8 19匹の山囃子
まだ薄暗い時分に目が覚めた。
いったい、いつまで起きていたのだろう。丹弥の絵が気になって、のそのそと文机に近付く。
山囃子も文机の上にある絵を見たいのだろう。懸命に伸び上がっているが、背が足りていない。
山囃子を文机に乗せて、共に絵を見た。
楽器だけが描かれた絵や、色々な格好の山囃子の絵が、何枚も広がっている。文机に顔を伏せている丹弥の下にも絵があるらしく、紙の端が垣間見えた。
文机の上に散らばる絵の中に、一枚だけ彩色が施された絵を見付ける。
絵の中では、楽琵琶や龍笛などの楽器を持った山囃子たちが楽しそうに合奏していた。絵を眺めて、一匹、一匹、動きも顔付きも違う細やかさに驚く。ささっと描ける絵ではないのは明らかだ。
いったい、いつまで起きていたのだろうと改めて思った。数えると、きちんと十九匹いて、眼前の山囃子も含めたみんなを描いてくれたのだと胸が熱くなった。
「山囃子、みんないるね」
山囃子の前に十九匹の山囃子の絵を置く。
「合奏を、しようよ。酒盛りのつづきも、しようよ」
山囃子の声は深く沈んでいた。山囃子の目から大粒の涙がぼたりと落ちる。絵だとわかっているだろうに、呼び掛けずには、いられない山囃子が痛々しい。
仲間の死を悼む山囃子の妨げにならないよう、静かに文机を離れる。
物音をなるべく立てないように気を付けながら、布団を畳み、身支度を整える。
土間の掃き掃除をしているうちに、戸外が賑やかになってきた。
「なっと、なっとー、なっと」
戸外から納豆売りの声が聞こえる。
前夜、納豆を買ってくれと丹弥に頼まれた。
茶碗を持って外に出ると、寒々しい青白磁色の空が見えた。日が昇ったばかりらしい。
納豆売りの声が聞こえるほうを見れば、遠目に納豆売りを見掛けて安堵する。
主膳の近くに来るまでに何人も買っている人がいた。どういう流れで買って、どう支払うのか観察する。
土御門家の当主は「お前みたいな普通ではない存在は、世間で生きていけないのだからね。親にすら捨てられたお前を認めてくれるのは、土御門家だけだと忘れないようにね」と事あるごとに主膳に釘を刺していた。
自分のどこが普通ではないのか、わからないまま、目立たないように生きてきた。だが、旅に出てからは、色々な人と関わらなければいけなかった。
普通ではないところが、ばれないようにと、周りをよく観察しながら旅をしてきた。人々が他の人と同じように接してくれる度に、人として存在を認められている気になった。
もし、普通ではないと気付かれたら、どうなるのだろう。恐ろしい未来を考えそうになったが、納豆売りがもう傍に来ていた。
「一人分ください」
「へい、八文」
納豆売りに、銭八枚を渡す。この時は、いまだに心臓が早鐘を打つ。
さっき観察した人たちと同じように渡したつもりだ。だが、普通の人とは違う、何か粗相をしているかもしれないと怖くなる。
問題なく受け取られて胸を撫で下ろした。
「これって納豆だけじゃないんですね」
ふと、納豆を見れば、豆腐や野菜が入っているように見えた。
「豆腐とか味噌汁の具も入っているから、味噌汁を入れるだけで具入りの納豆汁ができるんだよ。ところでお前さん、見ない顔だけど、そこの家の子かい」
「見ない顔なのも当然です。旅の者ですから。それでは、ありがとうございます」
詮索するような目を向けられたから、言葉を濁して話を切り上げた。将監の目として、身元はみだりに明かさないように気を付けなければいけない。
家に戻ると、丹弥は、まだ文机に顔を伏せて寝ていた。
山囃子も泣き疲れたのだろうか。丹弥の腕に寄り掛かって眠っている。
丹弥が起きるまでに、ご飯を作ろうと準備を始める。
自分の分は、おにぎり一つあれば十分だ。そう思いながら、どれぐらいご飯が残っているか、
丹弥が起きる頃までには作りたい。主膳は手早く着物を襷掛けした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます