石燕異聞~祈りて今日も筆を執る~
旧部 悠良
第一章 鮮烈な光明丹
1 『目』として生きる少年
享保十二年三月十六日(一七二七年五月六日)。十三歳の陰陽生、
仕えている
月を眺めているうちに目が冴えてきた。
ふと、近くの木々の辺りから何かに見られている気がした。
月明かりの届かない、木々の間に生じた闇に目を向ける。
何かいる。
目を凝らすと、両手に乗るくらいの小さな、真ん丸い妖と目が合った。
狸に似た見た目だ。だが、手にびんざさらというんだったか、板が沢山ついた楽器を持っている。動物ではなく妖なのは明白だった。
今夜、討伐する予定の妖、
「ころさないで」
主膳は拙く頼りない声に耳を塞ぎたくなった。
どれだけ乞われても、目の前の存在が無害だとしても、妖は一匹残さず殺せと厳命されている。命令に背いた時は一度もないが、命乞いをされると、いつもより心が揺らぐ。命乞いをする声が聞こえなければと何度、思ったか。
「主膳、山囃子は見付かったか」
主膳が仕えている
将監が山囃子のいるほうに顔を向ける。だが、山囃子に気付いた様子はなかった。
主膳は表向き、陰陽生として山囃子の討伐に参加しているが、妖を祓う力など持っていない。見鬼の才がない将監の目として働くためだけに参加していた。
「たすけて。これから、みんなで酒盛りをするの」
山囃子の涙声が耳に届く。
主膳は助けたい思いに駆り立てられたが、拳を強く握って
自分は、将監の目だ。目は、自分の意思なんて持たない。主膳は自分に言い聞かせる。
都の平和を守るために妖を全て殺す。そんな将監の願いを叶えるために、主膳は今まで妖を殺し続けてきた。いつだって将監の望みのままに動き、見えた妖を伝えるだけの存在として生きてきた。
主膳は山囃子を助けたいと叫ぶ自分の心をまず殺す。
「丑寅。ろ、ほ」
いつも通り、将監だけに通じる言い方で、山囃子の場所と強さを伝える。
主膳の言葉を受けた将監が一歩前に出て術を放った。
将監は「早晩、優れた陰陽師になる」と幼少の頃から嘱望されていた。十五歳になり、ますます研ぎ澄まされた将監の術は、主膳が言った通りの場所に命中した。
いつも通りだ。いつもと違うのは、そこに妖がいないだけ。
もし、将監が妖の気配を僅かにでも、わかっていたら、主膳の嘘が見破られていただろう。だが、将監は少しも疑わなかった。
陰陽師の名家、土御門家に生まれ、天賦の才にも恵まれたのに、将監には見鬼の才が、まったくなかった。限られた者しか知らない秘密だ。
将監に見鬼の才がないと露見しないように、土御門家は、見鬼の才を持つ者を探した。
結果、将監の目として選ばれたのは、孤児の主膳だった。
秘密を漏らす恐れがあったら、即座に殺す。
土御門家から今まで何度も釘を刺されてきた。
将監の目なんて大任を孤児の主膳に与えたのは、単に処分しやすいからだろう。
記憶にも残っていないほど幼い頃から将監の目として生きてきた。だからこそ、将監には真実、見鬼の才がないとわかっている。
今、山囃子を逃がしても、気付かれないはずだ。
主膳は顔をなるべく動かさず、目だけを山囃子に向けた。
将監の術を見たせいか、山囃子がさらに小さくなって震えている。
早く逃げてと言いたい。だが、声を出せば、眼前にいる将監に聞こえるだろう。
主膳は仕方なく山囃子に向けて追い払うように手を振った。
将監に気付かれないために小さい動作になってしまったが、伝わっただろうか。
不安になる間もなく、山囃子がびょっと跳ね、暗闇に消えて行った。
「主膳、山囃子は倒せたか」
心がすべて山囃子に向いていた。不意に将監に声を掛けられたから、驚きで心臓が跳ね上がる。
将監が術を放った場所にそもそも山囃子は、いない。だが、山囃子が倒せたかどうか確かめる動きをいつも通りせねば、嘘がばれる。将監が術を叩き込んだ辺りを常のように見た。
伝えた通りの場所に叩き込まれた術の跡には、何もないと思っていたが、違った。
そこには、信頼があった。
幼少の頃から共に修羅場を潜り、信頼を積み上げてきた。だからこそ、伝えた通りの場所に術が放たれたのだと、主膳は今更、気付いた。
嘘がばれた時、将監はもう主膳を信じてくれないだろう。
しでかした事の大きさに気付いたが、もう遅い。ざっと血の気が引く。指先が冷たくなって、手が震え出した。
きっと酷い顔をしている。
主膳は顔を隠すために、いつも以上に深々と頭を下げた。
「お見事にござります」
「他に人がいないんだから、畏まるな」
「誰が見ているか、わかりませんので」
山囃子は群れをなす妖だ。一匹残らず討伐するために、陰陽寮から将監の他に何人か、駆り出されていると聞く。
辺りに人がいる様子はない。だが、誰が見ているか、わからない。もし二つ年上の土御門家の次代当主に気安く話し掛けている姿を見られたら、身の程を弁えろと咎められるだろう。
頭を下げ続けていても、おかしくない状況のはずだ。
「もう頭は下げなくていい」
不機嫌そうな声が聞こえたが、頭を上げられなかった。
主膳と将監は、幼少の頃より一緒にいる。主膳がいくら取り繕っても、顔を見せたら何か悟られるだろう。
主膳は頭を下げ続けながら、将監の命令を待った。
「山囃子だけでなく、それ以外の妖も、もうこの辺りにいないんだよな」
将監の念押しに、頭を上げざるを得なくなる。主膳は頭を上げながら、素早く将監に背を向け、辺りを見回した。
よく見れば何かが潜んでいそうな夜闇。目を向けながら主膳は、何もいないでほしいと願っている自分に気付いた。
もう、限界なんだと悟る。
あと一匹でも妖を殺したら、きっと耐えられない。かと言って、将監にもう一度、嘘を吐くなんて恐ろしくてできない。
どう足掻いても、将監の目としての役目を今まで通り果たすのは無理だ。
唐突に訪れた限界に、どうしていいかわからず、震え続ける手を固く握り締めた。
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