第30話 きい、きい6
「ひどい体験だった」
帰り道は、皆で身を寄せ合うようにして帰った。
誰もが言葉少なめで、ぐったりと疲れていた。
それでも、疲れているだけで、ちゃんと皆、中身は無事だと未遊は信じている。
それもこれも名前も知らない、どこかの大学教授のおかげだ (あと、話しておいてくれた笑魔のおかげもある。たぶん)。
笑魔だけが、やたら満足げで、希那子は、その場にいなかった。
彼女は開いた窓から風に煽られ、外に飛び出し頭を打ったとか、足を捻ったとかで、とりあえず保健室に行くと言っていた。
S沢KNと名乗っていた女子も、一緒に行くらしかった。
向こうの学校の先生が付き添って、責任を持って家まで連れ帰ってくれると言う話だ。
外はもう暗くなり始めていて、
「貴方がたは早く帰りなさい」
と言われ、その言葉に甘え、先に帰ることにしたのだ。
(窓を開け、風が室内に吹き込んできたのに、外に飛び出すことなんてあるのかな?)
気温差や気圧差があったわけでもなかったと思うけれど。
なんなら、外は風なんか吹いてなかったようだけど。
未遊はちょっとだけ疑問に思ったけれど、それを口に出すのは止めておいた。
あの時、現場はとにかく混乱していて、風がどっちに吹いたかなんて、覚えていない。
でも、もうそんなのはどうでも良かった。
少なくとも、今日は、もういい。
彼女も、珍しく疲れていた。
それに、もっと気になっていることも、あって。
それで、駅で皆と別れた後、笑魔のことを追いかけた。
駅前の道は混んでいたけれど、笑魔は背が高いし、目立つ。
すぐに追いついた。
「ねえ、不方くん。さっきの話、訊いてもいい?」
商店街の端の、ちょっとした路地裏の入口で、二人は立ち止まった。
「さっき?」
「あの時、誰かと話してた……よね?」
風が吹く、直前。
未遊は好奇心から、どうしても目を開けてしまった。
堪えきれなかったのだ。
部屋には、見慣れないものは、なにもいないように見えた。
ただ、部屋の真ん中には笑魔が立っていて、彼は、誰かと話しているように見えた。
声は聞こえなかったけれど。
相手も見えなかったけれど。
でも、なんとなく話しているように見えた。
笑魔は未遊の顔を見て、ちょっとだけ考えて、から。
笑った。
「ひひひひひ」
笑魔の整った顔面から漏れ出ているとは思えない笑い声だ。
未遊にとっては、もう何度目か、だけど。
「楽しそうだね。まあ、無理に聞こうとは思わないけど」
「べつに」
「気が向いたら今度、教えてよ」
未遊はそう言って、笑魔をその場で見送るつもりだった。
帰り道は逆方向だったし。
でも。
笑魔は、歩き出そうとせず、ちょっと間を空けてから。
「怪異も、人と一緒なんだ」
ぼそっと話し始めた。
「え?」
「話すことで、薄めてもらいたいことが、あることもある」
「そうなんだ……」
つまりあの時、笑魔はA子の話を聞いてあげていたんだろう、と未遊は思った。
そのおかげで、A子は少しくらい、楽になったのだろうか。
生前、どんな人間だったかは分からないけれど、それでも、何十年経って、まだ見つけてもらえず、彷徨い続けているのは、辛すぎる。
願わくば早く見つかって、後はゆっくり休んでほしいと思うけれど、現状で、今更、彼女を見つけることは、あまり現実的ではないように思える。
そんな彼女のために未遊にできることなどない、と思っていたけれど、そうか。
話を聞いてあげるだけでも、少しくらい楽になったりすることもあるのか。
人間と同じように。
そんなことを考えていた未遊の心を見透かしたように、笑魔は鼻を鳴らした。
「馬鹿なことは考えない方が身のためだ」
「うん?」
「話すことで拡散し、薄まることもあれば、話すことで呼び寄せることもある。時間が解決することもあれば、同じことをぐるぐる考えながら煮詰まって、結果、感情が自分で制御できなくなることもある」
「聞いてあげたんだよね? 不方くん」
「集めているからな。そうでなくても、濃厚なオカルト話を背負うのは、好きだ。ひひひ」
「そっか」
「だが、濃ければ濃いだけ、取り込まれる可能性も高くなる。背負うリスクも高くなる。怪異同士、世間話しながら茶ァを飲むわけでもなし、たいてい、奴らの話は自分勝手でドロドロだ。だから、話を聞いてやろうなんて、思わないことだ」
「そういうもんなのかあ」
「俺は、呪われようがどうしようが、気にならない性質なんだ。丈夫が取り柄ってな。……じゃあ」
笑魔が背を向け歩き出し、未遊は今度こそ、それを見送ろうとしたけれど。
「ねえ、不方くん」
未遊の声に反応し、笑魔は首だけで振り返った。
とても、面倒臭そうな顔を隠しもしない。
だから未遊も、堂々とそれを無視できた。
「もし、不方くんが聞いて欲しい話、あったら、私が聞いてあげるね」
「ああ?」
「煮詰まってても、ドロドロでも。一人じゃ背負えなさそうなヘビーなやつでも。あったら」
「物好きだな」
「だって……興味があるからさ! 好奇心旺盛なんだ、私」
だからあの時、怖くても目を開けた。
あの音が近づいてくることを恐れながらも、どこかでワクワクしていた。
部屋の真ん中で笑う笑魔と自分は、似ていると思った。
ひひひ、と笑魔は今一度、低く笑うと、今度こそ歩き出し、帰宅する集団に飲まれ、やがて未遊の視界から消えていった。
笑魔の話が本当かどうかは分からない。
笑魔はただ独り言を言っていたのかもしれないし、そもそも喋っていたように見えたのだって、未遊の気のせいで。
でもそんなふうに言われたから、ちょっとだけ面白がって、嘘を言ったのかもしれない。
もしくは笑魔が、そうしたと思いこんでいるだけのパターンもあり得る。
(不思議だな)
そう。
この世界には不思議なことなど山ほどある。
目に見えないものも。
むしろ目に見えないものの方が、多いくらいだ。
(感情とか……)
ちょっとオカルトだよね、と未遊はいつも思っている。
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