第34話 欲望4




「ほう」


 放課後の美術室で本を読んでいると、笑魔がやってきた。

 昨日、老婆に追いかけられた体験話を話すと、彼は興味深く、それを聞いてくれた。


「それで、下村先輩の方はどうだったの?」

「どう?」

「昨日、話を聞きに行ったんでしょう? たぶん昨日、私が会ったおばあさんと同じ話だよね」


 笑魔が頷く。


「だろうな。老婆を見かけたという人物を紹介された。やはりスコップを持ってふらふらしていたらしい。彼女に直接、話を聞いたが、君の話のほうが興味深かったな」

「そうなんだ」

「しかし、不思議だ」

「不思議?」

「なぜ老婆はスコップを持っているんだ」


 笑魔の疑問に、未遊は顎に手を当て、考え込んだ。

 言われてみれば、確かに。


「杖の代わりなんじゃないかな?」

「スコップは重い。安定感もない。足が悪い人間の杖の代わりになると思うか?」

「うーん……でも、武器としては強そうかも!」

「スコップ振り回して追いかけてくるのは、老婆にしては元気過ぎる」

「そうだね。昨日の感じだと、あんまり足の悪さは感じなかったかな」


 あんなに元気なら、新しい足なんか必要ないんじゃないかな、と思えるほどだ。

 というか、今の今まで、老婆の足が悪かった話など忘れていた。


「怪異になった時、元気になったとか? それでも足が欲しいのかな。まあ、そもそも普通に幽霊になったら、足を欲しがったりしないか。幽霊は足、ないもんね」

「……そもそも死んでないんだ」

「うん?」

「昨日、教えもらった家。君も行ったんだろう?」

「あの一軒家? 不方くんも行ったの?」

「ああ、行った。そして昨日、調べてみた。あの家で事件は起きていない。殺人はもちろん、傷害事件も」

「え?」

「あそこに住んでいた母親は、今でも生きていて、施設で生活しているらしい。息子の方も、今は仕事の関係であそこに住んではいないが、生きている」

「じゃあ、私を追いかけてきたおばあさんは、誰? 全然関係ない人?」

「そういうことになるな」

「でも、おかしいよ。私が見たおばあさんは、ちゃんとあの家に帰っていったもの」


 そう。

 昨日、未遊は襲ってきた老婆の後をこっそり追いかけてみた。

 すると彼女は背を丸め、シャベルを引き摺り、疲れた様子で、確かにあの家に入っていったのだ。

 門を開けて、中へ。


「家に入っていったのを見たのか?」

「それは見てないけど……門の中に入っていったの、見て、その後、前を通ったけど、誰もいなかったよ」

「庭に入っていったのかもしれない」

「確かにそれはあるだろうけど……ねえ、不方くんの情報は、どこから? どうやって調べたの? 信憑性ある?」

「ある。母親が生きているうちは家を売れない、と帰ってきた息子さんと話をしたらしい。隣の家の奥さんが」

「あの、お隣さんの人から聞いたの?」


 確かに隣の家は古くからあるようだったし、そこに住んでいる人となると、いかにも地元の情報に詳しそうではある。

 だが普通、見も知らない人に、隣の家のプライベートな事情を教えてくれるだろうか。


(そうか……普通じゃないんだった)


「こういう場合、ご近所の人から話を聞くのは最もてっとり早いし、女性は色々な話を教えてくれる。嘘を教えられたことは、今まで、ほぼない」


 笑魔は当然のように言うけれど。


「ん~、そーだよねえ」


 確かに笑魔のビジュアルがあれば、大抵の女性は口が軽くなるかもしれない、と未遊は思う。

 不審な人間だと疑いたくないイケメンぶりだもの。


 イケメンと話ができるだけで、テンションが上がる人も多いだろうし、女性は年齢に関係なく、大抵の人は好きなものなのだ。きっと。イケメン。程度の差はあれども。

 未遊はあまりそういうことに興味がないけれど、それでも、もし人相の悪い人とイケメンが違う証言をしていたら、イケメンの方を信じてしまうかもしれない。


「だとしたら、どういうことだろ?」

「それを確かめるため、今日も行ってみようと思う」

「そうなんだ……」

「行かないのか?」

「ん~……昨日のこと、結構ショックで」

「老婆に追い回されたのが、怖かったのか」

「違うよ! いや、怖かったけど。でも、ショックだったのは、別のこと。私、好奇心が旺盛で突っ走ることが多いんだけど、昨日はそのせいで、江利くんに怪我させちゃったから……」


