妹のために、私は彼女の偽の彼氏になった
@yami1
第1話
プロローグ
スーツ姿の中年男がとあるカフェで、エスプレッソをゆっくりと啜っていた。
これが退勤後の貴重な癒し時間だったはずなのに、隣の席の少年少女の喧騒に台無しにされてしまう。
「桜雪、どうして俺のことを……!? ここまで尽くしてきたのに!」
少年の声は震え、机を睨みつけるようにして、必死の思いで言葉を絞り出していた。テーブルの下で握りしめた拳の指の関節は、力の込めすぎて白く変色している。
「ごめんなさい……私、好きな人ができたから」
「桜雪」と呼ばれた少女は容赦なく告白を撥ねつけると、席を立ち、洗面所へと向かった。
——おそらくは、男に一人で冷静になる時間を与えるための配慮だろう。
おっさんはコーヒーカップを置き、面白そうに成り行きを見守る。
桜雪という少女が遠ざかるのを待って、少年は顔を上げた。彼女の去った方向に向けられたその眼差しには、苦痛と悔しさ、そして一片の……決意が滲んでいた。
「クソ……アイツのせいで、桜雪が……!」
「まさか、本当にこれを使うのか……?」
少年の顔には憤りと未練の表情が渦巻き、警戒しながら周囲を見渡す。
おっさんは視線を逸らし、少年の挙動を盗み見た。
少年はこそ泥のように素早く周囲を見回し、誰にも気付かれていないことを確認すると、微かに震える手でポケットから白い粉の入った小袋を取り出し、あたふたと少女のコーヒーカップに混入した。
まさか……薬?
おっさんは引き続き、警戒しながら見ていた。
やがて、「桜雪」が洗面所から戻り、自分の席に着いた。
「じゃあ、特に用事がなければ私はこれで……」
「待って! せめて、俺が奢ったコーヒーだけでも飲んでいってくれよ! これからは邪魔しないからさ……」
「そ……そうね、分かった」
少女は面前のコーヒー杯を一瞥し、深く考えもせずに飲み干した。
少年は彼女が飲み干すのを見届け、微かに見せた笑みを浮かべる。
「これからはもう、二人で出かけたりしないでよ。彼に誤解されちゃうから……」
少女は言葉を終えぬうち、身体がぐらつき始めた。
「おい、桜雪!? 大丈夫か? 気分が悪いのか? 送っていこうか?」
少年は気遣うふりをして少女に腕を回す。
「あ……触らないで……どうしたの……頭がクラクラする……」
意識が混濁する少女は彼の手を振り払おうとするも、身体に力が入らず、ふにゃりと少年の腕の中に倒れ込む。
「大丈夫か? 家まで送るよ」
「うん……? 家……うん、帰りたい……」
少女の意識は完全に朦朧としていた。
少年は計画達成の笑みを浮かべ、少女を背負うと、店から歩き去った。
事態がおかしいと察知したおっさんは、持ち歩いているブリーフケースを手に取り、慌ててレジに向かい会計を済ませようとした。
「おい、さっきのエスプレッソ、いくらだ?」
「はい、お客様。こちらのエスプレッソは店主特製のため、4880円となっております」
店員は彼の財布に響く価格を告げる。
「なにっ?! そんなバカ高いコーヒーがあるか!!」
おっさんが文句を言おうとした時、振り返った先であの男女が遠ざかっていくのが見えた。
「もういい! 5000円だ! 釣りはいらねえ!」
おっさんは二千円札を一枚投げ出すと、ドアを押し開け追いかけた。
「ご利用ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております……」
店員は遠ざかる背中に向かって感謝の言葉を述べる。
