5 山中の奇妙な音の正体は

 丹弥たんやと並んで歩くと、差が開き始めた。


 丹弥の足が速いのか、それとも、身長差のせいだろうか。わからないけれど、急ぎ足で歩かないと、置いていかれる。


 周りを見渡せば、似たような家ばかりだ。丹弥を見失ったら、もう二度と丹弥と出会えないのでは。怖くなり、ますます早足になる。


「よく行く蕎麦屋でもいいか」


 外に食べに行くと聞いて、実は不安を感じていた。

 外で食べた回数なんて、片手で数えるほどしかない。加えて、江戸には何があるのか、わからない。


 食べられない料理だったらどうしようと不安になっていたが、知っている料理で、ほっとした。


「蕎麦ならば、京にいた時にも何度か食べていますから、差し支えありません」


 蕎麦屋と思われる店に入った丹弥に続いて、主膳しゅぜんも店に足を踏み入れる。


「蕎麦と、いつもの。二人分、頼む」


 丹弥が慣れたように注文して、店の床几しょうぎに腰掛ける。繁盛しているらしく、すでに蕎麦を食べている人が何人もいた。


山囃子やまばやしってのは、どんな妖なんだ」


 床几の端のほうに腰を下ろしてすぐ丹弥が問う。


「小さな狸みたいで」


「見た目は何となくわかった。山囃子は何をするんだ。狸のように化けるのか」


 主膳の肩から飛び降りた山囃子を見る。

 

 山囃子は、とてとてと近くの客に近付いて、蕎麦を食べる様を楽しそうに眺め始めた。山囃子が人に対して何かをする気配は、今のところ、ない。


「みんなで合奏したり、酒盛りしたり、楽しく暮らしていたみたいです。けして人に仇をなすような妖ではありません」


 主膳が見ている辺りに丹弥も目を向けた。


「一匹じゃねえのか」


「ここにいるのは、一匹だけです。この山囃子の仲間は、すべて俺たちが殺しました」


「害がねえなら何故」


 問う声に責める響きはなかった。ただ単に、純粋な疑問として発せられたのだと、不思議そうな顔からもわかる。


 害がないものを殺すなんて、責められるべき行いなのに。非難されなくて困惑する。


 もしかしたら、丹弥は、殺さなければいけない、よほどの事情があったと思っているのかもしれない。そんなもの、ないのに。


「妖をすべて殺せとの命令だったので」


 本当に何故、殺さなければいけなかったのだろう。


 さるやんごとないお方の屋敷の近くで、夜な夜な不気味な音が聞こえるから調べよと話が来たのが発端だ。


 人を寝かせず、じわじわ殺す恐ろしい妖と言われていたが、音の正体は山囃子だった。


 生き残った山囃子に話を聞くと、仲良しの妖の祝言をしていたらしい。


 殺す前に話し合いで、どうにかならなかったのか。別の場所で騒いでほしいとお願いしたら、きっと聞いてくれたはずだ。もう、どうにもならないけれど。


「命令、か。そもそも何故、妖を描いてほしいと思ったんだ」


「妖は、存在を忘れられると消えるそうですよ」


 山囃子が踊りながら、びんざさらをしゃざっと鳴らす。続けて、もう一度、しゃざっとびんざさらが鳴る。きっかけはわからないけれど、山囃子は今、楽しい気分らしい。

 

 左右にびんざさらを揺らし、時折、鳴らす山囃子を見詰めたまま、話を続ける。


「山囃子の仲間をすべて殺した晩が明ける頃、山囃子が訪ねて来たんです。山囃子の絵を描いてほしいと。絵があれば、たとえ妖が見えなくても、山囃子の存在を知るきっかけになりますからね」


「絵ならば文よりも、わかりやすい。想像もしやすいだろう」


 再び丹弥に顔を戻すと、真剣さが伝わる目で主膳を見ていた。

 しっかりと話を聞いてくれているとわかる目に安堵する。このまま落ち着いて話を続けられそうだ。


「山囃子を知っていれば、正体のわからない音が聞こえた時に、山囃子を思い出すかもしれません」


「川で何かを洗う音が聞こえたら、小豆洗いを思い出すように、か」


「そうです。たとえ見えなくても、山囃子を知る人がいる限り、山囃子は死にません。山囃子は忘れられたくなくて、死にたくなくて、絵を描いてほしいと、よりによって俺に願ったのです」


 店内にまた、びんざさらの音が鳴り響いた。

 何かを感じ取ったのだろうか。山囃子の近くにいた客が眉を寄せて辺りを見回している。


「どうか、千年先も忘れられない絵を描いてください」


 主膳が罪のない妖を殺す酷い人間だと知った今、丹弥は絵を描きたくないと思っているかもしれない。

 丹弥の仏頂面をどれだけ眺めても、何を考えているか読めなくて、不安が募る。

 

 祈るように丹弥を見詰め続けた。


「できる限りは、する」


 相変わらずの素っ気ない返事だった。責めもせず、慰めもせず、主膳が何者か問い質しそうな素振りもない。


「今の話を聞いても、描いてくださるのですね」


「話を聞いたおかげで、何となく想像できたから描けそうだ」

 

 ただ絵を描く手掛かりとしてしか話を聞いていなかったのだろうか。

 

 知らず詰めていた息を吐く。絵以外には頓着しない態度が、主膳の心を楽にさせた。


 ようやく店の人が料理を持って来た。


「蕎麦と、山鯨の味噌焼きね。旦那は山鯨が好きだね。いつも贔屓にしてくれてありがとうね」


 蕎麦と山鯨の味噌焼きが目の前に置かれる。


「山鯨の味噌焼きは、この店に通い詰めた者にしか頼めねえんだ」


 丹弥の声には嬉しさが滲んでいて、肉が好きと言外から伝わってくる。

 