 江利剣人は、今日は病院に行ってきたとかで、学校に遅れてやってきた。

 で、朝から、未遊と視線を合わせようとしない。

 昨日のことを謝ろうと思って、話しかけようとしても、避けられているようで、すっと他のところへ行ってしまう。

 ちょっと足を引き摺りながら。そうまでして。


(もともとそんなに喋ったことなかったけど……)


 でも昨日、公園で、暫く二人で喋って少しは仲良くなったつもりだったから、避けられているのが少し寂しくはある。


(怒っているんだろうな)


 謝りたい気持ちはあるけれど、向こうが顔も合わせたくない、ということなら、それはそれで仕方ないかな、とも思う。


(それに昨日、あんなにビビってたし……)


 前日、女性を老婆から救った、みたいな話をしていたから、あまり気にしないでいたけれど、昨日のビビりっぷり。

 剣人はかなりの怖がり、なのかもしれない。


(もしくは、オカルト話が苦手、とか)


 だったら、なんでS沢KNの話を聞きに行きたい、なんて言い出したのか。

 老婆の話も教えてくれたし。


(家の近所に老婆が徘徊してるって話を私にしたかったけど、そんなに接点がなかったから、まずはそのキッカケとして、S沢KNの話を聞きに行ってくれたのかな……?)


 まあ、昨日のアレは、


(怖がりの人じゃなくても、確かにトラウマレベルかもしれないなあ)


 スコップを持った老婆に追いかけられ、人気のない暗い団地の中を逃げ回るなんて、滅多にできない体験だ。

 今、思い出しても背筋が寒くなる。


(あんな目に遭わされたら、確かに関わりたくないって思うのが、普通の感覚なのかもしれない……)


 普通なら。


(江利くんのハサミは、後で机の中にでも入れておいてあげよう……)


「俺は一人でも行くが」


 笑魔が席を立つ。

 未遊はそれを、ただ見上げた。


「気をつけてね」

「ひひひ」

「なにか分かったら、話……」


 聞かせてね。

 そう言おうと思ったけれど、笑魔は、話が薄まるから、という理由で話してくれない気がした。


 そもそも自分で行きもしないで、話だけ後で教えてね、なんて。


(私らしくない) 


 それは分かっているけれど、そういうこともあるさ、という気持ちも少しある。

 気が乗らないということは、誰にでもある。


(でも……)


 今ではない。

 それはそう。


 美術室を歩き去る笑魔の背中を、ただ見送る。


 そもそも未遊は、何故こんな、好奇心を。

 抱えているか。


 未遊は立ち上がると、笑魔を追いかけた。

 彼は廊下ですぐ見つかり、


「私も行くよ」


 だって、気になるもの。

 老婆の正体とか、これから、どうなるのか。

 この話の、結末。


 後ろから声をかけると、笑魔は、


「そうか」


 と、言っただけだった。

 人に話すことにより、怪異を薄めることができる。

 それはなにも、怪異に限ったことじゃなのではないか、と未遊は思う。


 これもまた、好奇心。


「ねえ、ついでに……オカルト話じゃないんだけど、話、聞いてくれる?」


 隣を歩く笑魔に尋ねると、彼は未遊をちらりと見てから、頷いた。


「私の、家のことなんだけど」


 笑魔が今、どこに向かっているのかわからないが、行き先は彼に任せて、未遊は話を始めた。



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