「おいおい、温水、随分と悪質だな? 俺のコーヒーが一杯5000円もするなんて聞いてないぞ?」
店内から現れた大柄な影がそう言うと、店員は笑いながら振り返った。
「店長、多分すぐにあなたは私のことを責められなくなると思いますよ?」
「はは、それはもうすぐってわけか」
…………
急いで追いかけるおっさんが、この会話を耳にするはずもなかった。
路地裏で、彼は男女に追いついた。
「おい! 女の子を背負ったそこのガキ、待て!」
少年は身体を硬直させ、ゆっくりと振り返る。
「あ、あの……何か用ですか? 彼女が気分悪くて、もし急ぎの用事じゃなければ……」
少年はもごもごと言葉を絞り出し、焦った口調で訴える。
「はあ? 彼女がお前の彼女だって? ふん、小僧、お前が薬を盛るのを全部見てたんだぞ?」
「な、なにを言ってるんですか……薬なんて……」
「まだとぼけるか? この店の中でお前がやったこと、全部見てたんだ。じゃあ、警察を呼んで、店の監視カメラを確認してみるか?」
少年はしぼんだ風船のようになり、哀願し始めた。「うっ……お、お願いです……通報しないでください……まだ若いんです……」
「若いうちからそんなことするのか? これじゃあ何年か刑務所に入れてもらうしかないな」
「い、嫌です……刑務所には入りたくない……」
少年は泣きべそをかき、繰り返し哀願する。
「お願いします……大哥、通報はやめてください……まだ若いんです……」
おっさんは軽く笑った。この年でよくもまあ薬を使う勇気があったものだと思ったが、ちょっと脅しただけでへたれきっていた。
どうやら、女癖の悪いただの小僧のようだ。
「女の子を置いてさっさと失せろ。今回は見逃してやる。まだ大事に至ってないからな、警察は呼ばん」
「ほ、本当ですか?」
「ああ、本当だ。で、彼女の家の住所を教えろ。いつか覚醒したら送って行ってやる」
「は、はい……」
おっさんは少年が背負っている少女を受け取ると、少年は紙切れに住所を走り書きして渡し、おっさんが前言を取り消すのを恐れるように走って去っていった。
おっさんの腕の中の少女は薬の効力で、無意識に嬌声をあげ、温かな吐息が彼の首筋を撫でる。少女の柔らかな身体と紅潮した頬は、磁石のように彼の視線と腕を釘付けにした。
「ちっ、こんなもの何の役に立つんだ」
彼は紙片を丸めて捨て、少女を抱えたまま無人の路地へと入り、少女を隅に寄せかけ、持っていたブリーフケースを地面に放り出した。
「ふふん……人のコーヒーを軽々しく飲むような小娘は、おっさんが躾けてやるよ……」
「桜雪って言うんだったな? なかなか愛らしい娘だ。怖がるなよ、叔父さんが可愛がってやるからな、へへへ……」
「あのガキは愚図だ。女癖が悪いくせに小心者め。代わりに俺がいただくぜ……」
彼は事が終わってから通報すれば、少女が最後に会ったのはあの小僧だから、自分は現場を発見した通りすがりの人物を装えばいいと考えた。
あの小僧に何十年も刑務所に入ってもらうとしよう。はははっ……
彼が少女に向けて痴漢めいた手を伸ばしたその瞬間、二つの影が知らぬ間に背後に立っていた。
「おい! その娘に何をしようとしてる!?」
彼は驚いて震えながら振り返る。
少女もその時目を覚まし、乱れた襟元を見て、何が起こったかをすぐに理解した。
彼女は立ち上がり、呆然と立ち尽くすおっさんを押しのけると、二つの影の背後に走り寄った。
「温水兄ちゃん……!」彼女はその内の一つの背中にしっかりとしがみついた。
「てめえ! このクソ野郎! 俺の妹に何をしやがった!?**
彼はすぐに言い訳した。「い、いや、そうじゃない、この娘がさっき他のやつに……」
「ふざけんな! ここに他に誰がいるっていうんだ!てめえ俺の娘に何をした!?**
「違う、本当だ!」彼は二人を見た。
「あなたはさっきのカフェの店員だな!」
彼は詰問する人物の顔を見定め、先ほどのレジ係であることに気づいた。
「妹に手を出した言い訳がそれか? つり銭要らないからって手加減してくれるとでも思ったか?」
店員はおっさんに平手打ちを食らわせると、同時にさっき彼が地面に落としたブリーフケースを拾い、中を確認した。
「見るな!!!」彼は止めようとしたが、傍らに立つ少女の父親に阻まれる。
「おや、あの『黎氏グループ』のアートディレクターか? 岡村裕介? 人を食ったような格好して一人前のふりして、そんなことするとはな!」
「違うってば! 君たちの店の監視カメラを見れば分かる!」
「監視カメラ? すまないな、店のカメラはとっくに壊れてる」少女の父親が一步前に出て言う。
「さっき君にコーヒーを淹れた店長だ。君が金を持ってるように見えたから特別に淹れてやったんだ、俺の娘にそんなことするとはな。もう言い訳はいい、温水、警察に電話しろ、強姦魔がいるってな!」
「はい!」温水は携帯電話を取り出した。
「待って!! そ、そこの……『桜雪』さんだろ? さっきはお前を好きな別の男とコーヒー飲んでたんだろ? あいつがトイレに行ってる間に薬を入れたんだ! オレはお前を助けようとした良い人だ!」
岡村はこの少女に命の縋る思いで訴える。
「桜雪」は首を振り、温水の服の裾を引っ張った。
「覚、覚えてない……何も覚えてない……目が覚めたらあなたが私に手を出そうとしてるのを見ただけ……」
彼女はそう言うと、後悔したように温水の腕をしっかりと握った。
「てめえ! 俺の妹に薬を盛ったのか!? このクソ野郎!」
温水は傍らにあった廃材の板を手に取り、岡村に向かって振りかぶろうとした。
「や、やめて! 話せば分かる!」
岡村は両手で顔を覆う。
「話せば分かる? ああ、そうだな、俺たちは文明人だ。どう話し合うつもりだ?」
岡村はもう逃げられないと悟った。
「わ、わかった……いくらなら……払う……」
店主が指を一本立てる。
「10万円?」
岡村は胸を痛める。何もしていないのに金を失う。
答えは店主の平手打ちだった。
店主は大声で言う。「100万だ! 10万円なんて何言ってやがる! お前が何をしたか分かってるのか!? 刑務所に行きたくなければ素直に金を払え! これで示談だ!」
「100万!? ふざけるな! 銀行強盗でもしろってのか! それに、証拠はあるのか? お前たちの言い分だけじゃないか!」
「ふん、最後まで強情だな。俺の胸に付いてるもの、見えているか?」
傍らの温水が胸のゴープロを弄り、レンズが赤く点滅する。
「ま、まさか……」
「分かったか? なら大人しくするか?」
岡村は完全に崩壊し、大人しく100万円を振り込んだ。
「金は払った。ビデオは消せるか?」
温水は眉を上げた。「まだ20万足りないな」
「なにっ? 20万? 100万って言ったじゃないか!」
「この20万はお前が強情を張った代償だ」
「てめえ……」
岡村は痛みをこらえさらに20万円を振り込み、ブリーフケースを拾うと逃げるように去った
——————
—————
第2話
「温水兄ちゃん、どうしよう……まだ頭がくらくらするし、体が熱くて……」
