第2話 「贈り物への拒絶」ホーネルビーの警戒

 交渉人の仕事は、いつもうまくいくことばかりではない。

 森の空気は、今日はいつもよりも重く、吹き寄せる風もどこかよそよそしかった。


――今日の交渉は、簡単には終わらない。リオには、そんな予感がしていた。




 川辺での一件から、数日が経った。

リオの腰には、小さな巾着袋が結わえられている。その中には、サラマンダーが残していった“赤い薄皮”のかけらが入っていた。

 指で触れると、ほんのりと暖かく、けれど暑くはない。不思議と体温に寄り添うように、じわりと温度が均される感覚がある。


――これは、魔物からの返礼品。


 交渉人のあいだでは、そう考えられている。贈り物を受け取った魔物は、人を傷つけないだけでなく、ときどき“返礼”を残していくことがある。それは爪であったり、魔力の結晶であったり……。


 今回は、サラマンダーの薄皮だった。

温度変化に強く、暑さ寒さを感じにくくなるという、不思議な効果つきだ。


 半分は、鍛冶屋のガランさんに売った。銀貨十五枚。リオがひと月を暮らせるほどの額である。


「……こんな値段になるなんて、正直びっくりだな」


 リオは手の中の、残り半分の薄皮を見つめた。この部分は自分の装備に仕立て直し、今後の仕事に使うつもりだった。

鍛冶屋のガランさんは、こう言っていた。


「サラマンダーの皮はさ、熱にも寒さにも強いんだ。手袋にしてもいいし、靴の裏に貼ってもいい。とにかく、大事に使えよ」


 リオは嬉しさと、少し胸が熱くなるような気持ちを抱えたまま、村を出た。



 

 その日の依頼は、村と森の境にある古い大樹だった。


 蜂の魔物――ホーネルネビーの巣がある場所だ。


「最近ね、蜂蜜の量が減っちゃってさ。巣の入口が狭くて、あの子たち、出入りしにくそうなんだよ」


 依頼主の、老木こだちの番人・シサ婆さんは、細い杖をつきながら説明してくれた。


 ホーネルネビーは人を刺さない魔物だが、巣の近くで大きな音を出す者には容赦がない。

 リオの仕事は、「巣の入口を広げ、彼らが快適に暮らせるよう整えること」だった。


「これ、持っていきな。贈り物にちょうどいいから」

 

 シサ婆さんが渡してくれたのは、小瓶に入った花粉団子だった。ホーネルネビーの大好物である。




 森の中は、朝露が光り、小鳥の声がこだましていた。ほどなくして、大きな木――太い幹に、ぽっかりと空いた穴が目に入る。

 リオは木の前で立ち止まり、そっと声をかけた。


「こんにちは。村から来ました。あの、花粉団子、持ってきてます」


 穴の奥から、ふわりと金色の光が舞い上がった。ホーネルネビーだ。

 蜜色の羽と、琥珀のように透ける体。人の拳ほどの大きさで、静かに空中に留まっている。


 リオは腰を下ろし、花粉団子の小瓶を地面に置いた。瓶のふたを開けると、甘い香りが周囲に広がる。


――大丈夫。


 リオは、ホーネルネビーの反応をきちんと確かめる前に、外套を脱いだ。小刀を取り出し、巣穴の縁へと手を伸ばす。


「入口、ちょっとだけ広げるね」


 刃が、木の表皮に触れた、その瞬間


――ぶんっ。


 鋭い羽音が、空気を震わせた。金色の光が一斉に揺れ、ホーネルネビーたちが距離を取る。


――やば。


 胸の奥に、ざらりとした違和感が走った。甘い魔力は消え、代わりに、硬く閉じた感情が伝わってくる。


 “警戒” “ 不快” “ 拒絶”


「……あ」


 リオは、はっとして手を止めた。

贈り物は置いた。

 だが――受け取ったかどうか、ちゃんと見ていなかった。


 サラマンダーのときは、違った。相手の反応を待ち、感じ取り、それから動いたのだ。


「……ごめん。先走った」


 リオは小刀を地面に置き、両手を膝の上に戻した。胸の奥に意識を沈める。


 羽音の震え。 空気の張りつめ。ホールネビーから伝わってくる。

 “拒絶”


「削らない。勝手なこともしない」


 リオは、落ち着いた声で言った。

 しばらく、沈黙が流れる。森の音だけが、やさしく戻ってくる。


 やがて――

 一匹のホーネルネビーが、そっと地面に降りた。花粉団子に、ちょん、と口をつける。淡い金色の魔力が、再びリオの胸に触れた。


「……ありがとう」


 リオは、今度こそ慎重に、小刀を取った。刃を入れる前に、魔力の揺れを確かめる。


 拒まれていない。木の表皮を、ほんの少しずつ削る。深く傷つけないよう、呼吸を合わせるように。


「……こんな感じで、どう?」


 巣穴は、ひとまわりだけ広くなった。

すると、柔らかな風が起こり、ホーネルネビーたちが忙しそうに出入りを始める。


 数匹が、リオの肩や腕に、ちょこんと止まった。刺す気配はない。ただ、羽を震わせている。


 巣の奥から、一匹が丸い塊を転がしてきた。手のひらサイズの、琥珀色の蜜球だった。


「……これ、“返礼”だよね」


 リオは両手で受け取り、頭を下げた。




 村の入口で、シサ婆さんが待っていた。


「どうだった?」

「……最初、ちょっとやらかしました。でも」


 リオは蜜球を見せた。


「ちゃんと、話はできました」

「それなら十分さ」


 シサ婆さんは、やわらかく笑った。

 贈り物は、渡すことが大事なんじゃない。受け取られることが大事。


 リオは胸の中で、そっとその言葉を繰り返した。


 赤い薄皮と、金色の蜜球。それらを布に包み、明日の依頼の準備を始める。

 森と、川と、人の暮らし。その狭間を歩く日々は、まだ続く。

 今日の交渉で、リオは一つ、はっきりと気づいた。



――すべては、贈り物から始まる。

 だが、贈り物は、渡した瞬間に終わるものではないと。

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