魔物交渉人リオ—贈り物がつなぐ世界で
@habahiro
第一章 紡ぐ日々
第1話 「交渉人として歩く日々」サラマンダーとの絆
世界には、不思議な決まりごとがある。 たとえば——魔物は“受け取った贈り物の主”には、決して手を出さない。 理由は誰にもわからない。昔の魔法か、古い契約か、ただの迷信か。人間も魔物も、それを深く考えなくなって久しい。ただ、贈り物は、溝をつくらないための“最初の一歩”として、今でも使われ続けている。
そんな風習があるからこそ成り立つ仕事がある。 魔物と人間のあいだを歩く、細い綱の上に立つような仕事—— 魔物交渉人。
少女リオは、その交渉人のひとりだった。歳は十五。背は大きいほうではないが、森を歩き、魔物と向き合うには十分な体力と度胸を持っている。父も交渉人で、幼いころから現場について回り、その姿を見て育った。
リオにはひとつだけ、ほかの交渉人にはない特技があった。 それは——魔物の“ほんとうの欲求”を感じ取れること。
言葉で聞こえるわけではない。 けれど、体温の揺れ、空気のざわめき、匂いの変化、魔力のさざ波……そういった断片が、胸の奥に柔らかく触れ、ほんのヒントとして流れ込んでくるのだ。
その力を、リオはまだ使いこなせているとは言えなかったが、人々からは「若いのに不思議と魔物と話が通じる」と評判になっていた。
◇
「リオ、また頼んでしまって悪いねぇ」
ギルド長のタオ爺さんが、深く頭を下げた。 川辺の小屋の前で、リオは荷物袋の口を結びながら微笑んだ。
「大丈夫ですよ。サラマンダーが水車を壊したんですよね?」
「ああ。悪気があるようには見えんが……水車が止まると畑の水が回らんでの」
サラマンダーは火の魔物だが、川を棲みかにすることも多い。水と火では相性が悪いように思えるが、彼らは川底に溜まった暖流を好み、そこで体を温めるのだという。
「まずは贈り物を持っていって、話を聞いてみますね」
リオは袋を肩に担いだ。中には新鮮な魚が数匹。 魔物と会うときは、まず“誠意”として何かを差し出すのが交渉人の基本だ。
◇
川沿いの道を歩くと、湿った風と、かすかな焦げたような匂いが混じって漂っていた。 サラマンダーが近い。
川の岩場に着くと、そこにいた。 赤い鱗が陽光を受けてかすかに光り、長い尾を熱された鉄のように揺らしている。四肢は力強く、しかし動きはゆっくりしており、眠っているようにも見えた。
「こんにちは、サラマンダーさん。人間の村から来ました。美味しい魚を持ってきたんです」
リオが少し離れた位置に腰を下ろし、魚をそっと岩場に置く。 サラマンダーはゆっくりと顔を上げて、魚に鼻先を近づけた。
そして——ふい、と横を向いた。
「受け取らない、か……」
警戒している風でもない。口を開く気配すらない。ただ、淡く揺れる魔力がまるで“違う”と言っているようだった。
リオは目を細め、そっと深呼吸した。
胸の奥に意識を沈める。 周囲の音が遠ざかり、川の流れがゆっくりとしたひとつの線になる。 サラマンダーの体温が放つ波が、熱い風のように頬を撫でた。
——乾いている?
はじめに流れ込んできた感覚はそれだった。 喉の奥が渇くような、けれど水を欲しているのとは違う。もっと、内側の火が弱っているときのような、そんな感覚。
「……力を、求めてる?」
そう呟いた瞬間、胸の奥に“かすかな肯定”のような揺らぎが触れた。 確信したリオは、立ち上がり、川を見渡した。
「魚じゃないんだ。体の火を整えるものが必要なんだ」
リオは小さくうなずき、山のほうへ視線を向けた。
◇
辛味草——火の魔物が体調を整えるときに食べると言われている植物。 葉が赤く、噛むと舌がしびれるほど辛い。人間が食べるには向かないが、火の魔物には欠かせない栄養源だ。
山道は急で、足元の石は滑りやすい。 だがリオは慣れた足取りで進んだ。木々の間を抜け、岩場を渡り、赤い葉を探す。
やがて、陽の差す小さな窪地で、赤い葉が揺れているのを見つけた。
「……あった」
リオは周囲を見渡し、群生している場所から、ほんの数枚だけ丁寧に摘み取った。 交渉人は、魔物のために自然を壊してはいけない——父がいつも言っていた言葉が頭をよぎる。
◇
再び川へ戻ったとき、サラマンダーはまだ同じ岩の上にいた。 しかしさっきよりも、少し弱々しく見えた。
「これなら……どうかな?」
リオが辛味草を差し出すと、サラマンダーの瞳がかすかに揺れた。 ゆっくりと近づき、赤い鼻先で葉を嗅ぐ。 次の瞬間、その口が静かに開いた。
ぱくり。
辛味草を飲み込んだサラマンダーの体が、ふっと赤く脈打つように光った。 次の瞬間——
ぱりり。
薄い皮が、鱗の隙間からゆっくりと剥がれ落ちていく。 脱皮だ。新しい鱗は淡い金色を帯び、まるで川底の光を映したようだった。
サラマンダーは小さく鳴き、リオのほうを見た。 敵意どころか、静かな感謝の気配が流れ込んでくる。 そして、川の奥へすっと潜っていった。
◇
村に戻ると、水車小屋の前で農民たちが待っていた。
「リオ、どうだったかね?」
「もう大丈夫です。サラマンダーは、ここには来ないと思います」
「助かったよ……やっぱりあんたはすごいなぁ!」
褒められ、リオは少し照れくさく笑った。
「いえ、ちょっと話を聞いただけです」
川のほうを振り返ると、風に流されるように、赤い薄皮の欠片が光っていた。
リオは荷物を背負い直し、次の依頼の地図を広げた。 今日もまた、魔物と人間のあいだの細い道を歩く日々が続いていく。
——すべては、贈り物から始まる。
そして、贈り物だけでは済まない交渉が、確かに存在している。
リオがそれに向き合うのは、もう少し先の話だ。
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