第35話 欲望5




 未遊の家の両親は、普通の日本人である。


 父親は、外資系の技術屋で、収入はなかなか多く、家にいないことが多い。

 母親は趣味の多い人で、パートをしながら好き勝手、自分のことを優先している。

別にパートをする必要なんかないらしいけど、色々な人と話をしたり、誰かの役に立ったりするのが好きなんだって。


 でも未遊は、もっと大きな理由があることを知っている。彼女は、


(家にいたくないんだ)


 正確に言うと、未遊と顔を合わせていたくないんだ、と思う。


 未遊は母親の、実の子供ではない。もともと母親の妹の子供なのだ。

 妹の旦那さんはハーフで、背が高く、たくましいハンサムボーイなのである。

 つまり未遊の父親はってこと。


 そもそも二人の姉妹は年子で、子供の頃から比べられることが多かったらしい。

 よくあるパターンで、一歳差なのに、姉は色々我慢させられ、妹はワガママにすくすく育った。


 先に結婚したのは、姉。

 妹も次の年に結婚した。


 子供が先にできたのは、妹。

 旦那さんの異国の血の影響もあって、生まれた子供は、それはそれは可愛い、お人形のような子供だったと言う。

 行く先々で声を掛けられ、可愛がられた。


 妹は暫くして、また妊娠した。

 それから、やっと姉も。


 だが姉の子供は逆子で、色々やってみたけれど、妊娠三十六週を過ぎても、自然には治らなかった。


「逆子であったとしても、帝王切開すれば問題ないよ」


 そう言ってくれる友人もいたし、病院を紹介してくれる人もいた。

 夫は優しかったし、自分の両親も、夫の両親も、色々気遣ってくれた。


 でも、


「逆子の子供は危ない」

「大きなリスクがある」

「帝王切開は出産とは呼べない」

「子供に障害が残ることもある」


 なんて、無責任に書いてるネット記事を読み、姉は不安を抱えた。


 ネットに書かれていることなど、いちいち気にしていてはダメ、なんて言われると、その時はそれを納得するのだけれど、気になって読み出すと、それはそれで不安を煽られ、姉は一時期、


「ネット検索は止めておいた方がいいですよ。強制的に、周囲に規制してもらったほうがいいでしょう」


 と病院の先生に言われたほどだった。


 結局ノイローゼになった姉は流産し、二度と子供を産めない身体になってしまった。

 そして、同時期に生まれた妹の子を、養子にもらったのだ。

 それが、未遊。


 だから未遊には生まれたばかりの時、姉がいた、らしい。

 本当に、一瞬だけ。


「わざわざ子供に本当のことを言って、混乱させなくてもいいだろう」


 ということで、子供の未遊に真実は語られなかった。

 中学生か高校生に上がる頃、本人が落ち着いたら、話そう。

 そんなふうに、両親は話し合っていたらしい。


 だが、好奇心旺盛な未遊は小学校に上がる前から、


(なんでお父さんにもお母さんにも似ていないのだろう)


 と、思い始めていた。

 正確には、両親ともいかにも日本人、といった顔立ちなのに、自分は明らかに西洋人的な血を濃く感じる顔立ち。


 なぜ?


 疑問に思うと、どうしても理由を知りたくなってしまうのは、昔から変わらなかった。

 未遊は両親に直接、尋ねるのではなく、周囲から調べ上げ、証拠を突きつけ、とうとう、


「あなたの本当のお母さんは、私なの」


 本当の母親である姉妹の妹から、真実を聞いたのだった。

 姉は、勝手に話した妹にも怒ったし、周囲を聞き回った未遊にも、不快感をあらわにした。

 一時期は、妹の家に未遊を、『戻す』 ことも考えたらしい。

 だが、そうはしなかった。


「ねえ、お母さんって、本当の赤ちゃん、わざと流産したの?」


 確か、ノイローゼになっていた頃の、母親の日記を盗み読んだ記憶がうっすらある。

 家族とはいえ、他人の日記を読むだなんて、非常識過ぎて、今なら内緒にしておきたいところだが、当時の未遊はまだ、子供だったから。


 なんで? どうして?


 幼い未遊は、その疑問を飲み込むことができなかった。

 その質問に、母親は大きな動揺を見せ、


「馬鹿なことを言わないで!」


 叫んだ。

 それから未遊を抱きしめ。


「もう二度と、誰にも、そんなことを言ってはダメ。ねえ、約束よ」


 甘い声で懇願した。

 明らかにそれは、未遊の疑問が真実だと、肯定しているかのようだった。

 子供でも、そう思うほど分かりやすかった。


「お父さんにも言わないで」

「お願いよ、未遊」

「なんでも買ってあげるから」




「あーあ、不方くんに言っちゃった」


 内緒にしてね、と笑魔に言うと、彼はあまり興味がなさそうに眉を動かしただけだった。

 言ってみれば、何だそんなこと。


 いやもちろん、未遊の母親にとっては今でも、この話は絶対タブーなのだけれど。

 なんだか言ってしまったら、スッキリした。

 気が軽くなった。

 自分勝手な話かもしれないけれども。


「それ以来、お母さんは私に、なんでも好きにさせてくれるの。ゼロ点の解答用紙を見せた時も、『次は頑張ってね』って言っただけだった」

「構ってほしかったのか? 子供だな」

「小学生の頃の話だよ」

「その好奇心に、後悔してるって?」

「ま、私が好奇心のない子供だったら、もうちょっと普通の家族になっていたかも、とは思うけど」

「普通の家族」

「不方くんの家も、ちょっと変わった感じだったよね。や、変な意味じゃないよ。仲良さそうに見えたし」

「家族なんて言うのは、これでもないほど閉鎖的な単位だからな。どの家族にも、他から見たら変なところとか、変わった常識があるもんだと思うが」

「たしかに、私のとこも……本当は、その程度のものなのかもね。ウン。それに、現状に不満はないんだ。言えばなんでも買ってもらえるし。と言っても、私、おしゃれに興味あるわけじゃないし、お金かかるような趣味もないから、たまにお金を貰って美味しいもの食べるくらいだけど」