 素気ない話し方なのに近寄りがたさを感じないのは、声や顔に感情が現れやすいからかもしれない。


「肉は食べられないので、丹弥さんに差し上げても、よろしいですか」


「嫌いか。食べてみれば存外、美味いかもしれねえぞ」


 好物をあげると言っているのに、丹弥は気落ちして見えた。眉尻が下がった顔を見ていると、断ったのが申し訳なくなる。


「妖が見えなくなるので、肉は食べるなと言われているのです」


 理由を伝えると、丹弥が腕を組んでほんの僅かな間、目を閉じた。


「何故、肉を食べると妖が見えなくなるんだ」


 何故と言われても、土御門家つちみかどけが言うのだから、そういうことわりなのだろう。そう答えても、丹弥は納得しない気がして、言葉に詰まる。


「例えば、不殺生戒に背くと、妖を見る力を失うからだとしよう。野菜は食べていたんだよな」


 妖を殺す生業をしていたから、すでに不殺生戒を破っている。頭に浮かんだ反論を口にせず、主膳は頷いた。


「不殺生戒を守るために、野菜を食う。だが、野菜だって生きている。何も言わねえ野菜の命は、奪ってもいいのか。畢竟ひっきょう、どれだけ清浄であろうとしても、人は日々、命を奪わねえと生きていけねえんだよ。俺らにできるのは、奪った命に敬意を払い、無駄にしねえことだ」


 丹弥が山鯨の味噌焼きの皿に礼をした。


「馳走をいただきます」


 重々しく言ってから、丹弥が恭しく箸を手に取る。山鯨の味噌焼きを、ゆっくりと口に運ぶ丹弥の粛然とした姿から目が離せない。


 目を閉じて咀嚼している丹弥を見ているうちに、厳かな儀式の最中かと思い違いしそうになる。


 一口目を飲み込んだらしい丹弥が目を開けた。


「騙されるなよ」


 丹弥が耐えられないとばかりに、大声で笑い出した。周りの人が驚いた顔で見てくるほどの大声だ。主膳もがらりと変わった丹弥の様子に困惑する。


「仰々しく言ってみたが、要は大好きな肉を食いてえから、詭弁を弄しただけだ。兎を一羽と数えて食う坊主と、何ら変わらねえ」


 丹弥が主膳の山鯨の味噌焼きを切り分ける。一口分だけ主膳の皿に残していった。


「一口だけ、どうだ。無理に食べなくてもいい。その時は俺が食べる」


 将監しょうげんの目としては、断るのが正しい。だが、人の厚意を断るのは酷く難しい。時として苦痛を伴うから、できれば避けたかった。今までだったら、見兼ねた将監が断ってくれたのに。


 主膳が悩んでいる間に丹弥が蕎麦を食べ出して焦った。食べるのが遅いから、早く食べないと、丹弥を待たせてしまうだろう。とりあえず肉について考えるのは、やめて蕎麦から食べよう。


 蕎麦は知っていると思ったが、蕎麦つゆの色が以前、京で食べた蕎麦と違って黒い。味の想像ができなくて、恐る恐る口に運ぶ。


 味噌仕立ての濃厚な旨味が瞬く間に口内に広まる。こんなに濃い味のものを食べるのは初めてだ。


 驚愕している主膳を置き去りにして、鰹節の匂いが鼻から駆け抜けていく。


 色だけじゃなくて旨味も濃い。いつもは野菜などの、食材の味がそのままのような料理ばかり食べていたから、荒々しいまでの旨味に舌が驚いている。


「蕎麦、口に合ったみてえだな」


「とても、とても美味しいです」


「ゆっくり食べろよ」


 思ったより丹弥の食べる速さはゆっくりだ。おかげで主膳も落ち着いて食べられた。


 蕎麦を食べ終わって、山鯨の味噌焼きだけが残る。


「丹弥さん、やはり肉は食べられないので、食べてもらえますか」


 おずおずとお願いする。せっかくの厚意だが、やはり将監の目としては食べるわけには、いかなかった。


 丹弥は何も言わず、主膳の皿に残った山鯨の味噌焼きを口に放り込んだ。


 すぐに立ち上がった丹弥に慌てる。店を出るのだろう。山囃子を探すと、少し離れたところで踊っていた。


 山囃子を拾い上げてから丹弥の元へ戻ると、勘定を済ませた後だった。


「掃除してくれた礼だ。気にするな」


「そんな、悪いですよ」


 聞く耳を持たないまま、丹弥が店を出た。


 主膳も急いで後を追おうとしたが、その前に蕎麦屋の人に顔を向ける。


「蕎麦、美味しかったです」


 蕎麦屋の人に伝えてから、丹弥の後を慌てて追いかけた。


「何もかもお世話になってばかりで、申し訳ございません」


 丹弥の歩みが少し速くなり、差が開く。


「思い違いするなよ。師匠は良心からの優しさだが、俺のは、上手ごかしだ。何か得られるものがあるなら、より良い絵を描けるならと面倒を見ているんだ。だから、俺に詫びも感謝もするな」


 主膳が気を遣わないようにと、わざと悪ぶった言い方をしている。何となくそう感じた。


 今は、何か得るものがありますようにと願うだけしかできないが、これから何を返していけるだろうか。


 ぐんぐん広がっていく差を縮めるために、主膳はさらに早足で丹弥の背を追いかけた。

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