桜雪の声には甘えたような響きが含まれ、タコのように私に絡みついてきた。
「おい、離してくれよ……」
「ねえ、桜雪。確か俺がカップに入れたのは砂糖だったよな?」
すると路地の向こうから、慣れ親しんだ足音が聞こえてきた。さっき「薬を盛った」少年である。
「なんでだよ!?」彼は喚いた。
「なんで俺という本当の兄が『兄』役を演じられないんだ? なんで俺が薬を仕込む変態役やらなきゃなんねえんだ!!」
桜雪は私の肩に頭を乗せ、ニヤリとして言った。
「だって、兄ちゃんはその役がぴったりだからね。それに、温水兄ちゃんが変態なんて演じられるわけないでしょ? 私の『薬を盛られた少女』役のほうがよっぽど似合ってたよ……」
「何言ってるんだよ、それよりさっさと離してくれ」
私はかなりの力を入れて、ようやく彼女の腕の中から自分の腕を引き抜いた。
「腕が挟み切られそうだった……それより店長、さっき100万って口にしたときは本当にびっくりしたよ」
「ははは、あんな脂の乗ったブタには、こうやってしっかり絞り上げるのが一番さ」店長は笑いながらタバコに火をつけた。
「そうだよ! それに私、あの人大っきらい! 今日帰ったらしっかりお風呂入らなきゃ」
桜雪もその話を思い出したように、さっき乱された襟元を軽く整え、嫌悪の表情を浮かべた。
店長は半分だけ吸ったタバコを壁際で消し、スマホを操作した。路地内はしばし静寂に包まれた。
「温水、今回はお前が80万受け取れ」
「いや、そんなわけには……今回はほとんど皆さんの力ですから……」この芝居が彼ら兄妹と店長によって支えられていたことは分かっていた。私はただの脇役に過ぎない。
言い終わらないうちに、桜雪が一步近づき、顔を上げて私を見た。
「温水兄ちゃん、受け取ってよ。兄ちゃん、海外の医科大学に行きたいんでしょ? 学費まだ足りてないよね? それに琉璃の病気も……」
唇を動かし、まだ辞退しようとしたとき、大輝の大きな手が私の肩をどんと叩いた。
「おい温水、俺たちの間でよそよそしいこと言うなよ」
「琉璃の病気のことは、俺たちには大きな力にはなれねえけど、この金だけは受け取れ。みんなの気持ちだ」
私は彼ら兄妹と店長の顔をひとしきり見つめ、胸の中が何かでいっぱいになるのを感じた。
最終的には、私は折れるように肩を落とし、静かに息を吐いた。
「わかった……それじゃあ、ありがとう」
「それでいい」店長はうなずき、続けて注意を促した。
「今回のターゲットの情報は全部筱筱から提供されたんだったな? 帰りに何か礼物を持っていってやれよ」
「うん」私はそのことをメモした。
桜雪が何かを思い出したように、口調を明るくして言った。
「あ、そうだ、温水兄ちゃん」
「私と琉璃、今学期また同じクラスになったよ?」
私は習慣的に彼女の頭を撫でた。
「じゃあ、また彼女のことをよろしく頼むよ。あの子、病気がちでなかなか新しい友達ができなくてさ」
「うん、任せて!」
「琉璃の銀髪と赤い瞳ってなかなか可愛いよな? 染髪もコンタクトもしてないのに、男子にはウケるんじゃないか?」大輝が横から口を挟んだ。
桜雪は嫌そうに彼を一瞥した。
「うわっ、またよその家の妹に発情して、きっしょ~」
「誰が発情してるって!? 俺はただ、あの子が学校で仲間外れにされるべきじゃないって思っただけだぞ!?」
「きっしょ~きっしょ~」桜雪は長く伸ばした声で、あっかんべーをした。
「よし、これからは琉璃を兄ちゃんに一歩も近づけないことにする!」
.........
