第15話 不幸ノート6




「あの人」


 未遊が耳に当てていた電話から、緊張した姫乃の声がした。


 男の人だ。

 姫乃が言っていた通り、スーツの男性。

 たぶん、大きな鞄を背負っている。

 重いのだろうか、リュックの背負う部分を両手で持っていて、相当な早足。


 顔は、だいぶ近づくまで見えなかったけど、うん。

 確かに笑っている。

 というか、ニヤけている。

 普通に気持ち悪い、笑み。


 目が合う。

 未遊とも。


 距離は、微妙なところ。

 でも、向こうは早足だし、悩んでいる間もない。


(どうしたら自然かな……うーん……ええい、勢いよくいっちゃえ!)


「きゃあ!」


 未遊はなにもないところでよろけたふりをして、大袈裟に声を上げると、すれ違った男に向かって勢いつけ、身体を捻った。


 どすん、と大きめの衝撃。


 未遊は跳ね飛ばされて、道路へと転がった。


「わ!」


 男の方も尻餅をつく。


(やっぱりこれ、普通の人間だよねえ)


 未遊がそんなことを思いながら、体勢を立て直そうとしている、と。


「なにすんだ!」


 地面についた手を、強い力で掴んで、引っ張られた。

 見れば、件の男である。


 彼はひどく怒った顔で、未遊を睨みつけていた。

 さっきまでニヤけていたのが、嘘みたいな剣幕。


「す、すみません。私、よろけちゃって……」

「イヤホン飛んでっちゃったじゃないか! 探せよ! 今すぐ!」

「え、イヤホン?」

「早く! さっさとしろ!」

「こんな暗い中で?」


 かなり勢いがついていたから、ぶっ飛んだとしたら、捜索範囲はかなり広くなるだろう。

 小さいものだし、どっちの方に飛んだとも分からないし、もし本当に探すとしたら、明日、明るくなってからじゃないと無理だ。

 部分的なライトなんかじゃ、絶対無理。

 最悪、側溝とかに落ちてしまったら、昼間探したって見つかるわけないし。


 だが男は、


「今すぐだよ!」


 ヒステリーに怒鳴る。

 どうやら、よほど大切なものだったらしい。


 というより、


「トリントン茜ちゃんの生配信が始まっちゃうだろ!」

「え、誰?」

「はあ? 知らないとか非国民過ぎるだろ! とにかく、今すぐ探せってば! 彼女の声が聞けなきゃ、生きてる意味なんか、ない!」


 んな大袈裟な、と思うけれど、男は至って真面目みたい。

 掴んでいる手を離してくれないと、探すふりすらできないのに、我を忘れたように怒っていて、未遊の腕をどんどん引っ張っていく。


「痛いですって!」


 普通に痛くて、そう訴えてみても、ぜんぜん離す気がないっぽい。


 大体、イヤホンごときでこんなに熱くなるもの?

 確かにワイヤレスイヤホンは、学生からすると安いものではないかもしれないけれど、社会人のオジサンが、こんなふうに女子高生に怒り散らかすほどのものとは思えない。


 しかも理由は、誰かの生配信。

 確かに推しの声で元気になるとか、その言動を聞き逃したくないとか、そういう気持ちは分からなくないけど、見知らぬ他人に、『彼女の声が聞けなきゃ、生きてる意味ない!』 なんて怒鳴ってしまう社会人には、未遊でも、ちょっとドン引きだ。


 大体、そんなに急いで探したいものなら、自分が率先して探せばいいじゃないか。


 でも、男は、


「早く、早く、時間がない!」


 を、ひたすら未遊へ繰り返すだけ。


 ツバがかかるよ。

 気持ち悪い。


「探すから、離してくださいってば……」


 変に抵抗するのは逆効果だと思うけれど、このままじゃ腕が抜けちゃうよ、と未遊が悲しげな声を上げた。


 矢先。


 ガ……ッ


 未遊とオジサンの隙間に、突如、なにかが差し込まれてきた。


 赤いもの。

 長いもの。

 光るもの。


「え……?」


 未遊はその先を握る人物を、見上げた。


 それは。


 苛立った表情なのか、怒っているのか、もしくは、自信に溢れているのか。

 薄暗い光の加減でどうとでも取れるが、とにかく、笑魔だった。


 低く笑った、不方笑魔。


 間近の下から見上げてみても、とにかく、イケメン。

 男子にはこの方、興味を持ったことのない未遊でも、普通に格好いい、と思う。


 刀を持った、笑魔。


 刀。


(これが、あの袋の中身……? 血を吸って成長する、相棒……!?)


 笑魔が転校初日から大切そうに抱えていたアレの中身は、やっぱり刀だったのか。

 刀身が真っ赤な、刀。

 その赤が外灯に反射して、笑魔の瞳も赤く、燃えているように見えた。


 キレイだ。

 でも、不穏だ。

 なにより、もう抜刀しているのがヤバそう、と未遊は思う。


 ピカピカに光る刀身は玩具のようにも見えるけど、それにしては重量感がありそうに見える。

 博物館でなら本物の刀を見たことがあるけれど、赤い刀身なんてのは初めて見たので、切れ味が良さそうとも、そうでもなさそうとも思えない。


 でも、とにかくそれが、武器であることは未遊にだって分かっている。

 もし本物なら、触れただけで怪我人待ったナシの、日本刀。


(この人、本気でこれを振り回そうとしているの……?)


 銃刀法違反は犯罪だし、何より、これで誰かを傷つけでもしたら、大変だ。


(いや、不方くんは、この刀で数々の怪異と戦ってきたのかもしれないし……?)


 イケメン大好きな女子たちが、そんな噂話をしていたことを思い出す。

 そんな、漫画みたいなこと、と思っていたけれど、実際、笑魔が持っていたのは、本当に日本刀で。


(扱いに、すごく慣れているのかもしれない……?)


 まあ今、目の前にいるオジサンは、ただの人間だと思われるけど。

 ただの、心が狭くて自分のことしか考えていない、自分勝手なオジサン。

 それに対し、抜刀しているってのは、どういうこと?


「不方くん……!」


 さすがにたじろいだのか、掴んでいた手が緩んで、未遊はなんとかオジサンを振り払い、脱出に成功した。


 自然と笑魔の方へ身を寄せる。

 けれど。


「な、何だ、お前は!」


 オジサンは笑魔を警戒し、後退しつつも、今度は笑魔に対し、歯をむき出しにして唸る。

 だが笑魔の方も、尋常とは思えない目で、にやあ、と笑って返した。


「ひひひ、ちょうどいい獲物だ。お前は俺の妖刀、ササメの錆にしてやるよ」

「え、妖刀? なに言ってんだ……?」

「今宵のササメは、血に飢えているぞ」


 なんだかどこかで聞いたことのあるようなセリフだ。主に、時代劇方面で。

 でも今は、ぜんぜん笑えないのだけれど。

 だって、笑魔は明らかに興奮し、息遣いが荒くなっているみたい。


 未遊は思わず、笑魔からも間を置くように、あとずさりした。


(まさか何処かから持ち出した本物の刀を、使ってみたくてしょうがない、とか、そういうんじゃないよね?)


 まさか、そんな。



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