「いいな、肉」

「にく……。今度、焼肉でも行ってみようかな?」

「そうしよう」

「え、一緒に行く気なの?」

「呼んでくれればいつでも行くが?」


 肉ならば。


 彼は言う。

 素直過ぎる。

 未遊は笑ってしまった。


「よほど好きなんだね、肉」

「ああ。美味いからな」

「それは否定しないけど。……でも一つ、後悔してるとしたら、私があんなこと、言わなければ、お姉ちゃんが戻ってきてたのかもなあって」

「お姉ちゃん?」

「私があんな質問をしなければ、私は元の家に戻されていたかもしれないんだ。妹も生まれたらしくってさ。『実家』 ではね。でも、会ったこと、ないんだよね。お母さんは会いに行きたがらないし、一度、お父さんが、『行ってみるか』 って言った時、すごくヒステリーに怒っちゃってさ。今は親戚から隔離状態。だから、ウチではその話、厳禁なの」

「そこは、好奇心が働かないのか」

「うん。会いに行くのはカンタンだけど、またなにか、ややこしくしたら困るからさ。だから、その好奇心を、今はオカルトに向けてるのかもなあって思うこと、ある。もともと好きだったけどね」


「一つ、面白い話を聞かせてやろう」

「ん、なあに?」

「俺の親戚に、メアリーおばさんという人がいた」

「外人さん……?」

「おばさんの家の近くには、誰も近づこうとしない、危険な底なし沼があった。おばさんは、それが本当に底なし沼なのかどうか、気になって仕方なかった。ある日、どうしても確かめたくなって、おばさんは素っ裸になると、沼へと飛び込んだ。通報を受け、駆けつけた警察官が見たのは、ただの浅い沼で泥遊びをするおばさんの姿だった。裸だったおばさんは、とりあえずしょっぴかれて話を聞かれることになったが、警察署に向かう途中、パトカーが事故に巻き込まれ、ぽっくり逝ってしまった。おじさんは保険金を得、更に警察と、事故の相手になった大きな企業を相手に裁判の末、金をがっぽりせしめ、妻の死を悲しみながら、楽しく余生を送りましたとさ。ちゃんちゃん」

「え、なにその話。アメリカンジョーク的なやつ?」

「当人にしか分からないことなど山ほどあるって話だ」

「ああ、そういう……や、待って。それってさ、おじさんがけしかけたんじゃないの? あの沼は、皆は恐れているけれど、本当はただの沼なんだよ。嘘だと思うなら、お前、入ってみたらどうだい。もし本当に底なし沼だったら、俺がすぐに引き上げるからさ! って言って。引き上げてもらうことになった時、楽だから裸で入ったんじゃない? そうでもなきゃ、そんな場所で、最初から裸になるかな? 実はおじさんには殺意があって、底なし沼に嵌ると思っていた。でもそれが無理だったから、事故に見せかけて……」

「裁判までやっているということは、事故については、かなり詳しく調査されたはずだ。素人がそんな細工をできると思うか?」

「でも、かなり前に起きた事故ってカンジでしょ? 今みたいに細かく調査できてない時代なら、あり得るんじゃないかな。あ、こういうのは? おじさんは沼の主を怒らせると分かっていて、おばさんを沼へけしかけた。怒った沼の主に、おばさんは事故として殺されてしまった。こういう場合、おじさんは無罪になるのかな……」

「底なし沼と言っても、方法さえ知っていれば抜け出せるものもある。誰かに引き上げてもらうより、その方がずっと現実的だ。彼女はその方法を知っていたのかもしれない。沼の近くで裸になったのなら、それを着て帰るつもりだったのだろう。ただ、普段は誰も近づきたがらないのに、たまたま誰かに見られて、通報され、思ったより早く警察が来てしまった」

「あー、確かにそういうのもありえるのか……。その場合、おじさんは何にも関与してないんだよね? ホントのところはどうだったの?」

「さあ。結末は、さっき話した以上はない。真実は本人たちにしか分からない。ここで分かっているのは、おじさんにとって、人生はいいものだったようだってことだな。最愛だったかもしれない妻を、事故で亡くした以外は」

「うーん……」

「表面上の話を聞いてみたって、当人以外が分かることなど、ほんの一握りだ。結果は結果でしかない」

「あーそうかもね……」

「そもそも、どうしてメアリーおばさんは、そんなに底なし沼かどうか気になったんだろうな?」

「え、ただの好奇心じゃないの?」

「底なし沼から抜け出せる方法はあるが、危険な場所であることに変わりはない。そんな場所に、好奇心だけで飛び込むと思うか?」

「うん? 私だったらやっちゃうかも」


 笑魔は、決まりが悪そうに笑って頭を掻く未遊の顔をまじまじ見てから、小さくひひひ、といつものように笑った。



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