「じゃあね、温水兄ちゃん!」
「ああ、またな」
カフェの面々に別れを告げ、私は家路についた。
住宅街の窓のほとんどは暗くなり、ほんの数軒だけが灯りをともしている。
階段の音声感知灯は私の足音に合わせて、物憂げに点灯する。薄暗い光がチラシでびっしりの壁をかすかに照らし、通り過ぎた後、一階ごとに、次々と消え、背後にある道を闇に飲み込んでいく。
音声灯がまだ消えないうちに、鍵を錠穴に差し込む。
「おう、まだ起きてるのか?」
家に帰ると、琉璃がソファに猫のように丸まっているのが一目で見て取れた。
彼女はキャラクターのプリントがされたゆったりしたパジャマを着て、銀髪は肩にかかったまま、数筋がはねている。
今、彼女はスマホの画面に向けてぼんやり笑っており、画面の光が彼女の片頬を照らし、長いまつげが目の下に小さな影を落とし、口元に浮かべた微笑みには少し間が抜けていた。
彼女の赤い双眸は誰かとのチャットページに留まっている。
「誰とチャットしてるんだ?」
私が近づいて覗き込もうとすると、
「関、関係ないでしょ! それより、いつ戻ってきたの!?」
彼女は驚いた猫のように、ぱっと背筋を伸ばし、あたふたとスマホの画面を消し、背後に隠した。顔にはやましい表情が一瞬よぎった。
「ああ、本当に夢中になってたんだな……親父とおふくろは?」
「出張だよ、まだ帰ってきてない」
「ああ、飯は食ったのか?」
「食べたよ。それより、こっちの晩はどこに行ってたの?」
私は水を一杯汲み、ソファに仰向けに寝転がった。
「お前の兄ちゃん、大儲けしてきたんだぜ?」
「またカフェに遊びに行ってたんでしょ?」
「ああ」
「いったい桜雪にどんな迷薬を飲ませたの? 私の前で毎日あなたのここが良い、あそこが良いって……」
「ん? どうした、妬いてるのか?」
彼女の返答よりも早く抱き枕が飛んできた。
「誰が妬くもんですか! あっち行ってよ!」
「ああ、冗談だよ……そうだ、筱筱はこっち来てたか?」
「まさか二股かけようっての!? 隣の筱筱お姉さんまで弄ぼうだなんて……痛い痛い痛い」
私は彼女の額をぽんと弾いた。この娘も恋愛に興味を持つ年頃になったんだな。
「テーブルの上に店から持って帰ったケーキがある。食べたくないなら冷蔵庫に入れとけよ。ちょっと隣に行ってくる」
「ケーキ!! でも夜食べると太るよね? でも食べたいなあ……」
背後で琉璃が葛藤しているのを気にせず、私はケーキの箱を手に取って隣の部屋に行き、ドアをノックした。
「合言葉を言わないとこのドアは開けられませんよ~?」
ドアの向こうからそんな返事が返ってきた。
ああ、またこのやり取りか。
「ねえねえねえ、史上最高に偉大で可愛い漫画家の筱筱さん、ご在宅ですか?」
「はいはい~」
ドアが「カチッ」と音を立てて開いた。筱筱は少しぼさぼさの金髪をくしゃくしゃにし、だらりとドア枠にもたれかかっていた。
碧い瞳は私が持っていたケーキの箱を見ると、すぐに輝きを宿した。
「おお! 貢物、合格確認しました~どうぞお入りください~」彼女は言葉を伸ばして言うと、身をひいて私を通した。
いつも見るたびに目尻がひきつるような部屋に足を踏み入れる。
液タブ、お菓子の袋、漫画本が絶妙な生態系のバランスを保って共存していた。
彼女は待ちきれないように大きなスプーン一杯のケーキを口に放り込み、言葉をぼんやりさせながら話した。
「で、成功したの?」
「思ったより順調だった」
ようやく漫画本の山から座る場所を確保する。
「あの奴、GoProを見ただけでへなへなになって、値切ることもできなかった。筱筱が調べたあのネガティブなネタは全然使う必要がなかった」
「ちぇー、せっかく会社のシステムにハッキングしたのに」
彼女は口をとがらせ、またスプーン一杯のケーキをすくった。
「でもあの奴がオフィスで女性部下にセクハラしてる監視カメラの映像、数GBもバックアップ取っといたんだぜ」
「まさかそれまで手に入れてたのか?」私は少し驚いた。
「もちろん、私は天才だからね?」彼女は得意げにスプーンを振り、生クリームが隣の液タブにかかりそうになった。
