷路に迷い込んだような無表情。


ラウンド1、LUMINANCEの走りを見てから、ずっとこの調子だった。



移動の目的は、都内にあるTDR事務局で電子デバイスを受け取り、その説明を受けること。

ラウンド2 西伊豆スカイラインのリレーレースで使うための物だ。


S2000を預けているリンには移動手段がなく、一緒に行くことになった。


「ほんとに……

 一人で電車に乗って県外に出たことがないなんて、どれだけ箱入りなのよ……」


心の中で呆れつつ、リンが助手席にいることに少し嬉しい気持ちも混じっている。

――でも、そんな軽口も今のリンには届きそうにない。


TDRのラウンド1配信は、公道という舞台や、プロドライバーではない者を出場させる事に、否定的な意見も一部ではあったが、そのエンターテイメント性もあり、好評に受け入れられ、盛り上がりを見せていた。


赤いエボは目立つ。安全運転しなければ……



「……ナビ、頼りにしてるからね」


「ああ、うん……」


やっと短く返事があったが、まだ上の空だ。


彼女の視線は、窓の外の景色ではなく、もっと遠くを見ているようだった。

かつて自分が座っていたシート。

それを奪った男の走りを目の当たりにして、彼女の中の時計が狂い始めているのかもしれない。


「あいつら…… レイとヒカリ、か」


脳裏にあの二人の走りがよみがえる。強烈な印象を残したLUMINANCEの二人。


────────────────────────────────


TDR ラウンド1 ターンパイク箱根 上り。


A110 Sのシートに沈み込み、俺は静かに目を閉じていた。


この後 始まるレースの展開を、何十パターンも脳内でシミュレートする――

全てのデータは頭の中に入っている。

気温、路面温度、タイヤの摩耗状態、そして対戦相手のスペック。


ウダのメガーヌR.S.トロフィーは決して侮れないが、車重、駆動方式、エンジン出力、どれを取ってもA110 Sの優位は揺るがない。


レースが始まる。


スタートダッシュで前に出る。

リヤから路面を掴む感触は完璧だ。


だがどうだ。


ストレート、ブレーキング、コーナリング、立ち上がり。その全てでウダは喰らいついてきた。


「信じられない――」


コース中盤を過ぎても、その差は開くどころか、縮まっている。


「くそっ……

 相手はレジェンドとは言え、70の老人だぞ……」


感情が僅かに波立つが、走りにブレはない。

一切の無駄を排し、理論的に最速のラインを、物理的に最速のスピードで、最も合理的に駆け抜けていく。


バックミラーに映る黄色いメガーヌは、まるで俺のA110に吸い付くように、テールトゥノーズの状態を維持している。

相手の経験値と技術力は想像以上だ。


『グゥォォォォォ……ォォォォォン!!』


タイトなシートの後ろに搭載されたA110のエンジン越しに、さらに後方から迫る全く同じ周波数の咆哮が重なり、奇妙な共鳴(ハウリング)となって俺の鼓膜を叩く。


「同じM5Pエンジン――

 だが、向こうはフロント搭載で重量級のはずだろ!?」


A110とメガーヌの出力はほぼ互角の300馬力。

しかし、車重は俺の方が300kg以上も軽い。


しかもここは登り勾配。MRのトラクション性能と軽さを持つA110が、FFで重量級のメガーヌに詰められる道理がない。


なのに、なぜ離れない!?


重なり合って響くその音色には、単なるマシンスペックを超えた、ドライバーの執念のようなものが込められているように感じられた。


老人の執念? 経験値? そんな曖昧なもので、物理法則がねじ曲げられてたまるか!

