TDR -Touge Dual Raid- ~公道最速バディレース~

ぼみアス

【SOL EDGE】

# プロローグ D.C.

――今日こそ、あの背中に追いつく!


アクセルを踏み抜いた瞬間、全身の血が一気に後ろへ引っ張られ、背中がシートに叩きつけられた。


ブースト計の針が1.5バールに跳ね上がる。



夜明け前の峠道。

東京と山梨の境で、私はまた、あの背中を追いかけていた。


『ギャァァァァァッッ!!!』

タイヤが悲鳴を響かせて、誰もいない稜線を赤と白の二つの影が駆け抜けていく。


アクセルを踏み込むたび、赤いランサーエボリューション9MRのボンネットが身震いした。

ダッシュボードの4連メーターが暗い車内で光っている。


目の前には、ただ一台の白いクルマ。

私の知る誰よりも、正確で、速い――あのS2000だ。


初めてこの走りに出会った時の衝撃――


あれから、私はずっとこの時間、この場所に通い詰めてきた。

名前も顔も知らない。会話をしたことすらない。ただ、心を撃ち抜かれた "あの人の走り" に追いつくために。



ハンドルを握る手が汗ばむ。全神経がタイヤの接地感に研ぎ澄まされていく。


カーブ。左、右、また左。


白いS2000が、路面に吸い付くように次のコーナーへ消えていく。

アスファルトを掻くタイヤの『キュゥゥゥッ……』という小さな啼きが、フロントガラス越しに届く。

氷の上を滑らせるみたいな、どこまでも無駄のない音。完璧なライン取り。

タイヤの端、グリップの際をなぞるような繊細さ。


自分はどうだ?


ペダルを踏み抜き、車体を振り回す。

タコメーターの針がレッドゾーンの7000回転を目指して駆け上がる。

グリップの端を探りながら、AWDのトラクションを信じて、全開でコーナーへ――

タイヤは『キャァァァァァァァァッ!!』と甲高く叫び、車体は短く震える。


なんで、こんなに違うんだろう。


それでも減速Gから身体を支える左足に、横Gに耐える体幹に、アクセルを踏む右足に、いつも以上の力がこもる。

「追いつけない」悔しさと、「ここまで来た」興奮が、血管の中でぶつかる。


――今までは、もっと離されていた。


それが今日は、S2000のテールランプが視界の奥で瞬いている。

距離は確実に縮まっている。



朝焼けが山肌を舐めて、道の表情がどんどん変わる。峠の道も目まぐるしく表情を変える。

最初の数キロは、リズム良く流れる高速コーナー。そこからは、細かく連なるタイトなS字と複合ヘアピンの連続。


S2000が、まるで舵角を最小限に抑えているかのように、滑らかにノーズを滑らせていく。無駄なスリップがほとんど見えない。そのリアから聞こえる薄いタイヤ鳴きすら、朝の空気に溶けるように静かだ。

その後ろ姿は、どこか涼しげな余裕すら感じさせる。


対して、エボの四輪は、コーナーごとに重いボディをねじ伏せるから、荷重が大きく抜ける瞬間、タイヤが甲高く、どこか苦しげに鳴く。


それでも怖くない。バイクと違って、車は転倒を恐れる必要がない。

むしろ、限界を超えた一瞬の"遊び"に体ごと突っ込んでいける、この感覚が私は好きだ。


「こんなに近づいたのは初めてだ―― このまま!」


道幅が絞られ、タイトなテクニカルセクションに入った。

コースの後半、ここからは本当に難しい。片側一車線ぎりぎりの幅しかない道が、右に左にうねりながら下っていく。

前を行くS2000の動きを見ていると、まるでダンスを踊っているようだ。

無駄のない、美しい動き。


私の運転は……きっとまだまだ無駄が多い。

無理にこじったフロントタイヤから、嫌な振動がステアリングに伝わってくる。

でも、今は構っていられない。


短いストレートごとに、S2000との距離がわずかに詰まっていく。

それでも、コーナーではそのわずかな追い上げも取り戻され、決定的な差は埋まらない。



空の色が群青から薄紫へと変わり始める。朝が近づいている。


コース終盤の難所、悲しい伝説が残る渕――闇に溶けそうなほどタイトな右ヘアピン。


白いS2000が一瞬、その姿を消す。


「まだ離されるもんか!」


フルブレーキ――

エボに搭載されたブレンボが、ブレーキローターを絞り上げ、焼き付くような鉄の匂いが車内まで入ってくる。


フロントタイヤから、また嫌な振動。

追いつくまで、もう少しだけ――


奥歯を噛み締め、4点式のシートベルトが私の身体に食い込むのに耐えながら、私はハンドルを切り――

そのままサイドブレーキを引き上げた!


エボのリヤが大きく流れ、タイヤが路肩の砂利を弾き上げる。

一瞬、フワリと身体が浮くような浮遊感。

直後、強烈な横Gと共に景色が真横にスライドする。


ラリーカーのような豪快なドリフトで一気にコーナーに飛び込み、それでもアクセルを踏み抜いた。

ドンッ! と背中を蹴飛ばされるような加速。

暴力的なトラクションで立ち上がり――S2000の背中が迫る!


