炎上妻 不倫夫をバズらせたのは私だ【サレ妻の復讐】
ソコニ
第1話「500万再生の嘘」
赤ワインが喉を焼く。
スマホの画面——503万再生。
夫の裏切りが、数字で証明されていく。
午前三時。リビングの照明を落とし、私は窓際のソファに座っていた。
グラスを傾ける。液体が唇に触れる。苦味と、かすかな甘み。勝利の味がした。
画面を見る。
動画のタイトルは『【衝撃】大手製薬会社の広報部長、不倫現場を激写!』。投稿者は匿名アカウント「正義の告発者」。もちろん、私が作ったアカウントだ。
映像は粗いが、夫・啓太の顔ははっきりと映っている。高級ホテルのエントランス。見知らぬ女と手を繋ぎ、笑いながら中へ消えていく二人。
完璧だった。
私が三週間かけて準備した、復讐の第一手。
再生回数は今も増え続けている。コメント欄も荒れていた。
『こんな奴が広報部長とかwww』
『アステリオン製薬の信用ガタ落ちだろ』
『奥さん可哀想…』
そして、その中に——
『でもさ、この動画撮った奴もヤバくね?』
『盗撮じゃん、これ』
『奥さんが撮ったんじゃないの?この角度』
『この妻、なんか怖くね?』
私の手が、震えた。
グラスを置く。深呼吸。冷静に。
想定内だ。SNS炎上には必ず「逆張り勢」が現れる。メインターゲットを叩いた後、次は告発者を疑い始める。人間の心理は単純で、予測可能で、操作可能だ。
私は三年前まで、それを仕事にしていた。
白川真央、35歳。
三年前まで、私は「炎上マーケター」だった。
人を燃やして、金を稼ぐ。
それが私の仕事だった。
三年前。
高層ビルの会議室。窓の外には東京タワーが見えた。
テーブルを挟んで座るクライアント——大手化粧品メーカーの営業部長。40代の男性。スーツは高級品だが、額には脂汗が浮いていた。
「白川さん、頼みます」
彼は資料を差し出した。
そこには、一人の女性インフルエンサーの顔写真。SNSのスクリーンショット。フォロワー数20万人。
「この人を……燃やしてください」
私は資料を眺めた。表情は変えない。
「理由は?」
「彼女が競合他社の商品を宣伝してるんです。しかも、ウチの商品をディスるような投稿までしてる」
私は頷いた。
「分かりました。予算は?」
「300万。今週中に結果が欲しい」
私はペンを取り、メモを取り始めた。
ターゲット、予算、期限、炎上の方向性。
そして——
「過去の投稿、全て洗い出します。炎上の種は必ずある」
私は微笑んだ。
「一週間で、彼女を燃やします」
そして、一週間後。
そのインフルエンサーは、SNSから姿を消した。
私が仕掛けた炎上で、彼女の過去の軽率な発言が掘り起こされ、誹謗中傷が殺到した。企業案件は全て打ち切られ、彼女はアカウントを削除した。
クライアントは満足した。
私は300万円を受け取った。
それが、私の仕事だった。
でも、ある日——
私は失敗した。
ターゲットを間違えた。無関係な一般女性を炎上させてしまった。
彼女は誹謗中傷に耐えられず、自殺未遂を起こした。
ニュースになった。
『炎上マーケター、一般女性を自殺未遂に追い込む』
私は、業界から追放された。
それ以来、私は専業主婦として生きてきた。
夫・啓太は大手製薬会社「アステリオン製薬」の広報部長。完璧な夫。完璧な仕事ぶり。完璧な笑顔。
そして、完璧な嘘つきだった。
スマホの画面を切り替える。別のSNSアカウント。これは私が管理する「観測用」の裏垢だ。
啓太の会社、アステリオン製薬の社員たちのアカウントを片っ端からフォローしている。
案の定、社内は大騒ぎだった。
『広報部長の件、マジ?』
『明日どうなるんだろ…』
『株価ヤバそう』
ある若手社員のアカウントが、こうつぶやいた。
『白川部長、今日から出社停止らしい。社長がブチギレてるって噂』
私は、小さく笑った。
計算通り。
啓太の職業は「製薬会社の広報部長」。つまり、企業の顔だ。彼が不倫スキャンダルを起こせば、会社全体の信用問題になる。
しかも彼は危機管理のプロ。普通なら絶対に燃えない立場にいる。
でも私は、その「絶対」を崩す方法を知っていた。
動画の投稿文に、私はこう書いた。
『このホテル代、会社の経費で落としてたりして?笑』
根拠のない憶測。でもこの一文が、炎上を加速させた。
『マジで経費不正してそう』
『調査しろよ』
『製薬会社って税金も絡んでるよな?』
人々は疑惑を真実だと思い込み始める。証拠なんて必要ない。SNSでは、疑惑が事実になる。
リビングのドアが開く音がした。
啓太だ。
午前三時に帰宅?
彼は部屋に入ってきた。スーツは乱れ、ネクタイは緩んでいる。顔は蒼白だった。
「……真央」
彼は私を見て、力なく笑った。
「起きてたのか」
「ええ。眠れなくて」
私は冷静に答えた。感情を表に出さない。それが私の武器だ。
啓太はソファに崩れ込んだ。両手で顔を覆う。
「会社が、大変なことになってる」
「そうみたいね。SNS見たわ」
「……お前、見たのか」
「あなたの不倫動画? ええ、見たわよ」
啓太は顔を上げた。私を見る。その目に、恐怖が浮かんでいた。
「真央、あれは……違うんだ。あの女は、ただの——」
「いいわよ」
私は遮った。
「言い訳は聞きたくないの」
私は立ち上がった。
「疲れたから、寝るわ」
背後で啓太が何か言いかけたが、無視した。
寝室に入り、ドアを閉める。
ベッドに座り、再びスマホを開く。
裏垢のDMを確認する。数時間前、私は匿名で啓太の会社に「内部告発」を送っていた。
件名:『広報部長・白川啓太の不正経費使用について』
本文には、啓太の経費精算記録の「改ざん版」を添付した。もちろん、全て私が作った偽造データだ。でも精巧に作ってある。会社の経理部が見れば、一瞬は信じるだろう。
そして、疑惑は疑惑を呼ぶ。
その時、スマホが震えた。
通知。
メールアプリを開く。
差出人不明。件名なし。
本文にはたった一文だけ。
『私のこと、覚えてる?』
私の心臓が、一瞬止まった。
指が震える。
誰だ?
次のメッセージが届いた。
今度は、添付ファイルがあった。
画像ファイル。
開く。
映っていたのは、三年前の新聞記事だった。
『炎上マーケター、一般女性を自殺未遂に追い込む』
私の名前。私の顔。
そして、その記事の下に、手書きの文字。
『次はあなたの番だよ、真央さん』
息が、止まった。
画面を凝視する。
誰が、この記事を?
誰が、私の過去を知っている?
指先が冷たくなる。呼吸が浅くなる。
私は三年間、自分の名前がSNSで検索されていないか、常に監視してきた。
三年前の事件は、一部のニュースサイトに記事が残っているだけで、ほとんど忘れ去られていた。
それを今、掘り起こしている人物がいる。
私を、監視している——
スマホを握りしめる。
リビングから、啓太の物音が聞こえた。
私はドアの隙間から、彼を見た。
啓太は、スマホを見ながら何かを打っている。
その表情は——
笑っていた。
翌朝。
私は何事もなかったかのように朝食を作った。
トーストを焼き、卵を炒め、コーヒーを淹れる。
啓太はリビングのソファで眠り込んでいた。スーツのまま、浅い呼吸を繰り返している。
私は彼を起こさなかった。
キッチンカウンターに座り、スマホを開く。
昨夜の匿名メッセージは、まだ画面に残っていた。
『次はあなたの番だよ、真央さん』
私は、過去を思い出していた。
三年前。
私が炎上で壊した女性——桜井美咲。
当時25歳の一般女性。
私が仕掛けた化粧品キャンペーンの炎上で、彼女は無関係なのに標的にされた。誹謗中傷が殺到し、彼女は精神を病んだ。
そして——
自殺未遂。
ニュースになった。
私は、全ての責任を負わされた。
でも、本当に私だけの責任だったのか?
会社が指示して、私が実行した。失敗した時、全てを私に押し付けた。
それでも——
私は、桜井美咲を壊した。
それは、事実だ。
午前十時。啓太が目を覚ました。
「……真央」
彼は疲れ切った声で私を呼んだ。
「会社に行かなくていいの?」
「今日は、出社停止を命じられた」
啓太は顔を歪めた。
「社長が激怒してる。経理部が俺の経費精算を調べ始めた。でも、俺は何もやましいことはしてない。絶対に」
「そう」
私は短く答えた。
啓太は立ち上がり、洗面所へ向かった。
水を浴びる音が聞こえる。
私はスマホを開き、裏垢で情報収集を始めた。
そして——
ある投稿が目に留まった。
ヘリオスファーマの公式アカウントへのリプライ。
アカウント名は「@truth_seeker_2025」。プロフィール写真はない。フォロワーもゼロ。作られたばかりの捨て垢だ。
投稿内容:
『ところで、白川啓太の奥さんって、昔炎上マーケターだったらしいね。今回の件も、彼女が仕組んだんじゃない?』
私の心臓が、跳ねた。
コメント欄が、変わり始めていた。
『マジで?』
『奥さんが黒幕?』
『調べたら出てきた。白川真央、三年前に炎上誘導で問題起こしてる』
違う。
これは、想定外だ。
啓太が洗面所から出てきた。
「真央、お前これ見たか!?」
彼はスマホを握りしめていた。
「SNSで、お前の名前が出てる。三年前の事件も全部掘り返されてる」
私は何も言わなかった。
啓太は私を見た。
「お前……まさか、本当にやったのか?」
「何を?」
「俺を、炎上させたのか?」
私は彼を見つめた。
「疑うの?」
「だって、タイミングが良すぎる。俺が不倫したその日に、動画が拡散されて、次々と追加情報が出てくる」
啓太は一歩近づいた。
「お前、昔そういう仕事してたよな?」
私は黙っていた。
啓太は続けた。
「真央、お前……家族、大事にしてるか?」
「急にどうしたの?」
「いや、俺には妹がいてさ」
私は眉をひそめた。
妹?
啓太は続けた。
「最近、連絡取ってないんだ。お前は、家族と連絡取ってる?」
「……時々」
私は気にも留めなかった。
でも——
啓太の目は、笑っていなかった。
その目には、何か冷たいものがあった。
その夜、私は寝室でスマホを見ていた。
炎上は、加速していた。
私の過去が、次々と掘り起こされている。
そして——
スマホが震えた。
またメッセージだ。
差出人不明。
『楽しんでる?』
私は息を呑んだ。
次のメッセージ。
『あなたの復讐、私も手伝ってあげる。でも、代償は払ってもらうよ』
添付ファイル。
画像を開く。
映っていたのは、三年前の私だった。
オフィスで、パソコンに向かって笑っている私。その画面には、炎上誘導用のスプレッドシートが映っている。
誰が、この写真を?
そして、画像の下に手書きの文字。
『明日、渋谷のカフェで待ってる。来なかったら、この写真を公開するよ』
翌日、午後六時。
私は渋谷の裏通りにあるカフェにいた。
客は少なく、静かだ。
入口を開ける。
店内を見渡す。
そして、窓際の席に座っている女性と目が合った。
彼女は私を見て、微笑んだ。
その瞬間——
世界が、止まった。
逆光の中、女性が座っていた。
顔を上げる。
その顔を見た瞬間、私の呼吸が止まった。
篠原瑞希。
三年前、私が炎上で潰した、元インフルエンサー。
そして——
啓太の、浮気相手。
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