離せなくても、抜かれなければ勝ちだ。

そういう走りに切り替えればいい。


冷静に自身を律し、集中を高める。


青と黄色の二台は、恐ろしいほどのペースで8.5kmのヒルクライムを駆け抜け、そのままゴールイン。

僅差での勝利だった。



レース後、ピットエリアでウダが声をかけながら歩み寄ってきた。

口元に笑みを浮かべているが、サングラスでその目の奥の色は見えない。


「いやぁ、速い速い。しかも冷静だ。

 全然しかける隙がなかったぞ!」


ウダからは、負けた悔しさというよりも、興味が勝った雰囲気を感じた。


「生きる伝説とも言えるあなたと走れて光栄です」


俺は中指でメガネの位置を直しながら答えた。


「正直、クルマのスペックでは私のほうが上でした。

 それでも……終始、詰められっぱなしだった」


勝ったにも関わらず、悔しい感情がある……

が、表面に出さないよう冷静にふるまう。


「ハッハッハ、年の功、ってやつかの。」


ウダは白い歯を見せてニカッと笑った。


「それに、あなたはあくまでフェアなレースに徹してくれた。

 プロの世界のような…… 多少強引な攻め方だってできたはずだ――

 もちろん、そう来られたとしても、対処しきった自信はありますがね」


平静を装ったつもりだったが、拳はわずかに震えていた。


「なぁに、TDRはお祭りじゃ。わしら老骨が勝ちにこだわっても仕方ない。

 ワシももう命を賭けてまでは走れんしな。

 それに…… ダンディ・メガネ対決なら―― わしの圧勝じゃあ」


沈黙が流れる…… ウダのサングラスがキラリと光った気がした。

俺は冗談なのか本気なのかわからず、自分のフレームの縁を中指で押し上げた。


「キミの走りは、前の組で上りを走っとったお嬢さんによう似とると思ったが……

 内に秘めた闘志はキミの方が強そうじゃな――

 ま、有望な若者の走りを間近で見られて、楽しかったわ!

 次のレースは落とさんように、がんばるよ」


ウダは豪快に笑って、手を振って去っていった。


よくわからんじいさんだ。 だが――

遠ざかるウダの背中を見ながら、レイは眉をわずかにひそめた。


『条件が同じだったら、俺は負けていたかもしれない――』


────────────────────────────────


「ちょっと、リン!」

 道、こっちで合ってるんでしょ!? 返事くらいしなさいよ!」


助手席の無言に、あたしは無理やり明るさを繕う。


「もー、突然Uターンとか言われても困るからね?

 街中はエボちゃんのハンドル、ぜんッ……ぜん切れないんだから!