「よしっ!」


立ち上がった先は三連のトンネル。

薄暗い空間でその大口が二台を飲み込もうと待ち構えている。


S2000が先にトンネルに飛び込む。

その直後、あの甲高いVTECの音がコンクリートの壁に反射して、何重にも重なった咆哮になる。


私も続く。トンネルの境界で路面の舗装が変わり、一瞬ハンドルが軽くなる。

エボの重くて太いエンジンサウンド、タービンの高周波が混ざり合って、この峠が丸ごと楽器になったみたいに二台の轟音がトンネル全体を揺らした。


二つの音が混じり合い、複雑なハーモニーを奏でていく。

私は思わず息を呑んだ。


3つ目のトンネルの長い直線でアクセルを踏み込み、目の前のS2000に迫った。

一気に差が縮まる。エボのパワーが活きる。

シフトアップの度に、視界の端でメーターの針が踊る。並びそうになる。手が届きそうになる。


二台が勢いよくトンネルから飛び出す。

空はオレンジから明るい黄色へと変わっている。もうすぐ朝だ。


「あと少し……!」

心が跳ね上がる。


だが――トンネルを抜ければ、再び狭く曲がりくねった道。

S2000が切り返すたびに、距離がじわじわ開く。


「ここで食らいつければ――!」


この先には、ゴール前のハイスピード区間が待っている。

そこで追いつく。絶対に――


「届け―― 届けっ――!」


私は奥歯を噛み締めた。ハンドルを握る手が、汗で滑りそうになる。

それでも、アクセルを踏み増す。

エボのエンジンがさらに高い音を立てる。タイヤがかすかに軋んで、車体が短くスライドする。


「いける――!」



――そのときだった。


『 バァンッッッ!!! 』


鼓膜を叩く乾いた破裂音。

次の瞬間、ハンドルが、石のように重くなり、手首を持っていかれそうになる。


「えっ――!?」


フロントタイヤの接地感が消えた。

代わりにゴトゴトという不快な振動が、シートを通して骨まで伝わってくる。

車体が強烈に右へ引っ張られる。


「嘘……ここで!?」


私は必死にハンドルをねじ伏せ、暴れるエボをなだめるように減速させた。


路肩のエスケープゾーンに車を停める。



エンジンを切ると、急に静寂が戻ってきた。


ドアを開けると早朝の冷たい風が車内に流れ込んでくる。

遠くでS2000のエンジン音が小さくなっていく。


心臓の音だけがバクバクと、やたら大きく聞こえた。

空はすっかり明るくなり、朝の柔らかい光が、山々を照らし始めている。



車から降りて、タイヤを確認する。

案の定、片方がぺしゃんこ。そして反対側も、エッジの摩耗がかなり進んでいる。

ハンドルをこじっている証拠だ。


「強引すぎだっての……」

口をつくのは、誰でもない自分への苦笑。


毎日のように、ここに来ては、あの人を追いかけて、届かなくて――

でも、今日は今までで一番、近かった。


「ハァ……もうちょっとだったのになぁ……」

自然とため息が出た。


顔を上げると、遠くからあのエンジン音が聞こえてきた。

まさか。どうして……?


白いS2000がゆっくりと戻ってきて、私の隣に停車した。


静かにエンジンを切って、ドライバーが運転席から降りてくる。

その彼女は、朝の光の中で長いポニーテールの髪をほどいていた。


鉄とゴムの焼ける匂いが立ち込める中で、彼女だけが、別の世界から切り取られたように、どこか幻想的だった。

朝の柔らかい光が、彼女の白いS2000と美しい髪を照らしていた。


初めて見る、あの人の顔。


「……大丈夫?」


初めて聞くその声は静かで、でもどこか柔らかい。


私は、少しだけ強がって――


「……平気。ありがと」


そう返して、視線を逸らした。


でも―― 彼女が背を向けて立ち去ろうとした瞬間、身体が勝手に動いていた。


「待って!」


――その一言が、きっと、あたしたちの"始まり"だった。

最高に熱くて、最高に速い、ひと夏の物語が幕を開けた。


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# あとがき


読んでいただきありがとうございます!

カクヨムにて連載開始しました!

本作は「ランエボ×S2000」のバディが織りなす、熱い青春レース物語です。


近況ノートに、プロローグラストの運命的な「出会い」のシーンをイメージイラスト化しました!

朝焼けの峠、パンクしたエボ、そして颯爽と現れたS2000。

物語の始まりを、ぜひビジュアルでもお楽しみください🚗✨


https://kakuyomu.jp/users/Bomi-Asu/news/822139839926578093


第一話も同時公開していますので、今後ともよろしくお願いいたします。


【次回、少女はなぜ走るのか? 父の遺したエボと、止まった時間。】


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## 用語解説

◆ ランサーエボリューション IX MR (Lancer Evolution IX MR)

三菱の高性能スポーツセダン。強力なターボエンジンとAWD(四輪駆動)による圧倒的な加速力と高いトラクション性能が特徴。


◆ S2000

ホンダの2シーター・オープンスポーツカー。自然吸気(NA)エンジン特有の高回転域での爆発的な出力と、FR(後輪駆動)によるシャープな挙動が特徴。


◆ VTEC(ブイテック)

ホンダ製エンジンに搭載される可変バルブタイミング・リフト機構。特定の回転域に達すると作動し、エンジンの出力特性を変化させる。


◆ AWD(四輪駆動)

エンジンの駆動力を四輪すべてに伝える方式。高いトラクション(駆動力)を得やすく、安定性に優れる。


◆ FR(後輪駆動)

エンジンの駆動力を後輪のみに伝える方式。前輪が操舵、後輪が駆動を担当するため、純粋なハンドリング性能に優れる。


◆ ブレンボ (Brembo)

イタリアのブレーキメーカー。

世界最高峰のレースで培われた技術で作られるブレーキは強力なストッピングパワーを持ち、ランエボのような高性能車の純正ブレーキとして採用されている。赤いキャリパーがその証。


◆ ドリフト

意図的にタイヤのグリップ限界を超えさせ、車体を横滑りさせながらコーナーを通過する操縦技術。

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