第2話「顔のない敵」
カフェを出た後、私はタクシーで自宅に戻った。
頭の中が真っ白だった。
篠原瑞希。
三年前、私が炎上で潰した元インフルエンサー。
彼女が、啓太の浮気相手だった。
偶然?
いや、違う。
彼女は復讐のために、啓太に近づいたんだ。
自宅に着いた時、啓太はまだ不在だった。
リビングのソファに座り、スマホを開く。
瑞希との会話が、頭の中で繰り返される。
「久しぶり、真央さん。私のこと、覚えてる?」
「あなたが三年前に私にしたこと、忘れたの?」
私は、震える手でスマホを操作した。
検索ワード:「桜井美咲 現在」
ヒットした記事。
『炎上被害者、今も入院中——家族「娘はもう、笑わなくなった」』
記事を開く。
写真が添付されていた。
病室のベッドで、窓の外を見つめる女性。
目は虚ろで、生気がなかった。
桜井美咲。
その名前を見た瞬間、胃が捻れた。
三年前、私は彼女を燃やした。
理由?
クライアントがそう望んだから。
彼女に罪はなかった。
ただ、私の標的になっただけ。
でも、私は——
私は、彼女の人生を壊した。
三年前。
会議室。クライアントが言った。
「この女性、SNSで問題発言してませんか? 何か炎上の種、ありませんか?」
私は桜井美咲のSNSを徹底的に洗い出した。
過去の投稿、友人との会話、些細な一言まで。
そして、見つけた。
五年前の投稿。彼女が軽率に書いた、一言。
『正直、あの人の服装センスないよねw』
誰かの悪口——ただそれだけ。
でも、それで十分だった。
私は複数のアカウントから一斉に、その投稿を掘り起こした。
『この人、陰で人の悪口言ってる最低な奴じゃん』
『こんな奴がインフルエンサーとか笑える』
炎上は瞬く間に広がった。
桜井美咲は謝罪したが、手遅れだった。
誹謗中傷が殺到。企業案件は全て打ち切られ、彼女はSNSから姿を消した。
そして——
自殺未遂。
私は、スマホを置いた。
吐き気がした。
でも、吐けなかった。
ただ、胃が捻れるだけ。
私は——
私は、人を壊した。
金のために。
その時、玄関のドアが開く音がした。
啓太だ。
彼は部屋に入ってきた。顔色は悪く、目の下にクマができていた。
「真央……」
彼は私を見た。
「大変なことになってる」
「何が?」
「会社が、俺の経費記録を本格的に調査し始めた。誰かが内部告発したらしい」
私は何も言わなかった。
啓太は続けた。
「でも、俺は何もやましいことはしてない。絶対に」
「そう」
私は短く答えた。
啓太はソファに座り込んだ。
「SNSも、ひどいことになってる。お前の名前も出てる」
私は画面を見た。
アステリオン製薬の公式アカウントへのリプライが、数百件に達していた。
『白川真央、三年前に炎上誘導で問題起こしてる』
『この奥さん、元・炎上マーケターらしいよ』
『夫を炎上させるとか、サイコパスじゃん』
そして、決定的な一文。
『奥さん、あなたも昔、人を殺しかけましたよね?』
私の手が、震えた。
啓太が言った。
「真央、お前……本当に何も知らないのか?」
「何を?」
「この炎上。誰かが俺を嵌めようとしてる。そして、お前の過去まで掘り起こしてる」
啓太は私を見つめた。
「まるで、計画的に」
私は黙っていた。
啓太は立ち上がった。
「真央、お前……家族、大事にしてるか?」
「急にどうしたの?」
啓太はリビングの棚から、古い写真を取り出した。
「これ、見たことあるか?」
写真を見る。
映っているのは、幼い少女。笑顔で、花を持っている。
「誰?」
「妹」
私は眉をひそめた。
「妹? あなた、妹がいたの?」
「ああ」
啓太は写真を見つめた。
「でも、もう会えない」
「なんで?」
「……病気で、入院してる」
啓太の声が、沈んだ。
「三年前から、ずっと」
私は何も言えなかった。
啓太は続けた。
「妹は、SNSで炎上した。誹謗中傷が殺到して、精神を病んだ。それで——」
彼は言葉を切った。
「自殺未遂を起こした」
私の心臓が、止まった。
「今も、入院してる。もう、まともに話すこともできない」
啓太は私を見た。
その目は——
冷たかった。
「真央、お前……三年前、炎上マーケターだったよな?」
私は息を呑んだ。
「まさか、お前が——」
「違う」
私は即座に否定した。
「私は、あなたの妹さんとは関係ない」
「本当に?」
啓太は一歩近づいた。
「妹の名前、知ってるか?」
私は黙った。
啓太は言った。
「桜井美咲」
世界が、止まった。
桜井美咲。
啓太の、妹。
私が、炎上で壊した女性。
「お前が、妹を壊したんだ」
啓太の声は、静かだった。
「忘れたのか?」
私は、何も言えなかった。
啓太は写真を置いた。
「俺は、ずっと調べてた。妹を炎上させたのが誰なのか」
彼は私を見つめた。
「そして、お前に辿り着いた」
私の膝が、震えた。
啓太は続けた。
「三年前、お前が業界を追放された時、俺はお前に近づいた。偶然を装って」
「……嘘」
「嘘じゃない」
啓太は笑った。
「お前と結婚したのも、全部計画だった」
私は後ずさった。
「俺は、お前を愛したことなんて一度もない」
啓太の声が、冷たく響いた。
「お前を壊すために、三年かけて準備したんだ」
私は、床に座り込んだ。
啓太は玄関に向かった。
「これから、もっと面白くなるぞ」
ドアが閉まる音。
私は一人、リビングに取り残された。
その夜、私は眠れなかった。
スマホを開くたびに、新しい通知が来ていた。
そして、午前二時。
新しい投稿が、SNSに現れた。
アカウント名は「@truth_seeker_2025」。
投稿内容:
『白川真央は、三年前に桜井美咲さんを自殺未遂に追い込みました。これは事実です。そして今、彼女は何の反省もなく、夫を炎上させようとしました。こんな人間を、許していいのでしょうか?』
添付されていたのは、三年前の新聞記事。そして、桜井美咲の写真。
コメント欄が、爆発した。
『白川真央、人殺し』
『こんな奴が野放しにされてるのおかしい』
『警察は動かないの?』
『住所特定されてるらしいよ』
画面を見つめる私の手が、止まらなかった。
そして——
最後のコメント。
『白川真央の自宅、ここらしい』
添付された画像——私のマンションの外観写真。
住所まで、完全に特定されていた。
スマホが震えた。
メッセージ通知。
差出人不明。
『楽しんでる?』
私は息を呑んだ。
次のメッセージ。
『あなたの復讐、私も手伝ってあげる。でも、代償は払ってもらうよ』
添付ファイル。
画像を開く。
映っていたのは、三年前の私だった。
オフィスで、パソコンに向かって笑っている私。その画面には、炎上誘導用のスプレッドシートが映っている。
そして、画像の下に手書きの文字。
『明日の正午、全てのメディアに送るよ。それまでに、渋谷のカフェに来て』
翌朝、私は何も食べられなかった。
胃が痛い。吐き気がする。
スマホを開くと、炎上は加速していた。
私の顔写真が、何十ものアカウントから投稿され続けている。
『白川真央を許すな』
『こいつの親、まだ生きてるらしい』
『実家に電凸した奴いる?』
私は震えた。
これは、私が何度も仕掛けてきた炎上の手法だ。
ターゲットの過去を掘り起こし、複数のアカウントから一斉に攻撃する。
そして今——
私が、ターゲットになっている。
午後十二時。
私は渋谷のカフェにいた。
窓際の席に座り、誰かが来るのを待っていた。
そして——
ドアが開いた。
入ってきたのは、見覚えのある女性。
篠原瑞希。
彼女は私を見つけ、微笑んだ。
「久しぶり、真央さん」
瑞希は私の向かいに座った。
「驚いた?」
「……あなたが、全部?」
「そう」
瑞希は笑った。
「あなたの過去を掘り返したのも、SNSで暴露したのも、全部私」
私は拳を握りしめた。
「なぜ」
「なぜ?」
瑞希は首を傾げた。
「あなた、本気で聞いてるの? あなたが三年前に私にしたこと、忘れたの?」
「私は、仕事でやっただけだ」
「仕事?」
瑞希の声が、初めて感情を帯びた。
「私の人生を壊したのが、仕事?」
彼女はテーブルに手を置いた。
「炎上した後、私は全てを失った。仕事も、友人も、恋人も。毎日、死にたいと思った」
瑞希は私を見つめた。
「でも、死ななかった。なぜだと思う?」
私は黙っていた。
「復讐するためよ」
瑞希は静かに言った。
「あなたに、同じ苦しみを味わわせるために」
瑞希はスマホを取り出した。
「そして、私はあなたの夫に近づいた」
画面を見せる。
そこには、啓太とのメッセージのやり取りが表示されていた。
「最初は簡単だった。彼、すぐ落ちたわよ。あなたが家で冷たくしてるから、寂しかったんでしょうね」
私は何も言えなかった。
瑞希は続けた。
「でも、不倫させるだけじゃつまらない。だから、私はあなたを監視してた」
彼女は別の画面を見せた。
そこには、私が管理している複数の匿名アカウントのリストが表示されていた。
「あなたが啓太を炎上させようとしてるって分かった時、嬉しかったわ」
瑞希は笑った。
「だって、それって私と同じことをしようとしてるってことでしょ?」
私は歯を食いしばった。
「だから、私も手伝うことにしたの。あなたの復讐を加速させて、最後にあなた自身を炎上させる」
瑞希はスマホを操作した。
「そして、これから本格的に始まるの」
画面を私に向けた。
そこには、彼女のメインアカウントが表示されていた。フォロワー数は3万人。
「今から、投稿するわ。本当のことを」
瑞希の指が、画面をタップした。
投稿は瞬時に公開された。
『三年前、私を炎上させた女がいます。白川真央。彼女は炎上マーケターとして、私の人生を壊しました。そして今、彼女は自分の夫を炎上させようとしています。私は彼女の計画を全て知っています。これから、真実を話します』
私は息を呑んだ。
「やめろ」
「やめない」
瑞希は冷たく言った。
「あなたが私にしたことを、世界中の人に知ってもらうの」
私は立ち上がった。
「お前、自分が何をしてるか分かってるのか!?」
「分かってるわ。復讐よ」
瑞希も立ち上がった。
「あなたは三年前、私に復讐する機会すら与えなかった。でも私は違う」
彼女は鞄を手に取った。
「じゃあね、真央さん。これから楽しみにしててね」
瑞希はカフェを出て行った。
私は席に座り込んだ。
スマホを開く。
瑞希の投稿は、すでに数百のリツイートとコメントがついていた。
『マジで?』
『白川真央って、あの炎上マーケター?』
『これ、本当なら大問題だろ』
『夫を炎上させるとか、サイコパスじゃん』
そして——
新しい通知。
送り主は、啓太の浮気相手——いや、瑞希のアカウント。
プロフィール写真を見る。
見覚えのある顔。
でも、誰だっけ?
私は、ようやく気づいた。
篠原瑞希。
三年前、私が炎上で潰した元インフルエンサー。
そして今——
彼女は、私を炎上させようとしている。
戦いは、始まったばかりだった。
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