第4話 『見初め』
火葬と散骨の狂気の祝宴が終わっても、村の空気はどこまでも澄んでいた。
それがかえって、肌に薄気味悪さを貼りつかせる。
早朝、私は荷物をまとめ、村を出る前にもう一度だけ、遺族に礼を述べておこうと家屋へ向かった。
家の前には、両親が立っていた。
二人とも、昨夜と同じく喪服姿のままだが、表情はひどく晴れやかだった。
「昨日は……参列させていただいて、ありがとうございました」
そう頭を下げると、母親が小走りで近づき、私の手をぎゅっと握った。
「そげな礼、言わんでええんだべさ。絵里も、ようやっと嫁がれだんだ。あんたさんも一緒になって祝ってくれて、ほんにありがとさま」
「……いえ、私はただ取材で――」
「ありがとねぇ……ほんに、ありがとねぇ……」
母親は何度も何度も頭を下げた。
まるで私が娘の結婚を成功させた恩人であるかのように。
父親も笑顔で続ける。
「絵里の晴れ舞台、見届けてもらえて……わしらぁ幸せもんだべ。ほんに、ほんにおおきに」
私は返す言葉を失った。
よく見ると、その背後では、辰雄が地面に立ったまま、穏やかに笑っていた。
昨日まで激昂し、泣き叫んでいた男の顔は、今は澄んだ表情に変わり、光を受けて柔らかく輝いている。
「絵里……おめでとう……ほんに、よう嫁いでいけよ……」
口元に笑みを浮かべ、両手を軽く打ちながら、村人たちの祝辞に合わせている。
その姿は、昨夜の怒りや悲しみなど微塵も残さず、まるでこの村の空気に完全に馴染んだかのようだった。
私は背筋にぞくりとしたものを覚えた。
死者を送り、村人たちと共に祝う――その“温もり”に、辰雄までも取り込まれていることが、言いようのない不気味さを帯びていた。
私は軽く頭を下げ、その場を離れ、村長を探して裏手の庭へ回った。
――――――
村長は箒を手に持ち、庭の掃き掃除をしていた。私の顔を見るなり、皺だらけの目を細める。
「ほう、帰るんか……まぁ、よう見ていってくれだな。絵里ん葬式、あんたの目ぇで見届けてもろうて助かったわ」
「こちらこそ……参列の許可をいただき、ありがとうございました」
私は頭を下げたが、村長は「いやいやいや」と手を振りながら、何度も何度も礼を言った。
その過剰な感謝がかえって重たく、背筋がひやりとした。
「……あの、辰雄さんは大丈夫なんですか?」
尋ねると、村長はふっと目を細め、遠くで地面に立ちながらも晴れやかに笑っている辰雄の方を見やった。
「ああ、辰雄くんは、神様に見初められだんだよ」
「……見初められた?」
「そうよ。神さまにな。この村ぁ、代々、神さまに見初められたもんが住み着いて、やがて嫁や婿になっていぐ村なんだ」
村長の声は、どこまでも穏やかだった。
「そもそもな、絵里のおっかぁもよそもんだべ。この村さ嫁いで来た頃は、葬式で祝うっつうのがどうにも受け入れらんねぐて、気味悪がってだっけ。でも、ある日な――ぱたりと変わった」
「変わった?」
「うむ。神さまに見初められだんだべさ。ほいで“これがほんとの祝いごとなんじゃ”って、よう笑うようになったんだわ」
村長の笑みが、ゆっくりと湿った。
「絵里はのう……なかなか見初められねぐてな。わしら、ずっと心配してだんだ。他の子は皆すぐ神さまの目ぇかけられるのに……絵里だけは、ずっと“呼ばれねぇ”まんまだった。可哀そな子だと思ってだ」
私は言葉を失った。
「ほじゃけん、今日の葬式はの、ほんまに……村中が喜んどったんだよ。やっと嫁げたけぇ。あれは祝うてあげにゃ罰が当たる。あんたも見ただろ? あの歓声も拍手も、全部……祝福だべ」
村長の目は濁った琥珀のように光り、その奥底で何かが揺れていた。
私は胸の奥がざわりと波立つのを感じた。
この村で死ぬというのは、結婚すること。
この村に長くいるというのは――神に選ばれること。
「そういや、絵里は事故に遭った時、笑っとったんだべよ」
「……笑って……?」
「おお。運送トラックに撥ねられたんだよ。運転手も逮捕されとる。運転手が言うには、事故の直前、あの子、笑っとったそうじゃ」
「……事故の直前に?」
「うん。神さまのとこへ嫁げるんだべさ、そりゃあ嬉しい思いするのも当然だべ? わしらも安心したんだよ。“あぁ、ようやっと見初めてもろうた”ってな」
狂気めいた愛情の混ざった声だった。
「それにのう、事故だゆうのに……綺麗だったろ? 化粧も映えて、まるで嫁御そのものだべ。神さまに呼ばれた子は、ああなるんだよ」
村長は恍惚とした表情を浮かべた。
ふと思い返す。昨夜、棺に納められていた絵里の顔は、確かに異様なほど整い、美しかった。死者の硬い肌のはずが、どこか柔らかく、温いようにすら見えた。
村長は竹箒の先で地面を叩き、落ち葉を払う。
「この村のもんは皆そうだべさ。神さまに見初められだで、この村におるんだ。皆いずれ、神さまの嫁、婿になる運命だべ。外から来た者は、ときに神さまの目ぇに留まりよる。気に入られたら最後だべな。心ぁすぅ……っとほぐれてな、気がつけば村の暮らしになじんで、ほれで、そのうち嫁入り、婿入りするんだ」
私は寒気のようなものが背骨をなでるのを感じた。
「……それじゃあ、辰雄さんも?」
「辰雄くんも、そのうち移り住むべな。あんた、見ただろ? あれもそのうちここで婿入りするんだべ」
まるで恋人に呼ばれたかのような調子で、村長は言う。
私は思わず喉を鳴らした。
「……あの……私は……」
「心配せんでええ。あんたさんは、まだ神さまに気に入られとらん。ほれに、今日どこぞへ帰るんだべ?そしたら問題あらへん。ここを離れりゃ、神さまの目ぁ届かん」
その言葉には、妙に現実味があった。
「……そう、ですか。では……失礼します」
村長は穏やかに手を振った。
「ほな、気ぃつけて帰り。また来たくなったら、いつでも寄りなされ。神さま、気に入るかもしれんしなぁ」
最後の一言だけ、妙にじっとりとした響きを残した。
村長に最後の礼を言うと、私はすぐに車に乗り込み、エンジンをかけ、そのまま村を後にした。振り返ることはなかった。
あの池で、骨壺が沈んだ時に聞こえた鈴の音が、
まだ耳の奥で、かすかに震えていた。
――ちりん。
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