 峠じゃあんなによく曲がるのにね~」


内心は心配だった。

信号待ちの間にちらりと隣を見る。

リンは依然として沈黙している。


これまでの二人の朝練や、ラウンド1を経て、近づいたと思ったリンの気持ちが、今はまた少し遠くに感じる――


そんな不安を消したくて、言葉を止められなかった。


「それにしても、RUSHのおじいちゃんたちもすごかったけど、LUMINANCEの二人はそれに勝っちゃったね。

 あいつらとラウンド2で当たるんだよね、私たち……」


────────────────────────────────


深い青色のMR2。

このステアリングを握る時、ボクはこのクルマと一体になった様な感覚になる。

そして―― 誰かを追いかけるのが、ただひたすらに楽しい。


『ギャギャギャギャギャァァァァッ!』


派手なスキール音を轟かせて、アクセル全開の四輪ドリフトでコーナーを駆け抜ける。


全てから解放されたような感覚になる――

クルマを全力で走らせているこの瞬間が、ボクは何よりも好きだった。


解体屋の隅に放置されていた古いこの車を見つけた時、雷に打たれたような、無くしていた自分の半身を見つけたような、言葉にできない衝撃を受けた。


パワーもない、整備もろくにされていない、操作だってめちゃくちゃなボクとMR2。


それでも夜な夜な走っていた峠の下りでは、誰にも負けたことがなかった。


たまたま通りかかった、レイくんに出会うまでは……



MR2を走らせているとき、世界はとても静かで、暗くなる――

競う相手が速ければ速いほど、深く、深く静寂に落ちていく――


今日の相手はとんでもなく速い。

アバルト695ビポストとかいう、丸っこい、全然速そうじゃない、あのクルマ。

でも、レイくんと出会ったあの日の深さにまで、迫れる感覚がある。


「楽しいなぁ……」


自然と口元がゆるむ。


コーナーが来た。左足でブレーキを思い切り踏みつける。


『キュルルルルッ!』


左足がブレーキを踏んでいるから、クラッチは踏めない。

構わず強引にシフトレバーを引き抜き、右足でアクセルを煽って回転数だけを合わせ、ひとつ下にレバーを無理やり叩きこむ。


『ギャリッ……ヴァァァァァン!』

悲鳴を上げるギアをねじ伏せ、金属の噛み合う感触を掌で感じながら、アクセルはそのまま全開。


「ゴメンね、クラッチを踏む足がもうひとつあればいいのにね。」

でも、ボクにはわかる。 ギアの回転数が合う「一瞬の隙間」が。


ブレーキを踏みこんだままの左足の筋肉が微細に動き、クルマは思った方向に進んでいく。


理屈なんてわからない。

ただ、心が思うまま、身体が動くまま……


コーナーを抜ける度、視覚と触覚、三半規管がどんどん鋭敏に研ぎ澄まされていく。

競走する相手を抜くまで、どこまでも深く、暗く……


色が消え、音が消え、匂いが消え……

世界から全てが消えていく。


残るのは――

自分が走るべきライン。白く眩しく輝く光の筋。

そして、前を走るクルマのテールランプ。

赤い、赤い、炎のような赤。


それだけが、ボクの世界の全てだ。


ボクがペースを上げれば上げるほど、時間はどんどんゆっくりになっていく。

濃密で、永遠のような一瞬。


楽しみたい。 この時間を。少しでも長く――


MR2は、光の筋となって駆け抜けていく。


最終コーナー、エムのテールランプが眼前に迫る。


────────────────────────────────


「下りを走ってた、あのヒカリって子。まだ17歳で免許も持ってないんだって。

 しかもあんなオンボロの旧車に乗ってさ」


返事を期待せず話し続ける。


「あの橋の上の最終コーナー、エムさんが前だったのに、最後、明らかにラインを譲ったよね。

 あれ、もし避けてなかったら2台とも危なかったんじゃ……」


「……いえ、通っていたと思う。

 接触はあったかもしれないけど……」


やっとリンが口を開いた。しかもこの話題で。

頭の中はずっと LUMINANCEの事を考えていたのだろう。


「あーら、やっとお目覚めなのね。

 お・は・よ・う!!

 お姫様にお目覚めのキスをしなくて済んで助かったわ!」


あたしはちょっとイジワルに返した。


「……協議は入ったけど、ペナルティもついていない」


あたしのイヤミは全く響かない。


「お姫様じゃなくって、女王様だったかしらね〜?」

もうひと押し。


リンは視線を変えず、だがその眉間にわずかにしわがよる。


リンは現役時代、『氷の女王』と呼ばれていたとラウンド1の後で知った。

あの鮮やかな走りと、あの勝利者インタビューの塩対応を見ていれば、それもわかる。

でも――


「大丈夫、あんたは全然 氷ってなんかないわよ。」


リンの瞳が、わずかに揺れた気がした。


「しっかし、LUMINANCEねぇ……

 ま、相手が天才だろうが怪物だろうが、やるしかないか。」


あたしはパンと両頬を叩いて気合を入れ直すと、TDR事務所の入るビルの駐車場に車を滑り込ませた。


「さ、デバイスの説明を受けたら、作戦会議ね。

 リン、今日は絶対スイーツ奢ってもらうから!」


無言のまま、それでもほんのわずかにリンの口元が緩んだように見えた。

あたしは気付かないふりをして、車を停め、サイドブレーキを引いた。


「さっさと受け取りに行くわよ。

 ラウンド2は『リレー』――

 あんたとあたしのチームワークを、みせてやろうじゃない!」


────────────────────────────────

# あとがき

読んでいただき、ありがとうございます。


本編では個性的なライバルたちが続々と登場しました。


TDRは地の文も含め、すべて登場人物の主観視点で物語を描いているのですが、この回は視点と時系列がコロコロと入れ替わり、なかなか難しかったです。


読みにくくなかったでしょうか……?


ラウンド2の対戦相手は、LUMINANCEの「天才」と「怪物」――

彼らがどんな走りを見せるのか。

そして、アサヒとリンはどう立ち向かうのか。


これからの展開にもご期待ください!

引き続き、TDRをよろしくお願いいたします。


【次回、パンケーキと物理の壁。エボのナンバー位置が、最大のピンチを招く!?】


◆近況ノート更新しました ↓

https://kakuyomu.jp/users/Bomi-Asu/news/822139840918743587

※ 今回はイメージボードはお休みです! また次回楽しみにお待ちください。


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## 用語解説

◆ アルピーヌ A110 S

フランス生まれのピュアスポーツカー。

アルミ製ボディで車重はわずか1110kg前後。エンジンは運転席の後ろ(ミッドシップ)にあるため、痛快なハンドリングを誇る。

「軽さこそ正義」を体現した車。


◆ トヨタ MR2 (AW11)

1980年代に発売された、日本初の量産ミッドシップスポーツカー。

「カクカクした折り紙のようなデザイン」が特徴。

古い車なのでパワーはないが、車重は軽く、ハンドリングはカミソリのように鋭い。

ただし、限界を超えると独楽(コマ)のようにスピンする「危険な車」としても有名。


◆ ルノー メガーヌ R.S. トロフィー

「ニュルブルクリンク」という世界一過酷なサーキットで、ホンダ・シビックTypeRと「FF最速」の座を争い続けてきたフランスの武闘派。

見た目は実用的なハッチバックだが、中身はサーキットを走るために作られたマシン。


◆ アバルト 695 ビポスト

イタリアの可愛いコンパクトカー「フィアット500」をベースに、レース屋のアバルトが改造し尽くした化け物。

「公道を走れるレーシングカー」がコンセプトで、エアコンも後部座席もなく、変速機はレーシングカーと同じ「ドグミッション」を搭載している(※ヒカリが「丸っこい」と油断していたが、実はとんでもない車)。


◆ M5P型エンジン

レイの「A110」とウダの「メガーヌR.S.」に搭載されている、1.8リッター直列4気筒ターボエンジン。

実はこの2台、メーカーは違うが(ルノーとアルピーヌはグループ会社)、全く同じエンジンを積んでいる。

・A110は「ミッドシップ」で「軽量ボディ」に搭載。

・メガーヌは「フロントエンジン」で「重量級ボディ」に搭載。

本来なら物理的にA110が圧倒的に速いはずだが、ウダはその技術で物理的ハンデを覆して見せた。レイが戦慄したのはそのため。


◆ ミッドシップ (MR: Mid-ship Engine Rear Drive)

エンジンの搭載位置を示す言葉。

最も重いエンジンを、車体の中心(運転席の後ろ)に置くレイアウト。

F1マシンと同じ構造で、曲がる性能が抜群に高い。

LUMINANCEの2台(A110、MR2)はどちらもこのMR方式。


◆ 左足ブレーキ

通常は右足で操作するブレーキペダルを、左足で踏むテクニック。

右足でアクセル、左足でブレーキを同時に操作できるため、ブレーキからアクセルへの踏み替え時間がゼロになり、より繊細な荷重移動が可能になる。

オートマ車(2ペダル)では比較的やりやすいが、マニュアル車(3ペダル)では左足がクラッチ操作も担当するため、非常に高度な技術が必要。ヒカリの天才性を象徴する走法。


◆ 最小回転半径

ハンドルを目一杯切った時に、車がどれくらい小さく回れるかを示す数値。

ランエボは太いタイヤと複雑な4WD機構のせいで、ハンドルがあまり切れず、この数値が非常に大きい(=小回りが効かない)。

狭い駐車場やUターンは、エボ乗りにとって最大の敵である。

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