「会社の金を流用して女子大生を飼ってることも知ってるんだ。さっきあの奴が抵抗しようものなら、このネタで十年は刑務所に入れられたのに」
「道理で奴がすんなり振り込んだわけだ。筱筱の情報工作は完璧すぎる」
「でしょ?」
彼女は口元をほころばせ、さっと椅子の上から『妹X兄、語り得ぬ禁断の恋』という漫画本を払い落とした。
「でもマジで、君たちの演技はなかなかだったよ。大輝の薬を盛る変態演技なんか、もう本当に本性が出てたよ」
「それって褒めてるの?」
私たちは顔を見合わせて笑った。一件落着後のそんな連帯感が、部屋の空気を和ませた。
「琉璃の病気はどうなった? まだ手立てはないの?」彼女は少し真面目になった。
「うん、今のところ国内の病院には適切な治療法がない。今は東京医科大学だけがこの病気の治療研究プロジェクトをやってる」
「自分の妹のためにここまで頑張るなんて、しかも海外の大学に行くために。今までにいくら貯めたの?」
「今は300万だけど、まだ全然足りない……」
その時、ポケットの中の携帯電話が震えた。
画面に表示されたのは――「琉璃から着信」
0.5秒考えて、私は通話を切った。
「え?! どうして自分の妹の電話を切れるの!?」
筱筱はすぐに大げさに叫んだ。
「どうも筱筱のそばであの子の電話に出ると――」
私は彼女を一瞥した。
「――何か良くないことが起こりそうな気がする」
「何それ!」
彼女は頬を膨らませたが、碧い瞳にはやる気に満ちた色がきらめいていた。
「最初は変な声を出して、自分の兄が私に奪われちゃうってあの子に誤解させて、それであの子が強い依存心を爆発させて、最後には温水も相手の攻勢に耐えきれず、二人で禁断の殿堂に足を踏み入れる……ふふふ……」
彼女はそう言いながら、自分から先に頬を包んでぼんやり笑い始めた。
「私は正常な人間だ……」私はこめかみが脈打つのを感じた。
「変なアニメや漫画はもう少し控えたら? もう三次元と二次元の境界線が分からなくなってるんじゃないか?」
「それじゃあもっといいじゃん?」
彼女は反省するどころか、むしろさらに近づいてきた。
「兄妹路線が嫌なら、男友達路線はどう? 実は私、温水と大輝がくっつくのも応援してるんだよ……」
「さっさと俺が持ってきた貢物を食べて、そのまま死んでくれ」
私はケーキの箱を彼女の前に押しやり、心から提案した。
「ははは、怒らないでよ~。そうだ、さっき店長が私の分をくれたお金、もう温水のカードに振り込んどいたよ?」
「え? なんで俺に振り込むんだ?」
そう言うと、彼女はフォークをくわえた口に、意味ありげな笑みを浮かべた。
「それはね……へへ、二、三日したら分かるよ」
「あ! まさか前に言ってたコス……何だっけ?」
「あら、cosplayよ。そんな女の子みたいな顔してて、私の漫画のキャラをcosしないなんてもったいないわ」
「ダメだ、それだけはどんなに金を積まれても引き受けられない!」
「あらあら、そんなに老实に拒否するの? でも安心して、今回はそれじゃないから」
「じゃあ何なんだ? もったいぶらないでくれよ」
彼女の視線にやや怖くなり、何か悪いことが起こりそうな予感がした。
「もしいつか、私と同じ髪色の女の子があなたに助けを求めてきたら、断っちゃダメよ?」
「ん? これがどういう意味かは分からないけど、そんなことなら引き受けるよ」
「約束したね?」
「ああ」
「ピピピ」
携帯電話の着信音が鳴った。
[琉璃]: 私、寝るね。自分で何とかしてドア開けてね
私はポケットを探った。確かにそこにあった鍵がない。
「ん? もう行くの?」
筱筱はケーキを食べながら、もごもごと言った。
「ああ、もう帰らないと今夜は筱筱のところで寝る羽目になる」
「もしブディンを買ってくれるなら、私も大歓迎だけど?」
「お前は饕餮か? もう二つもケーキ食べただろ」
「ケチ~。早く帰って妹とイチャイチャしなよ~」
「できるわけないだろ!」
妹のために、私は彼女の偽の彼氏になった @yami1
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます